ということで。あれこれ迷いましたが、「かかりつけ医」になって貰いたい、ということは、一見して健康に見えても慢性病のフォローをして貰いたい、ということなので、ご挨拶とか、一番健康状態の良い状態も提示しておこう、ということで、新しい医院に父親を連れていって来ました。小谷の姉さんのところより大きくて立派な病院だったし、私より年上で、信大の先輩で、キャリアも段違いに上の医者なんて、本音では私も一番苦手に感じるわけですが、親のためだから頑張らなきゃ、と思って行ってきました。
で、帰ってきてから姉とあれこれ話もしましたし、小谷の姉さんよりはいくぶんマシかな、と-;。というか、小谷の姉さんは循環器専門だから、母親が亡くなれば我が家としてはあんまり用がないわけで、場所はともかく腹部の感染症になれている先生が必要である。消化器の炎症だろうが、尿路感染症だろうが、要はグラム陰性桿菌で、ニューキノロン系じゃん? とサクサク処置してくれる人が、かかりつけ医にも、その上の市民病院あるいは日赤に必要である。
で、マツシタ先生とは、なんだかものすごく慎重に言葉を選ぶ先生だなあ、という印象を受けました。ともかく、一言言ったら10倍の意味がそこに含まれている、みたいな。そして、なんというか
「誰かが誰かを馬鹿にしている」
という観点からいえば、若干私を馬鹿にしているニュアンスはあったように思う。腸炎を疑う私に対して「尿路感染症」を強調するような。でも、私は
「自分が馬鹿にされたからどうの」
とか思うタイプではないし、世間一般では、誰でもそんな自分のこと偉いと思ってないし、自分以外のことを馬鹿だと思ってるわけでもないし、「自由」とか「平等」という言葉の意味くらいみんな知ってる、と思っているので、むしろ、誰かが私のことを馬鹿にする態度を取れば
「その態度の意味とか目的はなんだろう?」
と思ってしまう性格である。例えば新興宗教の教祖とか、信者はみんな「教祖は偉い」とか「素晴らしい」とか「教祖様以外は馬鹿」とか言うわけじゃん? それは本当はそう思ってるかもしれないけれども、そういう態度や考えを他人にも押しつけて、新たに信者を増やしてお金をむしり取ったり、言うことを聞かせるために言ってるわけで、目的があって言っていることである。純粋に「自分は偉い」とか「他人は馬鹿」と思って言っているわけではない。だから、私の興味は、そういう人に合ったら
「目的は?」
とまずそこに向かう。で、今回は「尿路感染症」ということでなにげなく私が馬鹿にされているわけですが、別に尿路感染症でも腸炎でも治療法は似たり寄ったりだから-;。そういうどうでも良くないけれども、まあ「どうでもいいかも??」という点でマウント取りが来ている点が、微妙ではあると思う。でも、高K血症とか、どうでも良くない、命に関わりそうなことであれこれやられてきている身としては、
「まあ、前よりはマシかも。」
という印象です。でも、あんまり深くはまだ関わってないから-;。ともかく、当方、「5月問題」というものが微妙にあって、その後の予定は?? と自分でも微妙に思うことがあるので、あんまり先々長いことの予定が立ちません-;。でもあれこれ状況を総合的に判断すると「当たり」の先生だったのかなあ、と思います。