23年10月25日

 本日は買い物と北国街道巡り。瀧宮神社、田子神社、天白神社、平出神社、御刀代神社、四ツ屋神社、牟礼八幡神社、牟礼神社、小玉神社、大宮神社、中島神社、坂上神社を参拝してきました。

 北国街道巡りに及んだ理由はいくつかありますが、母親に勧められたこと、田子の神社に行ってみたい、と思ったことが主です。田子という所は多胡氏の居館があったところとも伝わっており、古代においては多胡氏という氏族が開拓した地域なのではないか、と思います。なぜなら、群馬にも多胡という地名がありますし、そこに住んでいた羊大夫という人は都に出仕していて、名古屋にも館を持っていたという伝承があります。また静岡には田子の浦という地名がある。群馬の羊大夫は「非業の死を遂げた」という八面大王みたいな伝承があり、田子の浦には阿字の伝承の通り、人身御供の伝承がある。これらの地域の文化は、尾張から東海に拡がる物部氏(兼尾張氏兼賀茂氏兼多氏)の文化圏であり、長野といえば多氏・金刺氏・尾張氏の開拓地域なので。多胡氏というのは多氏の一派であり、各地に展開しており、人身御供の祭祀に関わっていた、ということは一次機能のけっこう上の方、という印象を受けます。長野の田子神社の祭神は羊大夫でもおかしくないくらいでは、と個人的には思いますが、そこは長野県なので。長野標準の諏訪神が祭神のようです。

 それから天白神社巡りはあたくしのライフワークなので。ただ、全体に由来不明の神社が多く、戸隠が近いこともあって、山岳修験道の影響が感じ荒れる神社がありました。天白神社はお堂が隣接していて石仏がいくつもありましたし、坂上神社もそんな感じであって。また、坂上神社の摂社・末社には「黒姫社」があって、これが地理の近さから、長野の黒姫山の黒姫信仰の神社ではないか、と思います。なんで摂社レベルの規模なのだろう? と思う。黒姫信仰もあたくしが追いかけているものの一つです。まあ、いわば和製馬頭娘の「なれの果て」なのですけれども。

 そして最近、世界で大きな争いがまた起きています。暴力に対して、暴力で応酬することは問題の根本的な解決にはならない、とただただ思う。そして、「公平」とか「平等」とは何か、と考えたときに、「誰にでも移動の自由が保障されていること」が最大の公平であり平等ではないか、と思うようになりました。日本人なんか、外務省から「行くな」と勧告されるような紛争地帯でもウロウロしていたりするのに、身近で紛争が起きると当事者でもないのに生きるために逃げ出すことのできない人達がいる、というのが最大の「不平等」のように思う。彼らが逃げられない理由は、国境が閉鎖されていたり、逃げたくてもお金や乗り物がなかったり、病気や怪我をしていて自力では動けなかったり、様々ではあると思いますが、「逃げる自由」は誰にでもあって当然なのではないか、と思う。ハマスはイスラエルの一般住民を拘束して人質にし、要は「人間の盾」にしているのだと思う。一方ガザに住むパレスチナの一般の人々も、紛争時に自由にそこから逃げ出すことができないのであれば、そして、紛争時に攻撃の対象になって殺されるのであれば、結局は普段から「人質に取られている」のと同じことなのではないでしょうか。かつてヨーロッパで多くのユダヤ人がナチスのホロコーストによって殺されました。彼らは旅券を発行してもらえず、ナチス・ドイツの勢力圏から逃げだそうとしても逃げられなかったのです。繰り返してはならない歴史とは、紛争時に一般市民、特に非戦闘員になり得ない弱者の移動の自由を認めないこと、なのではないでしょうか。会いたい人達に会えないあたくしも、兄さん達もまた何かの「人質」ともいえる。誰のためにも、「今自分ができることをしなければならない。」と、そう思うことも、あたくしが頑張って北国街道を走り回った理由の一つです。

 で、帰ってきたら、なんというか、嵐の二宮君が個人で独立する、というニュースが流れていました。で、その後、ちょっと用事でホームグラウンドの神社にお参りに行ったら、守達神にふっと「これからもあなたと共にありますように。」と言われた気がして。もちろん、あたくしもそのようにありたいと思ったのでした。というか、ナビの兄さんに居てくれないと、あちこち出かけるのも困りますし-;。

 昨夜は「Mステスペシャル」、今日の昼は「ブンブブーン」の録画を見ました。

23年10月24日

 本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付けなど、私は土の清掃でした。

 昨夜は「Mステスペシャル」、今日の昼は「News Zero」の録画を見ました。

23年10月23日

 本日は若槻粟野神社を参拝してきました。どうも「粟」とつく神社には少彦名命が祀られている気がします。淡島と関係があるのかも、と思う。その他は外作業で、母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付けなど、私は土の清掃でした。

 21日は岐阜安拡見神社、笠置神社、夜泣石(黒瀬街道)、中川神社、恵那神社、坂本神社八幡宮、坂本神社諏訪神社、武並神社を参拝してきました。中津川界隈には尹良親王伝説あり、木曽が近いこともあって義仲関連の伝説もあり、ということで県境ですし重要そうなので行ってきました。中津川市から恵那市の山間部を抜ける黒瀬街道こと県道408号線は、久々の「険道」で、中津川側が特に険しくて狭かった気がします-;。恵那側は山も綺麗に植林されていて、道もそれなりに整備されていました。

 後はメインの恵那神社。義仲の奉納した刀があるそうで。中津川に行って感じたことですが、恵那神社はかつて木曽の側の住人も氏子だったそうですし、今も八十二銀行の支店があるし、スーパーには松本ナンバー(木曽の車と思われる)が停まっているし、木曽の、特に南部との繋がりの深さを感じさせるところでした。それもあって、義仲組が現在でもたっぷりいるのではないか、と思わせるわけで-;。丁度、私が行ったら祈祷が始まって、それが賽銭箱の前でやっているので参拝できない、とか、駐車場から車を出そうとすると、わざわざ隣の車の運転手がやってきて「すいません」と言いながら車の回りをうろちょろするので、危なくてなかなか車が出しにくい、とか、駐車場の入り口めがけて地元民のものと思われる軽トラが猛スピードで走ってくるとか、「敵意がすごいな@@」と思う。

 かつて木曽の神権に関しては下社から送り込まれてきた神職が木曽氏と組んで、強い影響力を持っており、それがそのまま中津川の神権にも影響を与えていた可能性があります。馬籠出身の藤村の親が飛騨の神職をしてりしたわけだし、飛騨や美濃中津川に対して、長野県側が影響を持っていたと思われる。その一方で、尹良親王の伝説が示すように津島信仰の影響も強かった地域と思われますので、中津川界隈は名古屋津島と下社との勢力が交錯するクロス・ロード的な位置にあり、諏訪のみならず善光寺方面にまで強い影響力を持つ信濃の金刺ネットワークによって、善光寺方面と津島との強い連絡網が張り巡らされていたのでは、と思います。そして、義仲ってそれにのっかって勢力を得たのだなあ、と思うし、用が済むと、彼らに見捨てられたのでは、と思う。

 ともかく、恵那神社で新生児のお宮参りの祈祷とか、珍しいものを拝見する機会があって。なんかね、「木払い?」とかって言って、神社に夫婦杉があって、神職さんがその「婦杉」に向かってお祓い? というか祈祷? をする、というのをやっていたのですが。なんだか、神職の「気」に併せて木に寄りついていた何かが出てくる? というかそんな感じがしたわけで@@。そうしたら誰かが「それをこっちに引張れ」って言う気がするわけで、木から出てきた何かが例によって、あたくしの頭の上に乗っかっちゃった気がするわけで@@。神職の人も微妙に動揺してちょっとばかしどもってた気がしてならないわけですが、あたくしの気のせいだと思う、ということで-;。祈祷が済んだ頃合いを見計らって参拝だけしてとっとと退散してきました。木になんか変なものを依りつかせてため込んでおくことってできるんだ? とはじめて思いました。神職とはそういうものを呼び出したり、しまったりして使えるものらしい@@。

 というわけで、恵那とは要は胎盤とか羊膜のことらしくて。新潟の方にも胞姫とかって、そういうものに対する信仰があった気がします。胎盤なんてゴミじゃん! というか、あたくしが病理医をやっていたときに、やたらと胎盤ばっかり診断させられた記憶があるわけですが、あれって「お前もゴミになってしまえ」という義仲の呪いだったんじゃあ、と今になって思う-;。「お前の方がゴミだろう」と今は思うわけですが-;。ともかく、中津川というのは、津島の動きを長野県側から仕切る出先機関だけれども、それを長野県側に持ち込みたくないので、わざと美濃を信濃国とは別の行政圏に設定したのではないか、とそう思わせる興味深い所でした。いつも高速で通り過ぎるだけなので、一般道を通ってみて面白かったです。

23年10月20日

 本日は外作業と買い物。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付けなど、私はお休みでした。

 昨夜は「どうする、家康」、今日の昼は「夜会」の録画を見ました。

23年10月19日

 本日は長野黒姫宮(立科)、山田神社(臼田)、諏訪神社(臼田)、稲荷神社(臼田)、浅科八幡神社・諏訪神社。

 15日は長野清水神社(坂城)、粟狭神社、中村神社、白鳥神社、玉依比売神社、頤気神社。

 14日は愛知天伯神社(足助)、蛇口成瀬神社、足助八幡宮、野神社、馬場瀬神社、平戸橋胸形神社、灰宝神社、兵主神社、野見神社を参拝してきました。神社巡りもそろそろ佳境なので、頑張って走り回っています。

 14日は古い街道沿いの参拝。怨霊が多数御礼みたいな街道であってー;。長野県の南の方はどういうわけか南朝の御霊が多いのです。その代表格である尹良親王が津島信仰に関係あるのであれば、他のものも津島が関係しているし、そもそも信濃国を始めとした東国での南朝の活動にも津島の修験道舞台が暗躍していたのでは? と思う。

 野見神社の殺人鬼の野見某は出雲系の人で、「相撲」の開祖と言われている。だけどさあ、その人は天穂日命の子孫であって、天穂日命は「天孫」関係者だから、野見某は出雲に婿入りした賀茂の人だよねえ? それを「出雲」と呼んでいいのか? 母系の考え方ならいいけど、父系なら違うよねえ? と思うあたくしである。天穂日命なんて火明の別名みたいなものでは? と思うので、この場合の天穂日命とは、祟り神としての火明で良いのではないかと思うのです。むしろ熱田の関係者では? と思う。そして、相撲というものは裸でやるものなので、天穂日命の故事は、「相撲の起源譚」というよりも「裸祭り」の起源譚なんじゃないの? と思うあたくしであるー;。これって生け贄を殴ったり蹴ったりしてリンチして殺す祭祀じゃないの? 少なくとも名古屋、東海、千葉三輪神社あたりで名残が確認できる気がするんだけど?? と思う。というわけで、野見某の故事は、賀茂系の凶悪な祭祀の起源譚でもあり、とばっちり的に出雲系がそれに巻き込まれている起源譚でもあるように感じます。この「巻き込まれている出雲系」はけっこう重要であって、静岡とか、埼玉で出雲系の神々が「凶悪な祟り神」として扱われる根源ともなっているようにも思います。後は天白サマは天白サマだから。この神を追いかけるのはあたくしのライフワークである。

 そして、帰り道の足助・・・、ともかくあちこちで煙がもくもくと上がっていて、こちらがいぶされるんじゃないかと思うくらい煙くさい(笑)。まさに「セオニョ(細烏女)」の技であると思う。

 で、この頃からなんとなく、学生時代のことを思い出すことが多くて。何を思い出すかというと、あたくしは長野高校という長野市の高校を出て、地元の信州大学に進学しましたので、学部は違えど同じ大学に進学した人が4人くらいいて、1年は同じ松本のキャンパス内で勉強していてわけです。でも学部が違うから顔を合わせる機会はほとんどなくて、それぞれ、高校卒業後、キャンパス関係では1回ずつしか会ったことがなかったわけ。その「1回ずつ」、というのがミソで、それも何か意味があるというか、意図的なものだったんだろうなあ、と今では思う-;。で、その意図は何だったんだろうなあ、となんとなく思うわけです。今になって。

 で、15日は近所を行き逃していた式内社を中心に回って。白鳥神社は海野宿から勧請したもののはずですが、例によって御霊もいるー;。まあ、お城の守護にはそういうものが多いわけですが-;。で、粟狭神社。一見すると「諏訪系」に見えるわけですが、祭神の中に少彦名命がいる。少彦名命は、長野ではあまり見ないけれども東国では古くは「天神」扱いである。というか、長野では「多氏の祖神」扱いなんじゃん? で、もう一つの少彦名命の側面は「常世の神」である島流しの「淡島」である。日本における「漂着神」とは独特のものがあって、関東で顕著ですが、「海の向こうから流れてくる神、向こうへ流す神」だけでなくて、「川の上流から流れてくる神」も「漂着神」なのである。でもさあ、「川の上流から流れてくるものって何? 特に洪水の時とかさあ?」と思う。それってドラえもんじゃなくて「どざえもん」だよねえ?? と思うあたくしである。・・・確かに「漂着神」とは「疫病」を持ってくるわけだ。確実にコレラとか赤痢とか持ってくるだろーーーー、と思うわけで-;。どうにも困るわけだけれども、「漂着神」の「最終形態」といえるのは、「浪速の堀江から上がった善光寺の本尊」とか、「川から上がった浅草寺の本尊」とかそんな形で和製仏教の皮をかぶっている気がする。でも、彼らが水から上がった「漂着神」扱いということは「疫神」であり、「祟り神」の一種なんじゃん? 要は「昔の少彦名命、今は須佐之男」の仏教的形態に過ぎない。ということは「粟佐の少彦名命」とは何者? と思う。そうすると「粟佐というのは淡島がなまったものなんじゃないの?」と言われる気がするわけで@@。更埴ICを淡島が封印? と思う。そういう大事そうなところには終盤にならないと行くことにならないのが不思議である-;。(というか粟佐は行ったことあるような、ないような?? 記憶が曖昧である-;。でも行ったことあるのは鬼面がついている神社だったような??)

 で、本日。黒姫は黒姫で問題がある神なのである。これで民俗学の論文が書けるくらいなのだけれども、ともかく、ものすごく大雑把にいって、「天白神が殺されて黒くなったもの」みたいなものである。黒姫信仰は柏崎、信濃町、立科あたりで確認できるので、まあ長野を中心とした戸隠修験道あたりが震源地だろうと思う。ということは「この世の尾張」とか大いに関係しているだろーーー、と思うわけですが。

 でも本日の命題は「退治されたヤマタノオロチの霊が変化した蛇石」を祀る山田神社である。須佐之男がよろしくない神だとすると、ヤマタノオロチは「圧迫されたこの国の先住の神」ということになる。こう言っちゃなんだが、「蛇の神」というのはオーストロネシア語族でけっこう共通のポピュラーな神なんじゃないの? と思う。だからだいたい5000年くらい前に良渚あたりから日本に入ってきた神と思われるけれども、日本は母系の文化だからして当然女神となる。同時期に「縄文のビーナス」の文化も入ってきているから、死にまつわる「再生と人身御供の文化」も当然入ってきていたと思われる。要はこれは、「人身御供を求める蛇女神」なのである。持ってきたのは中国東北人の宣教師と思われる。要はうっとこと遠い先祖ですな-;。

 でもって、それから3000年くらいたつと、少彦名命とか、北斗星君とか、ケンシロウ(謎)とかそういうものを持った中国東北人が集団でやってくる。要はこれが弥生人ということで、やっぱしうっとこの先祖である。疫病担当神は後に「須佐之男」という名前に纏められるけれども、これはオオゲツヒメとか殺しているので、やっぱし生け贄を求める神である。後発組は「先住の神は悪者だから、うちの神が退治してやる。生け贄はうちの神に納めるように。」と言って、先住の神を信じる先住民を大弾圧しました。・・・どっちも元はお前らが持ち込んだ神なんじゃん、くそ先祖どもが!!! 

 ということで、須佐之男に圧迫されている先住の神であれば、あたくしが救出せねばなるまい? ということで行く。昨日からなんだか家の周りが騒がしかったし、結構重要な神社かもー、と思う。で、道中にけっこう工事がありましたが、道に迷いながらたどり着く。「そもそも山田神社の「山田」ってヤマタノオロチの略なんだ?」と思う。そうしたら、高校で同じクラスに頭の良い女の子がいたなー、とふいに思い出して。お父さんが大学関連のお仕事で、男の兄弟がいて、親の期待はなんとなく男の子の方にあって、お姉さんの方はややないがしろ気味かなー、となんとなくそんな感じを受ける子だった。成績の良い人が行く進学専門の塾とか行っていて(あんまり詳しくは知らないけれども、その塾に行ってた人たちはほとんど良い所に進学してたような??)、真面目な人で、少なくとも物理と英語はわたしよりもできたはずーーー、と思う。あたくしなんかは遊びほうけていて(後でも書くけど)「イズァローン伝説」とかいう竹宮恵子センセイの漫画等などを読み呆けていたため、馬とか鹿しか受からないような信大の医学部とかしか行けなかったわけですが、彼女はもうちょっとマシなところに行ったはずーー、と信じたいわけですが-;。・・・それはともかく、須佐之男に圧迫されていたヤマタノオロチが女神であるならば、彼女もまた私に救いを求めていたのか? と今になって思う。高校を卒業してからもう35年も経つのに、私はいつでも来るのが遅すぎるのだろうか? と山田神社で思う。でも車に戻ったらゆずの「明日へのマーチ(だったかな?)」が流れていて、「いつだって今がはじまり」という歌詞に、昔を思い出してちょっと泣けたのでした。そして、高校時代はやはりなんだかんだ言って、いろんな人に守られていたんだなあ、と思ったのでした。・・・大学時代は回りに馬とか鹿しかいなかったからすっごい苦労したわさ、と思う-;。

 で、その後お昼を買いにスーパーへ寄る。そうしたら、なんだか「裸に男根をつけた蛙」さん達が降臨してくる@@。「げっ」と思ったら「佐久の山の向こうは埼玉だよ。近いよー。」と言われる気がするわけで。「なんで、その格好?」と思ったら、「少し落ち込んでいるようだから、元気を出して貰おうと思って。」と言われる気がするわけで@@。

 でもって、某所で評判の「未成年に対する性加害問題」に関して、私が「風となんとか」という題の漫画を引き合いに出したら、なんだか関係者が怒った気がするわけで-;。「じゃあ、「イズァローン伝説」の尻癖の悪いアル・ティオキアを引き合いにした方が良かった?」とつい思ってしまったわけで。それでこの漫画に戻る。「イズァローン伝説」というファンタジー漫画の主人公のアル・ティオキアというのは、性別のはっきりしない男女(おとこおんな)みたいな人なのである。巫女体質なのか、「魔王の依り代」になって世界を滅ぼしかける。だけど、男との真実の愛に目覚めて、世界を救う、というそういう漫画である。・・・たぶん。だけど、このアル・ティオキアってゆーのが尻癖が悪くってですねえ、けっこう軽く誰とでも寝るタイプだったような。だけど、世界を救ったから彼は救世主なんである、というそういう話なのである。なんだかんだ言って戦後の芸能界の救世主だったのは・・・、となる-;。世代的にはあたくしは「風となんとか」よりは「イズァローン伝説」の方なのである。で、この漫画には「フレイア」という女の子というか、女の人が出てくる。彼女は結婚するのだけれども、なんだかんだ言って、旦那と寝たくなかったので、マイペースに一人で寝てる人である。でもしっかり者の良い奥さんではある。旦那は当然のごとく、欲求不満でのたうち回るけれども、それはマイペースでほっとくフレイアである-;。ということで、アル・ティオキアのことに触れたら

「あなたはアル・ティオキアのことをどうこう言うよりも、夫と寝るのが嫌いなフレイアのことをもっと考えるべき。」

って大きなブーメランが帰ってくる気がするわけで@@。彼女は旦那と寝るのが嫌な以外は、しっかり者のいい人じゃんーーー、と思ったら、なんだななんとなくあれこれ言われそうな気配を感じるわけで-;。

 でもって、ミタゾノ・・・。ゴールデンに移行して、切れ具合が増している・・・、と思う。昨日のお話は、旦那が「セカンドパートナー」とか言って家の外に愛人を作るので苦しむ奥様の話。なんだけど、愛人にも夫がいて、更に「セカンドパートナー」という名前の愛人が山ほどいる女だということが発覚する。で、その一妻多夫の鏡みたいな女には弁護士の愛人もいて、「自分が一番愛されてると思ったのにーー。」と叫んで切れたりしている。まさに「カオス」なのである。・・・だいたい、浮気される奥様の旦那の名前が「じゅん」というところに、まず「げっ」と思う。そして、弁護士が「自分が一番愛されてると思ったのにーー。」と叫んで切れたシーンで、誰かにふいにこう言われた気がした、というか、こういう空耳が聞こえた気がしたわけだ。

「その弁護士、永瀬廉みたい。」

・・・というわけで、その瞬間、マジでぞっと鳥肌が立つ。その一妻多夫の鏡みたいな女のモデルは誰ですかね、って思うけど、答えは聞きたくないのである-;。で、最初は旦那の浮気に苦しんでいた奥様は、しまいにはなんというか、オセロの駒みたいになって、みんなと友達になることに決めた、というラストである-;。・・・世の中には「セフレ」って言葉があるしなーーー、というか「ゴールデンでその内容?」という話である。深夜帯の時より切れまくってるだろーーー、と思わずにいられない@@。

 というわけで、ミタゾノの後は、「ブンブブーン」を見る。どうも話を聞いた方が良さそうな相手が二人ほどいる気がしてならないから-;。で、「内容については弁護士のモデルに言って。」って言われる気がしてならない(泣)。でもって、たいがい皆様の意見は2つに分かれているようで、一つは穏健というか、「妻が嫌がるのに強引に夜の生活は迫りたくない」というもの。もう一つは「その場になれば自分の目の力で丸め込んで事に持ち込めるでしょ」というもの@@。「おーい」というか、足と腰の悪い年寄りをいたわる気持ちってないんですかね? と思ったら、「そうやってフレイアみたいになんだかんだ言って夫との夜の生活から逃げようとしてるでしょ。」と言われる気がするわけですが@@。どうも、どっちかというと、自分の腰に危機が迫っている気がしてならない-;。

 で、部屋に戻ると、なんとなく、まーくんの動画をみたくなるので見る。そうしたら昼間のことを思い出したまた泣きたくなるわけで。蛇の兄さんはほぼ同じ年なので、私の同級生達の気持ちが私よりも分かるらしい。「その人たちの声は自分には届くのに、すぐ近くにいるあなたには聞こえなくて、みんな泣いてたよ。今夜もみんな泣いているよ。中には悔しくて泣いている者もいるかもしれないけれども。」と言われる気がするわけで。佳境にさしかかって、あれこれ重要な神社を巡っているらしいです。