本日は外作業と外出。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。
昨日は下伊那入登山神社、大山田神社、根之神社、新井展望公園、伊賀良神社、浪合神社を参拝して来ました。最初の目当ては式内社論社の大山田神社と根之神社だったわけですが。結果的には下條氏の配した怨霊と格闘した日、という気がします-;。ともかく、下伊那といえば「山」だし、神社は山の中腹から頂上にかけてあるわけで、しかも、だいたい参道は山のふもとから一直線に山を登っていく、ということで-;。ともかく、山で恐ろしいのは怨霊よりも悪魔よりも、「あ」の字がつかない「熊」なのでー;。鈴を振り回しつつ駆け回ってきました-;。
で、大山田神社の為朝、浪合神社の「ユキヨシ様」・・・ユキヨシ様って誰だ? となるわけですが、南朝の宗良親王の息子、と言われており、なぜか「尹良親王」として祀られているそうで。・・・親王の息子なら「尹良王」とするのが正しいのでは? と思うわけですが、ともかく正式な歴史的な記録はなく、実在の人物ではなくて、伝説上の架空の人物らしいです。ただ「御霊」として扱われており、
『「ユキヨシ様」は伊那谷から北三河・北遠江にかけての国境地帯にて祀られる習俗が広く分布しており、この信仰に関して民俗学の側面から着目したのが柳田國男であった。』
なんだそうな。民俗学の大家で、伊那谷から北三河・北遠江にかけてちゃんと自分の足で歩き回ってフィールドワークをしている柳田によると、
『「かつて中部山岳地帯と海岸を結び付ける道は秋葉街道だけであったが、やがて浪合を通り飯田・根羽に連なる三州街道(飯田街道)が開けてきて、その段階で津島神社の御師たちが入り込み、土着的な山路の神『ユキヨシ様』を旅人の道中安全を守る守護神(一種の道祖神)へと変化させて山間に広く分布していった。これに加えて、浪合で戦死した南朝某宮に対する御霊信仰の要素が結合して尹良親王なるものが出現し、さらに津島神社や三河武士・徳川氏の起源伝承として存在意義が認められ、地元の口碑がその欲求に合うように内容まで多様に変型させられたのではなかろうか」』
なんだそうな。(『』の部分はWikipedia出典)三州街道(飯田街道)とはおおよそ現代の国道153号線である。ちなみに阿南から尾張・三河に抜ける151号線は遠州街道という。秋葉街道は152号線に当たる。で、木曽から岐阜を通って名古屋に向かう19号線は中山道という「王道」の街道筋である。・・・津島については、まあ良いわけですが、尹良親王の伝承は中津川、遠州街道方面にも分布する。だから、必ずしも三州街道沿いの信仰とは限らないよねえ? 浪合神社は確かに三州街道沿いにあるけれどもさ? と思う時点で、
「柳田の深淵」
をのぞき見る気がする-;。ユキヨシ様が中山道から遠州街道にかけて分布するってですねえ? 木曽は義仲組(義仲の子孫または家臣の子孫)の本拠地じゃん? 遠州街道沿いにある阿南も義仲組の分布地域じゃん? 浪合神社をたいそうもり立てたのは下條氏かもしれんけれども、ユキヨシ信仰には津島と義仲組がおおいにかかわっている気がするのだけれども、敢えてそれに触れずに三州街道(飯田街道)を強調して、ついでに「御用学者」であることも自ら強調してる気がする柳田である-;。上の都合の悪い中山道と遠州街道は触れずに無視かいーーー、とそんな気がするわけでー;。この人のこういう「あからさま」なところがすごいなー、と常に思うわけですが-;。
そして、義仲組が関わっている、ということは「ユキヨシ様の悲劇」には木曽義仲の悲劇がそこはかとなく暗示されているようにも思う。そして、そんな「架空の人物」であるユキヨシ様に、何故かフグちゃん(明治天皇)が生前ご執心だったようで。この人も氷川神社を敬愛したり、須佐之男信仰の強かった人なわけですが、なんで実在したかもはっきりしない「ユキヨシ様」に勅使を遣わしたりしたのか? と思う。だいたい、実在しない人を「怨霊」に仕立てた場合、実際にそこに「怨霊」として隠して取り憑かせているのは誰の幽霊なのか? と思うわけで。
そうしたら、「木曽義仲は聖徳太子の生まれ変わりなのだから、それに関連した怨霊で、かつ「悲劇の息子」といえば山背大兄皇子なのではないか?」と託宣を受ける気がするわけで@@。上宮王家の怨霊で南信濃の街道を封印してるんかーーい、というかなんというか@@。
ともかく、金刺氏の牙城である北信濃を出ると思うことですが、金刺氏の先祖の多氏と共に「東征」と称して長野県にやってきた東信の古族である滋野・海野氏は戦国時代に没落し、南信の阿智族は外から来た下條氏に圧迫され、南信は甲斐源氏の分派の草刈場と化していた気がするわけで。遠く3~4世紀頃に、共に信濃国にやってきた同族を次々と蹴落として、自分だけが一人勝ちして嬉しいかい? 義仲組を召使いのようにこき使っているっていったらさあ? と思うあたくしである-;。ともかく、南信は阿智系の秩父党の故郷なので、武蔵国(埼玉)に出向くことと、南信をうろつくことには結構密接な関連があるのですよ-;。
というわけで、「こんなに本格的かつ厳重に怨霊を封じている神社は始めて見たでしょ。」と言われる気がします。あたくしの修行の終盤に訪れるには、ある意味相応しい旅であったと思います。
テレビは昨夜は「うたコン」の録画。今日の昼は「いただきハイジャンプ」の録画を見ました。