一昨日は埼玉天神社、天神地祇一神宮、東間浅間神社、伊奈比神社、久米田神社、横見神社x2、石戸神社を参拝してきました。伊奈比神社の祭神はおそらく須佐之男、久米田神社は倭文、横見神社も須佐之男(と奇稲田姫)と思われます。出雲? かもしれませんが、賀茂系、秦系の匂いがちらほらと・・・。吉見町は源範頼の領地で、子孫の吉見氏が治めたところ、ということで範頼の伝説があるようです。関連の御霊信仰もありますが、群馬の鎌倉五郎ほどの人気? はないように感じました。
昨日は外作業で、母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土掘りでした。
今日は外作業と買い物で、母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。
一昨日は家にいるときから、なんだか東京方面に映画「ロード・オブ・ザ・リング」の「サウロンの目」のような黒い「邪悪な目」を感じるわけで、「そんなたいした神社に行く予定があったっけ?」と思って。で、埼玉に入るとひいじいさんが弓を持って「黒い目」を射る絵をみんなが送ってくるわけで。・・・そんな邪悪さを感じる神社なんてあったけかなあ、ということで。予定していた式内社もいくつかは回れましたが、例によって「あっち行け、こっち行け」と言われて、予定外のところもしこたま回った一日でした-;。
あとは、何というか、「解脱」というのは仏教他の用語であって「仏教における解脱は、本来は涅槃と共に仏教の実践道の究極の境地を表す言葉」だそうで。で、解脱に至ると「生は尽きた。梵行は完成した。なされるべきことはなされ、もはや二度と生まれ変わることはない」と了知するのである、だそうで。要は人は煩悩の塊で六道を輪廻転生しながらさまよう、というのが仏教の考え方なら、解脱するともはや煩悩とはさよならして輪廻転生も止まるものであるらしい。「生まれ変わる能力のある人」に「生まれ変わってくるな」って呪いをかけたら? 高松塚古墳とか? とふと思ったあたくしでした。例えば天手力男神が生まれてこなかったら天照大御神を岩戸から引き出す神がいなくなっちゃいますわね、おほほほほー、となんだかそんな気がいたしましたとさー;。