昨日は神奈川大石神社、王子神社、神鳥前川神社、西八朔杉山神社、茅ヶ崎杉山神社、大棚中川杉山神社を参拝してきました。大石神社は在原業平が祭神という珍しい神社であって。なんでも昔、在原業平が東国に下向したときに、賊に取り囲まれて火を放たれ、後に石が残っていて、その石がご神体である、という由緒があるそうで。業平の逸話というよりは、日本武尊の逸話を業平に置き換えただけでは? という気がしました。実際近くに神鳥前川神社という日本武尊と弟橘媛を祀る(おそらく)古社があるので、元々日本武尊の伝説があった地なのではないか、と思いました。ただし本日のメインは武蔵六の宮である杉山神社であって。主たる祭神は五十猛神であって、「杉の木を植える神」ですから、神社の名前が「杉山」とあるのもぴったりだと思う。杉山神社は論者が多いので、主たるものを含めて回れるだけ回ってきました。場所は神奈川だけれども、東京都の県境に近い地域は、かつては相模国ではなくて武蔵国に属していた地域もあるようです。で、近くに「麻生」という麻に関連する地名がありますし、杉の木の神五十猛が祀られていますし、太田命という「田に関連する神?」みたいな神もいますし、要は「杉(建材)と麻(麻薬)と米(主食)」という弥生からの賀茂系、特に多氏系と思われる氏族の独占事業が三拍子揃ってる~、と思う。この3つに関する事業と祭祀を独占することで、彼らは支配権を確率してきたわけです。反対する者は、日本武尊の東征伝説が示す通り殺してきたのだと思う。で、特に五十猛は古い神と思われ、奥飛騨とか長野とかいかにも「田舎」というところに部分的に残っているだけなので、「横浜も昔は田舎だったんだなー。」と思ってみたりしました。
おそらく一番最初は須佐之男・五十猛の伝説が持ち込まれ、杉の木の植林などが「神の子たち(多氏系氏族)」の事業とされ、その次に日本武尊の東征伝説が持ち込まれて「天皇家の支配権」が正当化され、最後に須佐之男・八王子の伝説が持ち込まれて八王子とかの地名の由来になっていますし、八王子に対する信仰は祇園信仰と関連しますから、仏教と修験道の正当化のための伝説なのだと思う。そして、そうやって「東征伝説」をその時の時代の都合に合わせて書き換えていってるので、最初に入植した弥生人が渡来人でもある賀茂系の多氏である、という事実がかき消されて薄められている効果も伴っていると思われます。なぜ、政治的な支配権を天皇家に移したのか、といえばそれは麻薬と宗教の独占事業に専念するためだったんじゃないのーーー、と祖父の代まで麻でもうけていた家系のあたくしはそう思うわけですが。
で、後は帰りの高速の通行券が無くなってしまってー;。どこかですられたのではないか、と思います。いつもかばんの決まった場所に入れてきちんと管理しているし、それで無くなったことなんかないので-;。それ以外では指定されたレンズを買ったり。
本日は外作業のみ。外作業は母親が土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉が土の清掃、石片付けなど、私は土の清掃でした。
今日の昼は「二ノさん」の録画を見ました。