23年7月17日

 本日は外作業と買い物のみ。外作業は母親が土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉が土の清掃、石片付けなど、私が土の清掃でした。

 我が家のお猫様の目と鼻の状態があまりにも悪いので、ネットであれこれ調べてビブラマイシンを投与してみました。それで、特に鼻の状態がだいぶ改善しました。次には真菌のお薬を買ってみました。

 テレビは「音楽の日」の録画を見ています。

23年7月17日

 12日は山梨高尾山穂見神社、曲輪田諏訪神社、新屋山神社奥宮、富士山小御嶽神社を参拝して来ました。穂見神社とは山梨、諏訪、駿河あたりにちょこちょことある神社なのですが、その大本は「高尾山穂見神社」であるようで。高尾山といえば普通は東京の薬王院のある高尾山が浮かびますが、穂見神社の「高尾山」とはどこにあるのだろう? とずっと思っていて。ようやく発見したので、行ってきました。ちょっと山の中腹にありましたが、有名な神社らしく、道案内の看板もしっかりしていましたし、駐車場?の草もきれいに刈られていました。

 諏訪も埼玉北部と同じで、通過するとあれこれ言われるわけですが、この日はなんだか湖の中から蛇のような白くて汚い手がたくさん伸びてきて、地上のものを捕まえようとするような絵が送られてきて。で、湖の真ん中に私と雅治君が降りたって、下社に向かって杖を突き立てて「パルス」と言ってる図であって。下社にその呪文を今使う?? と思う。「パルス」とは「天空の城ラピュタ」というジブリ映画の中では、ラピュタを滅ぼす呪文である。だから、普通は「使ってはならない呪文」なのだけれども、ラピュタの正統な後継者であるシータは主人としてその呪文を教わって知っていたので、ラピュタにとどめを刺すためにパズーとその呪文を使う。というわけで、珍しいこと、と思う。

 で、高尾山から富士山へ向かって、「たどり着けた者だけが参拝できる」と噂の新屋山神社奥宮へ行く。どうしてこう言われるかというと、富士山の3合目の山の中にあって、しかも林道の途中にあるので、地図では場所も道も良く分からないのと、道沿いに鳥居とかがなくて小さな案内板があるだけなので、見落としやすいからだと思う。でも、林道はたいていの場合良く整備されているので。かなりサクサクとたどりつけて、人もけっこういました。祭神は大山津見なので。やはり富士山は男神だと思われているし、コノハナサクヤヒメは男が女の格好をしているに過ぎないと思う。

 で、予定はここまでで山を下りてお昼を食べて帰ろうと思っていたわけですが。お昼を食べていたら、「地図を見ろ」と言われる気がするわけで。見たら、「富士山の五合目にも富士山小御嶽神社があるでしょ、」と言われる気がするわけで@@。調べてみたら14日から有料道路のマイカー規制が始まる、とのことだったので、急遽行くことにして。山の上には人が大勢いて、交通整理の警察の人も何人もいて大賑わいでした。富士山ってすごいなー、と思う。そして、「富士山攻略おめでとうー。」とあちこちで言われる気がします。

 13日は外作業のみ。買い物のついでに戸倉上山田の波閇科神社、澳津神社、善光寺大本願別院を参拝してきました。

23年7月16日

 昨日は静岡静岡袋井・天伯神社、梅山八幡神社、大龍頭神社、許祢神社、七ッ森神社、赤尾渋垂郡辺神社、法田山、掛川・比奈多乃神社、二ノ宮神社、龍尾神社と参拝してきました。一番のメインは龍尾神社で、「龍頭神社を参拝したのだから、そろそろ尾の方も行って来なさい。」と言われた気がするからです。一社だけなら楽勝、と思っていたら、「ついでに周囲の式内社もできるだけ参拝してくるように。勉強になるから。」と言われた気がするので、結局袋井市・掛川市をあちこち回ることにしました。全体としては、接写に天白神社があったり、かつてそう呼ばれていた神社があったりで、かつては天白信仰が盛んであったことがうかがえます。群馬辺りだと、天白神は蛇女神である気配が濃厚で、それがそのまま稲荷信仰へ変遷している印象を受けますが、静岡県では名前が「天白神社」であっても祭神が天穂日神であったり猿田彦であったりして一定していません。また女神でもないので、水神女神や太陽女神、雷神女神としての天白心の姿はよくよく消されているように思います。そして、出岡では女神に対する信仰はむしろ弁天信仰へ移っているように感じます。長野県でもどちらかというと弁天信仰寄りかも? 牛伏寺とか。

 で、富士山に行って来たら、味方の声があちこちに届くようになったらしくて、静岡に行ったのに何故か秩父党に話しかけられる気がするわけで@@。本日は「落下傘部隊だよー。」と言って蛙さんが空からパラシュートで降りてくる図を送って来る気がするわけで。帰るときには、「護衛だけ残して帰るねー。」と言って飛行機で帰って行った気がするわけで@@。演出が細かいぞー、と思う。でもともかく、まー君とも仲は悪くなさそう、ということで「自分たちは雷公推しだけれども、最後には誰が好きなのかあなたか決めることだから、あんまり強くは推さない。」と言われる気がするわけで-;。

 で、山道に近い県道を走っていたら、法田山というお寺があって、観光客が大勢いそうだったので行ってみて。真言宗の古刹だそうです。地元では超有名なお寺なのだと思う。で、掛川市では寺社で夏は「風鈴祭り」をするらしくて、法田寺と龍尾神社では大量の風鈴が飾られていました。その音もすごかったです。「法田」と書いて「はった」と読むそうなので、秦氏縁のお寺かも、と思う。七ッ森神社とか当地の国造が祭神として祀られていて、なにがしかの塚もあったようなのですが、その「塚」というのは前方後円墳ではなさそうなので、おそらく当地の国造は王族に連なる家系ではないと思われるのですが、秦氏の痕跡も強いことですし、秦氏系の人々なのかなあ? とも思う。昔は久努国(くぬこく)と言ったらしくて、久能山とかもその名残の地名らしいです。魏志倭人伝に「狗奴国(くなこく)」ってあったような。何か関係があるのかなあ? とも思いました。

 本日は外作業のみ。母親は土の清掃、土の埋め戻し、石片付けなど、姉は土の清掃、石片付けなど、私は土の清掃でした。

 テレビは、昼は「二ノさん」の録画を見ました。

23年7月11日

 本日は姉の病院と外作業のみ。特に変わりはなし。

 テレビは昼は「MUSIC DAY」の録画を見ました。

23年7月10日

 昨日は埼玉南部白髭白山神社、二本木神社、元狭山神社、入間愛宕神社、中氷川神社x2、北野神社、仙波浅間神社、喜多院、日枝神社・白山神社、浅間神社、三芳野神社、川越氷川神社を参拝してきました。奥氷川神社のある奥多摩の産地を平地に降りてくると、中氷川神社があり、更にその先に氷川神社があって、これらは一直線上に並んでいるそうです。今回のメインは中氷川神社であって、ひいじいさんに「さっさと行って来い」と言われる気がするので行ってきました。後は式内社と御霊関連です。白髭白山神社は清寧天皇、入間愛宕神社は新田義興公と13人の部下が御霊であって。以前、川崎方面へ行ったときに、東京側に義興公と13人の部下を祀った神社がありましたが、義興公とは新田義貞の次男で、室町幕府と戦いを繰り広げ討ち死にした人で。海に近い方には胴を埋めた、という伝承があり、内陸の入間には首を埋めた、という塚があったそうです。首塚が入間愛宕神社にある。首と胴を分けて埋めたり、昔の人はそういうの好きだなー、と思う。

 中氷川神社を巡っていると、途中に北野神社があって。雅治君の曲を聴きながら車を運転していると、なんだかジブリの最新の映画とかのことが気になって。今回は前宣伝をほとんどしない作戦らしくて。でもそうすると、「もう大人なんだからアニメなんて子供の見るものは見ないように。女の子なんだから愛に生きなくちゃ。」とか言われる気がするわけで。割と、「推し」に対する思い入れが強い人が多いので、まー君の曲を聴いていて、普通にそう言われるとなんだか安心するわけで。北野神社といえば普通は管公が祭神だと思うので、あまり立ち寄ったりしないわけですが、「ここは寄っていくように」と言われる気がするので寄って。寄ったら、所沢の北野神社が北野天神の発祥の地であるけれども、元は物部天神といってニギハヤヒとか物部氏の神を祀っていたそうで。む、ということは一番古くに当地に入植したのは物部氏では、と思う。大和石上から始まって、愛知の物部神社、甲府の物部神社と回ってきて、各地の物部神社は「物部氏の神社」としては衰退傾向にあるわけですが、そうやって西からの続きが所沢の物部天神であるならば、所沢の物部氏は山梨県(甲斐)から多摩の山地を越えて武蔵国に侵入したんですよねえ? と思う。そして、ここが武蔵国の物部氏の中心神社であったならば、武州に来たときにはまずここに挨拶に来ないといけなかったんだ?? 氷川神社ではなくて? と思う。そうしてけっこう「大和石上を参拝してから、名古屋、山梨と物部神社をたどってここまで来るのに18年もかかったねえ。」と言われる気がするわけで。遅くなってすみません、というか、ここは最初から寄る予定ではなかったし、北野神社って表札では物部氏の神社って分からないじゃん? と思うわけですが、ともかくひいじいさんに引きずられて来たわけだ@@。要は最初に武蔵国にやってきたのは物部氏であったのに、後から氷川神社が持ち込まれて、物部氏系の神社は衰退に追い込まれた、と思われる。氷川系の神社は、奥氷川神社・中氷川神社・氷川神社が「武蔵三氷川」と呼ばれて、これらはほぼ一直線上にあるそうで、武蔵国を代表する神社のように思えるわけですが。でも、もう一つ隠れているよね? 甲州にも「氷川神社」はあるけれども、小さくて隠されている気がするわけで。これも「一直線上」に入るんじゃないの? と思ったあたくしである。武州の物部系の勢力を押さえるための氷川神社で、創建にはおそらく聖徳太子とかそんなんが関わっていると予想します。一方、秩父党は阿智族の関係者らしいですし、南埼玉が物部氏の管轄であったならば、その辺りが「上」から迫害された人々であたくしに好意的らしい、となんとなく分かる。

「だいたい、石上と書いて「いそのかみ」と読むけれども、石とか岩を「いそ」と読むのは、賀茂系の上位の氏族の特徴で、「いそのかみ」とは「五十の神(いそのかみ=五十猛神)」に通じる名前でしょ、と香取の神に言われる気がするわけで@@。え、じゃあ、「石上(いそのかみ)」とはうちの先祖のイソタケ君とほぼ同じ神なのですかね。賀茂の一次機能(祭祀階級)と同じ祖神を要しているということは、物部氏は二次機能(軍事階級)であっても、かなり上位の身分の人達のはず、と思うけれども、聖徳太子(=須佐之男)とその信仰を使って物部氏を弾圧したわけだ。で、「石上」=「石の神」=「五十猛」とするならば、ニギハヤヒとは、五十猛神の子神であって、須佐之男の子神でもある、ということになるけれども、そこも削除して隠しているわけだ。どうりで名古屋の物部神社で「ご先祖様だよ。」と言って泣かれたわけだ、と思う-;。

 昨日は、埼玉に入ると、なんだか軍服っぽい服を着た蛙さんが降臨してきて、「今日は地球防衛の日。宇宙からやってきた悪い宇宙人をやっつける日」と言われた気がするわけで。「宇宙からやってきた悪い宇宙人」とは須佐之尾のことですよねえ。秩父党や物部氏は地球防衛隊ですな、と思う。で、予定していたところが午前中で終わったので、午後は近場の川越に移動する。川越には江戸幕府の重要な寺院である喜多院があって、そこに東照宮があるし、川越氷川神社もあるので。その辺りは天台宗の古くからの牙城であるらしい。川越氷川神社は、七夕祭りの最中で、浴衣を着たかわいらしい娘さんがいたりとか、アオザイを着たかわいらしい娘さんが・・・アオザイってどこの国だっけ???@@ という若干カオスな状態で人が大勢いましたので、参拝だけしてさっさと逃げ帰ってきました。人が多いところは苦手です。で、後は一般道を南埼玉から群馬まで走ってみて。始めて走ったので新鮮でした。

 本日は買い物と親の病院。小谷医院は相変わらずでした。小谷の姉さんは自分の体格がしっかりしているせいか、糖尿病持ちで太ってはいけないうちの父親みたいな患者にも「食べろ、食べろ」と言うわけで。普段は医者の言うことに耳を傾けたりしない父親が珍しくそれを聞きつけていました。後は、うちの父親は前立腺癌の放射線治療の影響で、直腸からわずかに出血がある可能性があり、それもあって若干横ばいだけど貧血気味なのですが、小谷の姉さんは貧血のことをやたらと大騒ぎしており、放射線治療のことを話しても「そんなんじゃ貧血は来ない。」とか言います。学生時代に基本的なことを教えた教官がちゃんと教育してない気がする-;。小球性貧血は慢性的な微量出血で来るわけですが。知らないふりしているわけですな。