昨日は埼玉南部白髭白山神社、二本木神社、元狭山神社、入間愛宕神社、中氷川神社x2、北野神社、仙波浅間神社、喜多院、日枝神社・白山神社、浅間神社、三芳野神社、川越氷川神社を参拝してきました。奥氷川神社のある奥多摩の産地を平地に降りてくると、中氷川神社があり、更にその先に氷川神社があって、これらは一直線上に並んでいるそうです。今回のメインは中氷川神社であって、ひいじいさんに「さっさと行って来い」と言われる気がするので行ってきました。後は式内社と御霊関連です。白髭白山神社は清寧天皇、入間愛宕神社は新田義興公と13人の部下が御霊であって。以前、川崎方面へ行ったときに、東京側に義興公と13人の部下を祀った神社がありましたが、義興公とは新田義貞の次男で、室町幕府と戦いを繰り広げ討ち死にした人で。海に近い方には胴を埋めた、という伝承があり、内陸の入間には首を埋めた、という塚があったそうです。首塚が入間愛宕神社にある。首と胴を分けて埋めたり、昔の人はそういうの好きだなー、と思う。
中氷川神社を巡っていると、途中に北野神社があって。雅治君の曲を聴きながら車を運転していると、なんだかジブリの最新の映画とかのことが気になって。今回は前宣伝をほとんどしない作戦らしくて。でもそうすると、「もう大人なんだからアニメなんて子供の見るものは見ないように。女の子なんだから愛に生きなくちゃ。」とか言われる気がするわけで。割と、「推し」に対する思い入れが強い人が多いので、まー君の曲を聴いていて、普通にそう言われるとなんだか安心するわけで。北野神社といえば普通は管公が祭神だと思うので、あまり立ち寄ったりしないわけですが、「ここは寄っていくように」と言われる気がするので寄って。寄ったら、所沢の北野神社が北野天神の発祥の地であるけれども、元は物部天神といってニギハヤヒとか物部氏の神を祀っていたそうで。む、ということは一番古くに当地に入植したのは物部氏では、と思う。大和石上から始まって、愛知の物部神社、甲府の物部神社と回ってきて、各地の物部神社は「物部氏の神社」としては衰退傾向にあるわけですが、そうやって西からの続きが所沢の物部天神であるならば、所沢の物部氏は山梨県(甲斐)から多摩の山地を越えて武蔵国に侵入したんですよねえ? と思う。そして、ここが武蔵国の物部氏の中心神社であったならば、武州に来たときにはまずここに挨拶に来ないといけなかったんだ?? 氷川神社ではなくて? と思う。そうしてけっこう「大和石上を参拝してから、名古屋、山梨と物部神社をたどってここまで来るのに18年もかかったねえ。」と言われる気がするわけで。遅くなってすみません、というか、ここは最初から寄る予定ではなかったし、北野神社って表札では物部氏の神社って分からないじゃん? と思うわけですが、ともかくひいじいさんに引きずられて来たわけだ@@。要は最初に武蔵国にやってきたのは物部氏であったのに、後から氷川神社が持ち込まれて、物部氏系の神社は衰退に追い込まれた、と思われる。氷川系の神社は、奥氷川神社・中氷川神社・氷川神社が「武蔵三氷川」と呼ばれて、これらはほぼ一直線上にあるそうで、武蔵国を代表する神社のように思えるわけですが。でも、もう一つ隠れているよね? 甲州にも「氷川神社」はあるけれども、小さくて隠されている気がするわけで。これも「一直線上」に入るんじゃないの? と思ったあたくしである。武州の物部系の勢力を押さえるための氷川神社で、創建にはおそらく聖徳太子とかそんなんが関わっていると予想します。一方、秩父党は阿智族の関係者らしいですし、南埼玉が物部氏の管轄であったならば、その辺りが「上」から迫害された人々であたくしに好意的らしい、となんとなく分かる。
「だいたい、石上と書いて「いそのかみ」と読むけれども、石とか岩を「いそ」と読むのは、賀茂系の上位の氏族の特徴で、「いそのかみ」とは「五十の神(いそのかみ=五十猛神)」に通じる名前でしょ、と香取の神に言われる気がするわけで@@。え、じゃあ、「石上(いそのかみ)」とはうちの先祖のイソタケ君とほぼ同じ神なのですかね。賀茂の一次機能(祭祀階級)と同じ祖神を要しているということは、物部氏は二次機能(軍事階級)であっても、かなり上位の身分の人達のはず、と思うけれども、聖徳太子(=須佐之男)とその信仰を使って物部氏を弾圧したわけだ。で、「石上」=「石の神」=「五十猛」とするならば、ニギハヤヒとは、五十猛神の子神であって、須佐之男の子神でもある、ということになるけれども、そこも削除して隠しているわけだ。どうりで名古屋の物部神社で「ご先祖様だよ。」と言って泣かれたわけだ、と思う-;。
昨日は、埼玉に入ると、なんだか軍服っぽい服を着た蛙さんが降臨してきて、「今日は地球防衛の日。宇宙からやってきた悪い宇宙人をやっつける日」と言われた気がするわけで。「宇宙からやってきた悪い宇宙人」とは須佐之尾のことですよねえ。秩父党や物部氏は地球防衛隊ですな、と思う。で、予定していたところが午前中で終わったので、午後は近場の川越に移動する。川越には江戸幕府の重要な寺院である喜多院があって、そこに東照宮があるし、川越氷川神社もあるので。その辺りは天台宗の古くからの牙城であるらしい。川越氷川神社は、七夕祭りの最中で、浴衣を着たかわいらしい娘さんがいたりとか、アオザイを着たかわいらしい娘さんが・・・アオザイってどこの国だっけ???@@ という若干カオスな状態で人が大勢いましたので、参拝だけしてさっさと逃げ帰ってきました。人が多いところは苦手です。で、後は一般道を南埼玉から群馬まで走ってみて。始めて走ったので新鮮でした。
本日は買い物と親の病院。小谷医院は相変わらずでした。小谷の姉さんは自分の体格がしっかりしているせいか、糖尿病持ちで太ってはいけないうちの父親みたいな患者にも「食べろ、食べろ」と言うわけで。普段は医者の言うことに耳を傾けたりしない父親が珍しくそれを聞きつけていました。後は、うちの父親は前立腺癌の放射線治療の影響で、直腸からわずかに出血がある可能性があり、それもあって若干横ばいだけど貧血気味なのですが、小谷の姉さんは貧血のことをやたらと大騒ぎしており、放射線治療のことを話しても「そんなんじゃ貧血は来ない。」とか言います。学生時代に基本的なことを教えた教官がちゃんと教育してない気がする-;。小球性貧血は慢性的な微量出血で来るわけですが。知らないふりしているわけですな。