本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付けなど、姉は土の清掃、石片付けなど、私は土の清掃でした。
神社巡りについては、親に「3年もやったんだからもういいだろう。」みたいに言われて、「それはちょっと違う。」と思う。これは「学ぶこと」も兼ねているのだし、挨拶回りとか祭祀も兼ねているのだから、ある意味学校みたい、というか、卒業とか資格を取るのに必要な単位を手に入れなければ、何年続けていても完了するまでやる必要のあることなのだと思う。三峯というと、親は「近所の人が講を作っていた」とか、そんなことしか言わないわけですが、三峯は重要だけれども、もっと日本全体の狼信仰と日本武尊に対する信仰が密接に結びついていること、東国の思想の始まりには尾張犬山や熱田神宮に潜在的にあったと思われる「狼信仰」が大きく関わっていたこと、狼というのは「神の使い」であるかもしれないけれども、人を襲うものでもあるのでやはり人身御供というものと大きく関わっていること、人身御供と常世信仰は表裏一体のものであるので、狼信仰は常世信仰と関わっており、どちらもカモカモカモ強盗団の上の方が創設に関わっていること、とかを知って理解せねばならないわけです。
そして、三峯に行っても金峰山、秩父に行っても金峰山の影がちらつくわけだから、狼信仰の拡散と維持にも金峰山が取り憑いているねえ、役行者だねえ、カモカモカモだねえ、と知らなければいけないのだと思う。
テレビは昨夜から「どうする家康」の録画をまとめて見ていて。やっと最新のところまで追いついたところ。築山殿と信康の反乱、ということで。そもそも遠州の「常世信仰」の影は今でも強いので、中世にその強化に努めたのが今川氏であることは間違いないと思う。しかも築山は「山」に通じるし「月山」という言葉にも通じると思うので、かなり不吉な名前なのであり、築山殿の信仰がどこにあったかということが分かりやすいと思う。実際には家康とは仲が悪かったと思う。というか、上社と下社との仲の良さぐらいに仲が良かったんだろうなあ、と思う-;。どう見ても信仰的には、徳川は上の方、今川は下の方だから-;。ドラマには「忍び」がけっこう出てきますが、東海時代からの家康の家臣・服部半蔵は名前からして秦氏の末裔である。で、武田の忍びって、出自は明らかではありませんが、それは要は「真田」のことなんじゃないの? と思う。後に家康に鞍替えする真田である。ドラマの中では「お千代」という名前だけれども、これは千代保稲荷信仰を思わせる。「千代母」っていうのは、東海では秦氏の女神だったけねえ? と思うわけで、「忍び」とは秦氏であることがけっこう暗示されていそうな気がする。ドラマで瀬名が一向宗が言いそうな「東国の王道楽土」みたいなことを説いていましたが、それが実現したとしても信長と前線で対峙して苦労しなければならないのは徳川なんじゃん? 何その共産党主義者な意味不明なドラマの展開と思想はどこの入れ知恵? と思ったあたくしである。でも、実際の家康は武田との対峙ものらくらしていて、信長の怒りも買っていたんだろう、と思います。全力で武田と戦って疲弊したら、後ろから信長に襲われるじゃんーーー、ということで家康が「狸親父」にならざるを得なかった理由が少し分かった気がする大河でした-;。現実もドラマもカモカモカモが「忍び」を通して踊らされる中世である。