一昨日は群馬鳥頭神社、稲裏神社、月夜野神社、小高諏訪神社、大宮巌鼓神社、一宮神社、沼田大明神、武尊神社x2、吾妻神社、茂左衛門地蔵尊、奥院を参拝してきました。新潟の魚沼方面の神社を参拝したので、その続きで群馬の側にある月夜野方面へ行ってこい、と言われる気がするので、上田から山越えして嬬恋村方面を通り、一般道だけでトコトコと行ってきました。群馬では、真田が領主であったことがある、ということで、沼田市を中心に六文銭がやたらと目立って興味深く思いました。真田氏はなんというか「お殿様」扱いで、真田信之も「お殿様」扱いで、ちょっと違和感を感じる、というか。真田の直流は最終的には信濃松代藩の藩主になったわけなので、松代藩出身のあたくしが、「真田はうちのお殿様」というのは自然な感じがするわけですが、群馬でそれを言う? みたいな感じであって。そして、信濃では、真田氏はせいぜいが室町時代初期くらいまでしか遡れない、かつ出自のはっきりしない一族であって、東信では海野・滋野という近縁関係にある名古族が衰退した後に関係者風に台頭してきたのが真田氏であるので、あんまり身分の高くない豪族出身、というイメージであって、「信濃の豊臣秀吉」みたいな、成り上がった人達というイメージが強いので、「お殿様」といえば「お殿様」なわけですが、そんなに大自慢する? という印象であって。真田氏は故郷よりも群馬で人気があるんだなあ、と思いました。
そして、月夜野の辺りを「奥利根」と言うかどうかははっきり知りませんが、利根川の上流域にも怨霊や御霊が多いー、ということであちこち回って疲れ果ててしまって-;。しかも怨霊の発生原因に、なんだかんだ言って真田氏が関わっている気がするわけでー;。しかも、武尊山という山があって、日本武尊も取り憑いているし、ということで-;。道中に立派で素敵なキャンプ場とかもありましたが、群馬北部はけっこう油断がならないー、と思いました。そして、国道144号、145号は上田から沼田市まで整備されていて、要は真田氏の支配地をつなぐ「真田ロード」であって、かつては修験道や忍者の通る道だったんだろうなあ、と思いました。だから、真田は最終的には信濃松代藩に行きついて戸隠の忍者や修験道を仕切る立場になりましたけれども、それも偶然ではなかったんだろうなあ、と始めて思いました。もしかしたら、怨霊の作成と配置にまで真田は関わっていたのかもー、と思う。
昨日は外作業のみ、今日は買い物と外作業でした。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付けなど、姉は土の清掃、石片付けなど、私は土の清掃、土掘りでした。
テレビは昼は昨夜の「News Zero」の録画を見ました。昨夜は「夜会」、今日の昼は少し前の「モニタリング」の録画を見ました。