昨日は静岡静岡浜名惣社、初生衣神社、二宮神社、鹿苑神社、冨士浅間宮(遠江三ノ宮)、原川浅間宮を参拝して来ました。前日から大雨が降っていたことはニュースを見ていなくて知らなかったので、新東名が静岡のほぼ全域で通行止めになっていたり、東名も一部しか通れなかったり、山梨とを結ぶ高速や国道が一部通行止めになっていたことも知らず、現地に行ってびっくりしましたが、だんだん晴れてきていたので、時間が経てば交通網も回復するだろう、と思って旅は断行しました。中部横断道が富沢から先が通行止めだったので、そこから国道52号線を南下して静岡市に入り、国道1号線のバイパスで焼津ICまで移動して東名で三ヶ日ICまで移動して浜名湖に到着しました。東名に入ったときには浜松から先は通行止め、とアナウンスされていましたが、移動しているうちに豊川くらいまで開通したらしくて、三ヶ日まで行くことができました。で、浜名湖SAで休憩して地図を確認しました。私はだいたい、目的地の手前のSA等で最終的に地図をしっかり確認してどういうルートで参拝するのか決めるので。そうしたら近くに「浜名惣社」という神社があったのでそこも参拝することにして行ってみました。この時にすでに午後1時半になっていて-;。そうしたら神明社で、主祭神は天照大御神ですが、統治を開拓した人々の先祖が太田命(太田田根子)ということで太田命が祀られており、また伊勢神宮に織物を奉納していたとかで織物の神である天棚機媛と天羽槌雄を祀っていて。「うーむ」と思う。
天照大御神に関しては、どうやら倭姫命が天照大御神の座所が伊勢に決まる前に統治に滞在していた、という伝承があるそうで、いわば「元伊勢」の一つといえる立場ですが、そういう主旨の主張がないことが気になる。しかも倭姫命の道案内を太田田根子がした、みたいに書いてあって「うーむ」と思う。何故、天照大御神が各地をさまよった末に伊勢に落ち着かなければならなかったのかといえば、彼女を大和の宮中から追い出して、その代わりに三輪山の大物主を祀れば世が治まる、との託宣があったので、大物主の末裔の太田田根子に大物主を祀らせた、という逸話があるわけで、政治的には太田田根子は太陽女神信仰者達の「政敵」であったわけです。その太田田根子が倭姫命の巡行を仕切っていたのだとすれば、それは大物主を要する派閥が、天照大御神を宮中から追い出しただけでなく、その祭祀権も大きく牛耳ったことを意味するわけで、祭政的には完全な天照大御神派の敗北といえます。だって、祭祀権まで敵に押さえられてしまったことになるから。でも、天照大御神は女性に祀られていた通り、そして女王卑弥呼の時代には纏向で女王が三輪山の(おそらく)太陽信仰祭祀を仕切っていたと思われることからみれば、女王の死後、女性とその女神の権威が大きく失墜し、カモカモ系の太田田根子一派が宮中での発言権を大きく増したことを意味すると考えられます。しかも、太田田根子一派主導で天照大御神の鎮座地が伊勢に定められたのであれば、それは天照大御神にとって、良い鎮座地といえるのかどうか、ということになります。そういういきさつが、何故信濃国から一番遠い浜名湖に隠されているのか? しかも「元伊勢」の標榜もないし、ということにまずショックを受ける。
そして遠州も遠州紬とか織物の産地であって、縫製も少したしなむあたくしも「織り姫」の端くれなわけですが、天棚機媛と天羽槌雄といえば、特に天羽槌雄は秦氏系の神であるし、織物を伊勢神宮に奉納していたのは秦氏であるので、遠州の織物産業には秦氏の匂いがぷんぷんするように感じる。秦氏とカモカモ系氏族の「同じ」ではないのに密接な繋がりは各地に見られるので不思議ではないわけですが、加茂系の太田田根子の子孫であり、当地における古代の支配者であった縣氏と秦氏(服部氏)の関係性とか、縣氏の支配下でどのように遠州の織物産業が興されたのか、とかそういう説明が一切なくて「うーむ」と思う。だけど、歴史というのはそういう関係性を述べることでもあるので、要は当地でも、加茂系氏族と秦氏系氏族の密接な関係だけが明らかになっているけど、その歴史的経緯が一切隠されているわけです。それも日本各地で見られる傾向です。で、同じく織物産業が盛んな尾張真清田とかと比べてしまうわけですが、真清田では「織り姫」は天火明命の母神でもあって、尊敬を受けている。だけど、浜名湖では単なる「天棚機媛」で、下位の女神であるので、普通に祀られているだけで、それほどの敬意を受けているわけではありません。だから、尾張でも遠州でも、かつて織物は重要な産業であったかもしれないけれども、尾張では織物は「母女神」に関わる技であるので、関わる者だちも尊敬を受ける、でも、遠州では単なる織り姫の技なので、関わる人達も普通に扱われているだけ、という「現実」を発見する。要するに、生まれで身分が固定されてきた時代から、職業で身分が決まる時代みたいになる時に、誰かが「これは地位の高い職業」と決めたものは「母女神」とか「父神」とか身分の高い神の仕事とされて世間一般からも関わる人は尊敬を受けるようになるけど、「これは地位の低い職業」と決められたものは「生け贄になる女神」の技とされて従事者はただただ卑しいものと扱われ搾取されるのみとなる、ってそういう職業によるランク付けが、すでに古代においてなされているんだー。織物と縫製は普通は女性が関わることが多いわけですが、それに関わる女神の地位を低下させることは女性そのものの社会的地位の低下を目論むものといえる。そーゆー汚い真似する? 腐れ先祖がーーー、となるわけで、遠州で感じる女性差別的な空気の根源を見てちょっと気分が悪くなる。織物を秦氏と天棚機媛の「技」とすることは、それは彼らの身分が低いことを利用して、秦氏以外でも織物に関わる女性の地位の低下を目論んだことだし、それに伊勢神宮が一枚噛んでいるわけだ。女王卑弥呼が太陽女神と、彼女の技である「織物」を大切にして、女性の社会的地位を守ったのであれば、その真逆のことを大物主派はやったわけで、「政敵というのはこーゆーことなんだなーー」と浜名湖で思う-;。そしてそれをやったのが遠州のカモカモと秦氏であって、遠州における下社の影響力の強さからいって、信濃金刺氏の匂いもぷんぷんするわけですが、そういう形跡はよりにもよって「長野県に住む人からは一番わかりにくく」なっているわけだ。だいたい、浜名湖なんて道路上で遠すぎて長野からノコノコ行くところじゃないですよ。しかも、私が行く日に限って、なんで晴れても高速が通行止めのままなんで? と思うわけで。浜名惣社は最初から行く予定では全くなかったけれども、現地で「惣社に挨拶に行くように。」と言われたから行ってきました。要するに太田田根子とその一派が伊勢神宮で目論んだことは天照大御神と女性の地位と権威の低下である。同族であっても、彼らはあたくしの「政敵」である。
で、後は旅の目的は二ノ宮・三ノ宮巡りなので行ってくる。見附天神の前で「ひいじいさんはあなたが大口真神の名前を全て持っていっても文句を言わないでしょう。」と言われる気がする。槃瓠の名前を譲り受けるや? というか、本物のマーナガルム(北欧神話の狼の母神)じゃん? と思う。
というわけで、疲れ果てて家に帰ったわけですが。静岡で水災害に遭われた方々にはお見舞い申し上げます。あたくしの旅はまだ続きます。