本日はゴミ出しと買い物。長野市内に引っ越してきてだいぶ経ちますが、家の近くの買い物コースがようやくこなれてきた気がします。今月、スマホの100均よりも少しましなレンズを買ったので、空いた時間に少し試し撮りなどをしてみました。
昨日は工具の整理と土堀りでした。「工具の整理」とは、要は部屋の整理なわけですが、片付けが苦手なので、ほぼ親にやって貰って-;。工具は無事に見つかりました。でも、昨日はWindowsのアップデートがあってパソコンがあまり動きませんでした。
一昨日は埼玉加茂神社、氷川神社、中山神社、氷川女體神社、女體神社、調神社、足立神社を参拝してきました。大宮の氷川神社は本来氷川神社、中山神社、氷川女體神社の三社で一体のものと言われているそうな。日進町あたりの加茂神社は古社らしくて。富山の下村加茂神社は三つ葉の葵の中に梅花の紋でしたが、こちらは双葉のような葵紋でした。で、元々氷川神社というのは見沼の神(竜神?)を祀るものだったのが、見沼を徳川幕府が干拓したので、現在では元の沼の名残は氷川女體神社の祭祀場の跡の池のみ、ということらしくて。地図の上では、氷川女體神社の近くに大天白神社という神社がみられますので、大宮の「竜神伝説」とは元をただせば、カモカモの人達が持ち込んだ「天白信仰」なのだと思いますし、それが武州的な竜蛇女神信仰だったと思います。その形式は北部の利根川中流域付近の方が色濃く残っているように感じます。氷川系列ではその古い「竜蛇女神信仰」が「奇稲田姫」に置き換わっており、それが更に旦那の須佐之男の方が上位に来るように作り替えられているのだと思います。で、女神信仰から男神信仰優位に移し替える際に、神社の名前も「日川」という縁起の良い暖かい名前から「氷川」に変えてしまったのではないか、と思います。富士山の北麓にも似た感じで「寒川」という寒い名前がありますし、長野市の川中島にも「氷飽」という冷たい名前があって、これらはかつては太陽女神信仰の地だったのだと思います。富士山の「寒川」という地名は聖徳太子が書き換えた、とあるので、たぶん全部縁起の悪い名前に書き換えたのは聖徳太子ではないのか、と今では思う。たぶん、うちのカモカモカモ強盗団のトップがそうしろってゆったんじゃないのかねえ、誰も逆らえなかったところを見るとねぇぇぇぇ? と思うわけですが-;。というわけで、聖徳太子は須佐之男信仰の人であったし、父兄の信奉者でもあったのかと思うわけです。推古天皇とは仲が悪かったんじゃないの? と思うくらいである。
というわけで、大宮の本来の信仰の主神は、氷川女體神社の竜蛇女神であり、その流れは尾張真清田の母女神信仰、東海の浜松辺りで盛んな「加茂系氏族の母神としての竜蛇女神信仰」の流れに通じる女神であったもの(玉依姫かその母女神に相当する女神)だったのが、奇稲田姫に置き換えられてしまったもの、と思われます。須佐之男は五十猛類の神から信濃金刺氏に系譜が通じるように操作されているから、そもそも須佐之男は出雲系ではなく、加茂系とみるべき神かと思う。足立神社の主神も本来は五十猛だと思われるわけですが、現在では冨士信仰系の神々に置き換えられています。
でもってウサギで有名な調神社。本来は伊勢神宮の倉庫みたいな神社だった、ということで。伊勢の倉庫の神と言えば稲荷神ですので、本来主神としては稲荷神(倉庫の神)で正しいと思われますし、実際にかつての本殿が稲荷神の宮に宛てられているわけで。色々なことを思わせますが、ともかくウサギといえば「月」のトーテムなのは日本も中国と同じなので。「兎=稲荷神=大宜都比売」と主張したい神社に見える。大宜都比売は須佐之男に殺される女神ですので。「月の女神=稲荷神=殺されて利用される女神」としたいし、それを正当化したいがための神社のようにも思える。富山の放生津八幡宮でもなんかこーゆー構図を見たなー、と思うわけで。加茂系でも上位の思想と思われます。
というわけで、大宮の氷川関連は、加茂系の上位の女神殺しの思想と、何とか母女神に対する信仰を残そうとする加茂系の第二機能以下との思想の対立とせめぎ合いが強く感じられます。徳川は東海の浜松出身であり、竜蛇女神を信仰する加茂系の氏族の一つ思われますので、なんだかんだいって、見沼の竜神に対する祭祀を頑張って優遇したのは、それが自分たちの母神である太陽女神であるところの嫦娥娘娘への敬意であると知っていたからではないか、と思います。
で、一方氷川神社の方は明治天皇が優遇してたりしたらしので、明治天皇は須佐之男信仰の人だったのかなあ、と思う。
・・・・思う、というかなんというかー;。ぶっちゃけ、富士山の周辺には色々な怨霊がいて、鈍いあたくしでも3人ほどは認識できてた気がするわけです。一人は女性で二人は男性である。で最後にどっかの山で拾ってきたフグちゃんは、完全に正気ではなくなっていて、もう自分が人間であったことも忘れて、フグの姿しかとってないわけ-;。言葉もしゃべらないし-;。で、もう一方、利根川のほとりで出会った長良の大臣は、まあ変なんだけれども、自分が人間であったことも覚えているし、なんとなく人間の姿もとっているし、人の言葉もしゃべるわけで。怒って膨れているだけのフグちゃんに比べればまだよっぽどましなわけで。長良の大臣にはフグちゃんを押さえる力が強い、ということで、要は怨霊を持って怨霊を制する、というかフグちゃんを長良の大臣に預けて、某交通の要所に配置したわけです。というわけで、そこに近づくと頭痛がしますー;。だいたいフグちゃんって生きていた時はどこの誰? ということで。それはなんだか書けない気がするわけですが。富士山の近くには新倉山という山があって、でっかい忠魂の慰霊塔があるわけですが、その裏というか後ろに何故か明治天皇のでっかい銅像があってですねえ? なんで、こーゆーところに明治天皇? と思う。別にフグちゃんを新倉山から拾ってきたなんてことは一切ございません。元はめ・・・・とかなんてめっそうもありませんともさー;。
で、埼玉からの帰りに千曲川さかきのSAに寄ったら、何故か駐車場に大型のトラックが一杯停まっていて。我が家は普通自動車ですので、小型車のエリアに停めたのですが、気がついたら大型トラックに周囲を囲まれていて。家に帰って親に話したら「威嚇だねえ」と言われました。最近、若い人の中では、女の人が彼氏と別れた後に殺されて、元彼も自殺してしまう、という無理心中みたいな事件が多いと思います。これも威嚇かよ、いい年こいて何してやがる、とか、そういう気は私の中にあるのでしょうかねえ? と思うわけですが。「天岩戸神話」は須佐之男が天照大御神に仕掛けた無理心中なのでしょうか? ふられ男は死にたければ自分だけ死ねば? ってそういう感想しか出て参りませんが-;。