23年3月30日

 25日は静岡伊奈神社、角取神社、足柄峠聖天堂、鎌足神社、吾妻神社、延命地蔵。雨模様の日。広い範囲を走り回って、御殿場の地名の由来となった神社にようやく行けました。はっきりとした場所は忘れてしまいましたが、通りがかった道の途中の家の庭に、なんだか珍しい形に整えられた松の木があって。「写真に撮っておけばいいのに。」と言われた気がしましたが、雨が降っていたし、知らない家のお庭を撮るのも気が引けて通り過ぎました。家に帰って「SHOWチャンネル」を見たら、局長が御殿場に取材に行っていて、昼間見た家は民宿さんだったことが分かりました。「あの木、今日の昼間見た-」とキャーキャーとミーハーに騒いでしまいました。

 29日は静岡第六天神社、金時神社、雲霧神社、山梨稲荷神社、福地八幡宮、弁天神社、宗吾神社、小室浅間神社、新倉富士浅間神社を参拝してきました。静岡はこれにて締めます。あちこちでいろんな御霊に出会った旅でした-;。怨霊じゃなくて、御霊はときに人間の形を取っていなくて、蛇体になっていて、なんだかいじると「尻尾が~」と言われる気がする。で、そうなっているとあんまり正気ではありません-;。でも1体だけ魚の形を取っていて、いじったら怒ってフグみたいに膨らんでいて、なんだか「福ちゃんならぬフグちゃんだねえ。」と言われる気がして。利根川のほとりで出会った長良の大臣がだいぶ正気に戻ってきたので、御霊を扱うのにだいぶ助けて貰った気がします。標高1000mで出会う怨霊がフグ・・・シュールすぎる-;。

 で、遂に「只」といううたい文句に引かれてスマホを入手しました。自宅にwi-fi環境は整っているので、家でネットをやる分には困らないわけですが、家人には内緒です。で、ここ数日設定にあくせくしていました。おかげで天気予報と簡単なニュースのチェックと、簡単な写真の設定と。家族のニーズにありそうな分は設定ができました。(動画の見方なんかは教えない。ゲームとかは、自分がやらないように自重しないと-;。)なんだか、一部の兄さん達に「自分の画像をネットで拾って、いつでも見れるようにスマホに入れとけ」とか言われる気がする@@。あちこちうろついていると「気になることはメモしてスマホに入れておくといいよ」と言ってもらえたりする-;。しかも「自分の曲を着信音に」とか、そういう売り込みも激しいです。そんなあれこれ加工している暇がどこにあるのか?? と思うわけですが-;。勉強中です。電話の設定だけで一杯一杯ですわ-;。

23年3月23日

 昨日は山梨西湖薬明神社x2、魔王天神社、加古坂神社、忍野天狗社、富士浅間神社、内宮大神社、都留富士浅間神社、向原小明見富士浅間神社、南朝英霊神社・泰山府君大神社、不二阿祖山太神宮、大明見北東本宮小室浅間神社を参拝してきました。富士吉田氏には「徐福伝説」があって大明見北東本宮小室浅間神社、南朝英霊神社・泰山府君大神社(大明見北東本宮小室浅間神社の古宮?)がゆかりの場であるようです。「徐福伝説」というのは、「徐福」という人物が秦の始皇帝の命令で東海に「不老不死の薬」を求めて中国から出航し、日本にやってきた、というもの。丹後半島とか富士山(「蓬莱山」に見立てられたそうな)に伝説が残っていて「子孫」を称する人々もいるとのこと。

 ただ、全体から見ると富士吉田市は秦氏関連の神社がちょいちょい見れて、秦氏の影響力が強い地域に見えます。そして「阿蘇?」と思うわけですが、どうやら富士信仰の一番最初は阿蘇関連の人々が祭祀を行ったことにあるらしくて。阿蘇氏といえば、あたくしの認識では、信濃金刺氏に近い同族で、王氏(多氏、賀茂氏ともいう)系氏族の中では、金刺氏とは双子の兄と弟のように近い立場であって、第1階級(祭祀階級)の人々では? と思うわけで。そういえば、御前崎の池宮神社は諏訪系の神社なのに瀬織津比咩命(天照大神の荒魂)と建御名方命を祀っていて、確か阿蘇出身の皇円とかいう坊主が入水した池があるはず、と思う。松本では諏訪系の神社なのに豊玉姫命を祀る沙田神社がありますし、山中湖の諏訪神社の祭神は豊玉姫命である。豊玉姫命は神武祖母で、山幸彦の妻で竜神とされているので、九州系の神? なんで諏訪神社に祀られているのか? と思っていたら、「富士山」を管轄しているのは、要は阿蘇氏と配下の秦氏であって、「諏訪神社」の名前を冠していても、仕切っているのは阿蘇氏なんだ、あるクマじゃなくてくまモンだーーー、と思ったわけで。彼らが東海から富士周辺の諏訪神社と富士浅間神社を祀る主体なのではないか、と思います。だから、近縁の諏訪下社との関連が強く示唆されるのに、どうも凶悪で男尊女卑的な文化が東海を中心にはびこっていて、あんまり東国的でない、と常々思っていたら、九州の男尊女卑モンが上層部なんだー、となんとなく納得がいったわけで。富士の鬼門の怨霊系神社(南朝英霊神社)と泰山府君大神社の「日月星」の石碑を見て、苦笑いする。泰山府君は、要は「道教の閻魔様」というべき中国の神様であって、あたくしの認識では別名が「北斗星君」でいいんじゃないか、と思うわけで、北斗の死神・伏羲君の分裂体みたいなイメージである。それが富士浅間の古宮に祀られていたら、「富士山の神」として元々阿蘇氏と金刺氏が祀っていたのは泰山府君の方なんじゃん? 私の認識では別名「共工」でも同じことで、それは5千年も前の良渚文化の頃にはあからさまに「我が家」の神だったんじゃないのかねえ? と思うあたくしである。ということは「豊玉姫」も「木花之佐久夜毘売」もせいぜいが「共工」の操り人形とみるのが妥当であると思う。そして、阿蘇氏の建御名方命はあからさまに風神であり、かつ「祟り神」扱いである(角も生えているらしい)。どちらにしても、富士信仰絡みの「諏訪神社」は大分、本家の諏訪とは違った解釈で使われているし、「富士の神」そのものの下手にはおかれているけれども、その上位の真の「富士の神」とは泰山府君? って感じである。富士の北東に「日月星」ですが、富士には南西にも「日月星」の碑があるわけです。で、一方、北西の山梨三郷に「八乙女神社」がある。南東の三島付近にも「八乙女神社」がある。八乙女ラインの線と、「日月星」ラインの線は、大雑把に見て、富士山で交わって「グランドクロス」を形成してませんかねえ? 阿蘇さんねえ?? と思ったあたくしである。富士山はおそらく榛名山と同じで、縄文系の人々にとっては「神の山」であっただろうし、神とは女神であり、鹿の神でもあったのではないか、と思う。その流れを受け継ぐのが「木花之佐久夜毘売」であって、彼女は一見すれば春の女神に見えるわけですが、山頂には須佐之男(日本の泰山府君)が取り付いてるし、異国の九州系の神々の「十字」で山の女神が封印されてるような? と思う。で、かぐや姫のような「夜の神」に変貌させられているように思う。かぐや姫とは死に神に取り付かれている「木花之佐久夜毘売」である。泰山府君はねえ、どうなのかねえ? とは思ったわけですが、「神社」とあるので、日本式の神社の拝礼と、ごく簡略化した道教風の拝礼の両方をしておく。まあ、どっちにしても中国から来た金刺氏にとっては「我が家の神」であろうし。道教の拝礼を武蔵国で教わっておいて良かった、と思ったですよ。まあ、そんな感じの富士北嶺の旅だったわけです。

 本日は買い物、ゴミ出しでした。夕方からは雨。

 テレビは昨夜は「Premium Music」、今日の昼は「ブンブブーン」の録画を見ました。