本日は静岡行き。川除地蔵尊、小梳神社、別雷神社、伊河麻神社、登呂遺跡、羽車神社を参拝してきました。良く晴れていて暖かく、富士山が良く見えました。
登呂遺跡は親のリクエストがあって行ってきました。静岡へ行ったらどこかで見る機会があれば「どうする家康」のポスターを見たいと思っていましたが、登呂遺跡博物館で見ることができました。ラッキーでした。
で、伊河麻神社。群馬には「伊香保神社」という神社・地名がありますが、これは「怒れる穂(火山にして稲穂の神)」という意味で榛名山のことだと言われています。ということは「伊河麻」というのは「怒れる麻(火山にして麻の神)」という意味で、富士山のことではないか、と思うわけです。他に近くに目立つ火山なんてないし。・・・火山の神サマに、穀物の豊穣ではなくて、麻の豊穣を祈るの? そりゃあ、主食よりもよっぽど大事なものだよねえ? 大麻の原料だもんねえ? と思う時点で、「なんかもうキレそう」と思う-;。ダイエット中でお腹もすいているしー;。
登呂遺跡。民俗学者がこういうところを覗くと、民俗学しか見ない、ということで。「稲作民族には鳥信仰がつきもの」みたいなアバウトな説明書きがあって、出土した「鳥形」が展示されていました。その鳥がどういう鳥なのかが大問題である。ちなみに、「鳥神」は別に稲作民族の特許ではないので。あちこちにあらゆる形で出てきます。現在「神と獣の紋様学」という中国の獣面紋の本を読んでいるわけですが、「空飛ぶ鳥熊しか出てこねーだろ」という惨状なので、こちらも「なんかもうキレそう」という感じであって-;。登呂の「鳥神」なんて十中八、九、八咫烏か「空飛ぶ鳥熊」だと思う。「空飛ぶ鳥熊」って何のことかというと「北斗七星とそれ関連の星神のこと」です。おおぐま座・こぐま座あるいは「天の荷車」と言われるものです。でも、荷車でなくても普通に戦車とか、そういう乗り物で良いと思う。ともかく、これらの星々は「地平に沈まない星」ということで「不死の星」と考えられていて、「不死の象徴」だったわけです。というか、古代世界にはそううことだけ考えつくのが得意なうちの先祖がいたわけですな-;。
というわけで、「鳥形」を見て「どうせアルクマ」と思うあたくしである。炎帝のなれの果てである。
で、遺跡から出土した種類の中に「フクベ」だの「センナリビョウタン」だのがあって、またまた「なんかもうキレそう」と思う-;。それは瓢箪小僧の伏羲であって、これまた「北斗七星」の象徴である。だいたい、そういう意味がなかったら、なんでわざわざ瓢箪なんて食べられない物をせっせと作るのか、と思う。しかも、なんで瓢箪なんか作ってたのか説明が一切ないし。2500年も経ってても、「なんで瓢箪を作ってたのか言ってはいけないことになってるんですかねえ?」と思って、更に「なんかもうキレそう」と思う-;。その瓢箪小僧は、うちの先祖のアルクマのトーテムの一つである。(熊そのものもトーテムなんだけれども)
で、遺跡から麻布が出てきたってあって、もう「ブチキレそう」と思う。そして麻なんぞ、どこでどう作ってたのか、という点はやはり一切説明なし。水稲耕作と大麻と恐喝を使って現地住民を支配して甘い汁を吸ってた奴らがいただろう、いや、いたに決まってるーーー、と思うー;。そいつらの神サマが富士山であり、伊河麻神社なんじゃございませんのかねえ? と思う。
で、鉄器を使ってたって見ると、それは金山彦の管轄ー、と思う。鉄器で木工芸をやってたって見ると、それは五十猛神の管轄ー、と思う。
で、神明作りの神殿があって、琴を使って祭祀をやってた、ってあって「うへー」と思う。熊襲を撃つときに仲哀天皇が琴を弾いて神を下ろして占いを行ったという故事の通り、それは男性が「神を降ろす祭祀者」であると同時に、異界から何か祟ると考えられていたものを降ろす祭祀をやっていた証拠でもある。だって、仲哀天皇はそういったものの「祟り」で死んだことになってるし。だいたい、そうやって祟るものは、死んだ先祖だって、たぶん読み進めると「神と獣の紋様学」に書いてあると思う。彼らが祟らないように子孫や人々は祭祀を行い、奉仕を行わなければならないわけです。
ということで、弥生中期からすでに古墳時代から現代にまで通じる日本の神々や祭祀の原型がすでに弥生中期には揃っていたこと、そしてそういうものの周辺にちらつく「麻の葉っぱ」というものの汚さに愕然とする(泣)。
で、空腹その他で「キレそう」な心をお昼ご飯で癒やしてから羽車神社に行く。Wikipediaには、『三保の松原には「羽衣の松」があり、羽衣の松から御穂神社社頭までは松並木が続くが、この並木道は羽衣の松を依代として降臨した神が御穂神社に至るための道とされ「神の道」と称される。現在でも筒粥神事では海岸において神迎えの儀式が行われるが、その際に神の依りついたひもろぎは松並木を通って境内にもたらされる。これらから、御穂神社の祭祀は海の彼方の「常世国」から神を迎える常世信仰にあると考えられている。』とあるわけで、神々は「羽車」に乗って降臨してくると考えられてる。「羽車」って何? って、それはおそらく「北斗の車」のことであると思う。静岡じゃ、もう2500年もの伝統ある「北斗信仰」であって、それは常世信仰とも関連しているわけです。「常世」とは「永久に変わらない神の世界」であって、北斗七星他は「永久に沈まない神々」だから。
というわけで、麻と瓢箪と水稲耕作、の三拍子が揃っている登呂遺跡を見学して、あたくしはどうしてもその先に同じ文化である「更埴条理遺跡」を見てしまう。そこでは、おそらく豊穣か治水に関して、「川に人を逆さづりにして生贄にしてた」と思われる祭りが今も行われている。麻は今でも鬼無里で作られているし、誰もどういうわけか深く言わないけれども「大麻取りしまり法」ができるまで麻糸の商売で大もうけしてた商人は近くにけっこういたはず。だいたい、うちのじいさんがそういう麻糸商人だったわけだし。
静岡も治水と人身御供の伝説には事欠かないところで、安倍川、富士川、田子の浦とゴロゴロしてる。大麻と水稲耕作技術と「逆らったら生贄にされる」という恐怖政治の3点セットが2500年前に存在したとして、誰がそういうとんでもない政治をしてたのですかねえ? イオタケの家系、多氏の人々なんじゃないの? と思うわけです。
で、ともかく帰る時に、ガソリンスタンドに寄ったら、なんだかまーくんの曲が流れていて。「スタンドの人がファンなのかな?」と思っていたらラジオであって。「あー、土曜日だー、魂のラジオだー」と思い出したのでした。今日はまーくんの曲をたくさん聴いて頑張ったのでした。