本日は外作業と買い物。外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等でした。私は土の清掃、土掘りでした。昨日あたりから急に寒くなっています。
裁縫はお休み。
テレビは、今日の昼は「ニノさん」の録画を見ました。
昨日は静岡へ出かけ、御前崎を中心に静岡白羽、駒形、御前、渚の宮、池宮、高松、三熊野を回ってきました。何故御前崎に行ったかというと、そこが富士信仰と関連したレイラインの起点らしい、と久能山で読んだから。白羽神社と駒形神社は一体のものであって、駒形神社が「元宮」と言われてるらしいです。祭神はニニギ、豊玉毘売、玉依姫なので、賀茂系でもあり、竜宮(常世)信仰的でもあり、と思います。白羽の方は「服」にも関する神社とかで、秦氏の気配がチラホラとする気がします。駒形は馬ですから、たぶん祭祀で馬を殺して海に奉じてたのかなあ、と思います。殺牛よりも殺馬の祭祀の方がちょっと珍しい気がしますし、場所柄と祭神からいって富士信仰と関連すると思います。此花咲也姫は織物にも関連しますし、元々馬は絹の豊穣に関する生贄でもあるので。ということで、馬娘頭といえば中国、中国といえば金刺、とそういう匂いもぷんぷんする気がー;。金刺氏と秦氏の分布範囲は重なりますし、やはり富士信仰には金刺氏が関わっているなー、と思う。
で、池宮神社。法然の師匠とかいうのが取り憑いている池があってー;。今では「池の水を大事に」とかっていって、鯉の餌も水を汚すものは禁止されているというのに、人間の死体を池に投げ込むとはどーゆーことか。死にたければ地元の海にでも飛び込めば良かったのに、と思う-;。諏訪湖は「遠州サナキの池」と湖底で繋がっているという伝承があり、こちらの桜ヶ池のことでも良いかと個人的には思う。ともかく、入水した坊主は熊本の出だそうで。熊本の国造って言ったら、信濃国造金刺氏の親戚筋である。池宮はどう見ても、建御名方命が祀られているし、織女の瀬織津姫が祭神だし、瀬織津姫なんて八坂刀売とか此花咲也姫とかの同類項なので、「下社」という言葉が頭の中をぐるぐる回る。長野から車で高速を飛ばして5時間もかかるのに、出会うのは下社と関連してそうな、どう見ても親戚の坊主の怨霊である。諸行が無常すぎて泣きそうでしょ、怨霊の調伏は疲れるから嫌なのにー、と思うけれどもやることはやる-;。まあ、お参りするだけなんだけれども。馬の怨霊とか、動物霊はともかく坊主の怨霊とか、静岡はその手の話が多い気がします;。鯉の餌売りのおばさんと、禰宜のおばさんがなんだかちょっと嬉しそうだった気がするのが救いだった気がするわけで。
で、家に帰ったら『ベストアーティスト』の最後のところ、ゆずの兄さん達のところだけがリアルタイムで見れて。翔くんが嬉しそうな顔をしていた気がして、それにも救われて。で、寝ようとしたら
「羿が10個の太陽を射落とした、と言っても、そもそも太陽が一度に10個も出るはずないでしょ。羿が射落としたという9羽の烏(太陽)は北斗七星のことなんじゃないの。」と言われる気がするわけで@@。だいたい「人は死ぬと星になる」と言う。天の中心は北極星である、というのが古代中国の考え方である。太陽神が殺されて死んだら、北極星という名の烏になるんじゃないの? と思う。北斗七星は古代中国では星が7つ固定ではなくて、8個とか9個とも言われていて。「八咫烏」とは「北斗七星」のことか? と思う。人間の生死を定め、天変地異や災害、戦争の有無を定めるのも北斗七星である。では、「我こそが八咫烏である」と公然と名乗る者がいたらどうなる? その者こそが、災害や戦争を自在に起こせる者、とならないだろうか。それって、土木建築工事でわざと後でおかしくなるように手抜き工事したり、戦争の時に捕虜を虐待して後々まで恨まれて、互いに憎しみ合うように仕向けたり、ってそういうことをわざとやらせる人のことだよねえ? と思う。特に7000年前から代々、そういうことを心がけて来た一族がいるらしい。彼らの祖神は、死して北極星となった「啓」なのだと思う。太陽も月も彼の道具に過ぎぬ。・・・・というか、「啓」が「生まれ変わることのできる人」であるならば、その人は人類が続く限り「死なない人」でもある。まさに、永遠を生きる北極星であり、神である啓サマですか、へー、ということで-;。御前崎に行ったら、こういうことが分かるようになった? らしいです。兄さん達も「祝(ほうり)」として大活躍ですな<(_ _)>。