本日は外作業と両親の病院。外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等でした。私は土の清掃、土掘りでした。
裁縫はお休み中。
昨日は山梨の山の中を駆けずり回って黒平(くろべら)という所の黒戸奈神社(くろとなじんじゃ)というところに行ってきました。黒戸奈というのは「くろべな」とも読める、ということで、延喜式内の黒戸奈神社と考えられているそうで。祭神は大山祇神(オオヤマツミノカミ)ですので、割とありふれた「山の神」なわけですが。「奈(な)」という言葉は「の」という意味でもあるので、「黒戸奈」とは「黒戸の」とか「黒部の」という意味になります。尾張にも「尾張戸」と書いて「尾張部」という意味の神社があります。で、
黒戸=黒部
として、どういう意味なのだろう、と思うわけです。富山にも黒部という地名があります。だいたい「部」というのは何かの職業集団を指すような気がするわけです。古代では、物部といったら陸軍、海部といったら海軍のことを指します。「黒部」って?? と思う。どうやらそういう「部」が山梨と富山にあったのかと思うわけです。
富山で黒部っていったら立山のことで、立山の神は天之手力男神です。で、甲府盆地にも何故か天之手力男神がよく祀られている気がして。なんだか開拓神話と関係しているようなのですが、記紀神話では天之手力男神は天の岩戸に出てきますから、「開拓神」というのもなんだかちょっと変? みたいな気がして。なんで、「黒部」とつく地域には天之手力男神がいるんだろう? と思って。
でちょっと検索してみたら、「ん?」と思うHPがあって。昔は忍者の女性のことを「くのいち」と言ったそうで、これは「女」という字を分解したものだそうな。で、男の忍者のことは「タヂカラ」と言ったそうで。「男」という字を分解して・・・あれ? ということは、天之手力男神の「タヂカラ」も「男」の字を分解しているってことだよねえ? 古代の昔からそんなことやってた? と思う。そういや戸隠にも天之手力男神も忍者もいたわー、ということで。天之手力男神というのは、要は「忍者の神サマ」ってこと?? と思う@@。ということは
物部=陸軍、海部=海軍、黒部=諜報部
だわー。戸隠が開かれたのはけっこう時代が遅かったので、もう「黒部」とは呼ばなかったのかもしれませんが、その代わりに「忍者」と言っているわけで。修験道と黒部は密接に関係しているから、戸隠も立山も金櫻も元は「諜報部」の山で、長野県の周りにはスパイがいっぱいいたっぽい。戸隠の忍者と修験道の元締めは、江戸時代は眞田が仕切ってたわけで、眞田ってどこの藩の人だったかなー、と思うわけで。そういえば信州新町の近戸皇大神社にも「天照大神が天の岩屋にかくれたとき、手力雄命が天の岩屋をここまでかついで来た。でも岩屋にまだ近かったので、もう一度かついで戸を隠したところを戸隠、最初に戸を降ろしたところを近戸と呼んで神社をまつった。」という由来譚がありましたな。山の中の妙に立派な神社は油断ができねえ、と思った新米修行者のあたくしでした-;。「戸隠」というのは忍者の神サマを祀る「隠密部」とも言うべき地名であるらしい・・・。でも、最初の「隠密の戸(部)」をどこに手力雄命は置いたってあったっけ? そこが「中央諜報部」って意味じゃないよねえ? と始めて思う。古代世界において、物部も海部も大和朝廷も、誰もが恐れていた「黒部の中心」はどこにあったのでしょうか? 古代において、物部を倒し聖徳太子を助けたと思われる「黒部」(おかげで聖徳太子と善光寺はべったりである)、「常世教団」と表裏一体であったと思われる「黒部」、平安末期に義仲の挙兵と進撃を底支えした「黒部」、掘れば掘るほど「変なモノ」しか出てこない金刺氏である-;。でも、忍者の神サマかー、そうかー、とはいえ、手力雄命は元々あたくしの槃瓠なのだからあたくしに返して貰うことにいたしましょう。死して屍拾う者なし、だわさ(苦笑)。
テレビは今日の昼は「ブンブブーン」の録画を見ました。