本日は外作業と買い物。外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、土掘り、土の清掃でした。
裁縫は、少しだけ。
やはり中国神話を勉強するには成書が必要ということで、頑張って袁珂大先生の中国神話・伝説大事典を買いました。これも読まずして大センセイにたてつくなんてとんでもないーー、ということで。富山の日置神社で面白い額を見つけたわけです。「日置」という字の「日」という字の外枠が「丸」で描かれていて、真ん中の横棒のところに「鳥」が描かれていました。まるで「太陽の中に鳥」が描かれているかのように。要するに「太陽と三足烏」を現したかったのかな、と思う。でも、この鳥には足がありませんでした。袁珂大先生の中国神話・伝説大事典を手にとってみたら、表紙に「太陽と烏」の図があった。でも、太陽は真っ黒で烏だけが赤っぽいわけです。「む、それは逆の図では」と思う。烏は黒いもので、太陽黒点とかを現す、とそういう説があるはず。しかも、中国神話・伝説大事典の烏は「二本足」だった・・・。普通烏が三本足なのは「奇数が陽数」ということで、「めでたいこと」の印なはず。二本足だと「陰数の烏になって、不吉な鳥になってしまうような??」と思う。
というわけで、富山の片田舎の日置神社の「足なし烏」も袁珂大先生の「二本足烏」も、元にある思想は「同じもの」であって、「太陽を真っ黒くして殺してしまう烏」という思想の烏だと思うし、そういう思想が古代中国に始まって、今でも富山の片田舎にも、中国神話の大権威の中にも取り憑いてはびこってるんだなー、なー、なー、とエコーがかかっているかのように思う-;。でも、色々なことを理解するのにフィールドワークは必要である。成書も必須だー、ということで。「偽物の烏」の本を読んで「太白」の項を調べるあたくしである。勉強にはなります。でも、「偽物の烏」とあカモカモカモ強盗団のトップのことでもあると思うので-;。上の方は「嫌がらせだ-」と思いそうである。だって、「偽物の烏」とは「太白」のことであり、日本では「天白」と呼んでいるものだからである。なんで、「黒い烏」が「白」なのか。そこがミソなのです。(でも太陽鳥は赤烏とも呼ばれる。別に伝承上の鳥だから、現実の烏とあんまり似てなくても良いわけですが。)
テレビは昨夜は「夜会」の録画他、今日の昼はかなり前の「夜会」の録画を見ました。