22年9月10日

 本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、石の片付け、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。ここのところ雨が多かったので庭がジャングルのようになっています。

 裁縫は、シャツがカフス作り、父親のシャツもカフス作り、簡易シャツは袖口の始末でした。

 テレビは昨夜はてっぺいちゃんの「SONGS」、今日の昼は「A studio+」の録画を見ました。てっぺいちゃんもいつの間にか60を過ぎて貫禄だと思う。ちょっと太ったので、年とってから太るのは健康の観点からちょっと・・・。もう少し痩せないと、と思う-;。そして、てっぺいちゃんを見ていると、なんだかベレーを被った制服組が降臨してきて「尻に敷くなら石井竜也!」と言ってくる気がするわけで-;。だいたい、私がてっぺいちゃんを尻にしく図が想像できないんだけど?? と思う-;。「RIVER」ってそんな曲だったけ? ソロ3年目の曲なあリアルで知っていたはずだし、なんだか聴いたことはあるんだけど?? と思う。てっぺいちゃんを見ていると色々なことを思い出してちょっと複雑ですが。ちょこっとだけ出ていたボンちゃんがなんだかものすごく嬉しそうな顔をしていたのが印象的でした。てっぺいちゃんは中身は相変わらずな気がしました-;。

22年9月9日

 本日は三河行き。大社神社、龍城神社、猿投神社のみ。三河もこれにて閉めます。わけの分からない猿は宇宙の彼方にでも投げ去るのが妥当な件についてー;。

 大社神社。出雲大社を勧請したもので祭神は大国主命とのこと・・・のはずでしたが。後戸に管公がいるー;。しかも、稲荷に進雄君(三河では須佐之男のことを進雄と呼ぶ)が何故かいる・・・。なんで? 木の神サマだから?? と思う-;。で、何かお祭りの準備中だったのか拝殿が開いていて草を干してあって、外に稲も懸けて干してあって。拝殿の草を「これ何だと思う?」と親に聞いてみたら「穂を取った稲みたい」と言われる。穂がついている方は「これ実ってない稲だよね。秕を神サマに捧げるの? 実っているものを捧げてこそ意味があるんじゃないの?」と言われる。・・・実っていない穀物ってアッティス? と思うわけですが、祭りの詳細は分からないので何とも言えない。神サマがお腹がすいちゃうんじゃないですかね??

 龍城神社。道中「岡崎に城があった気がする」と言われる気がする。地図を見たら「龍城神社」という面白い名前の神社があったので寄る。岡崎公園の中に家康の産湯の井戸とか、龍城神社があって。龍城神社は徳川家康が主祭神で、生まれた時にめでたい龍が現れた、とかそういう逸話があるらしい。岡崎城とか資料関係の施設とか、来年の「どうする家康」に併せて修復というかリニューアル工事中かと思うわけですが。「松本潤の婚約者が来た-」とかって言われる気がする(笑)。空耳万歳! ということで(笑)。竹ちゃんにも喜んで貰えたし、良かったと思います。おみやげにまたういろうを買った(笑)。

 猿投神社。境内に神職の方がいて。「猿神なんで美女と野獣と同じ、って日記に書かれるまであと10秒」とかってつぶやかれる気がする-;。道中に亀首という変な地名があるし、もう行く前から何だかなー、という感じである-;。で、祭神は大碓命で、小碓命に殺された人である。で、「大碓命はこの地の開拓に尽くしていましたが、猿投山で毒ヘビのために亡くなったとされています。」とのこと。で、大碓命は左利きだった、とのことで左利き用の鎌が奉納されたりしてるとのこと。あとは「木の棒(竹刀の原型?)」も奉納される、とのこと。で、猿はどこに? と思うと、境内内にいわれはなかったわけですが、

社蔵縁起書に「景行天皇五三年天皇が伊勢国へ行幸、常に猿を愛し玉座に侍せしむ。猿の不祥あり。天皇にくみて伊勢の海に投げ給ふ。其の猿、鷲取山に入る。日本武尊東征の時、壮士三河国より来りて従う。平定の後、尊に曰く、先に愁思を蒙れる猿なり。勅思に報ずる為、扈従し奉ると言い終って鷲取山に入る。猿投山の称、是より起る」とある。 (猿投神社、https://www.jinja-net.jp/sanage-jinja/

とのことで、景行天皇の飼っていた猿が悪さをしたので、伊勢湾に投げ込むと猿は山に逃げ込んだ。後に日本武尊東征の時、三河国から日本武尊に従った武人が平定を助け、平定が終わると「自分は景行天皇に仕えていた猿です」と言って元の山に入ったので、その山を猿投山と呼んで、猿を猿投神社に祀った。

ということになるらしいです。亀首のことは、「猿投山南麓に位置し、熊野神社地を亀甲山といい、1本の松樹が亀の首に似ていたことからとも、紀州の地名亀首を称した(株式会社葵エンジニアリング、https://www.aoi-eng.co.jp/river/yahagi/timei/page/4/)」という説があるそうです。)」という説があるそうです。そのあたりは昔「三河国加茂郡」と言ったらしい。

 で、私見。伊勢湾の猿といえば猿田彦なので。ここでは

殺す人:景行天皇、日本武尊

殺される人:猿田彦、大碓命

という重ね合わせがされています。で、大碓命は「山で毒蛇に噛まれて死んだ」とあるので、元は山(と水)の女神に生贄にされて殺された、という意味が含まれているのだと思う。で、広く「二人兄弟」という説話群があって、兄弟の片方が死ぬ、という話があるわけです。残された方が、それに何らかの形で関わる(兄弟殺人とか、逆に復讐とか)パターンもあるし、関わらないパターンもあります。これにも意味するところが複数あって

1.死んだ方は神への生贄である

2.殺す方が身分が高く、殺された方が身分が低い、という序列を示す

3.炎黄闘争を投影したもの

と3種類くらいの意味があり、1つの意味を示すこともあるし、複合的な意味を含むものもあると思う。猿投の場合は、

東国平定のための生贄、

収穫物の豊穣を得るための生贄、

炎黄闘争の投影と問題点の解決

を示したものだと思います。生贄という場合は、毒蛇、おそらく元は山の女神に捧げる生贄を示していたのだと思います。でも、中京と東海のあちこちを見るに

「猿神に若い娘の生贄を捧げる」

という話がけっこうあるので、これは殺された猿神を再生させるために、定期的に若い娘を妻として生贄に捧げ、豊穣を得る、という展開になるわけで、人身御供が慢性的になって御霊のインフレーションを起こすわけです。で、今度は逆に「殺された娘達は山の蛇女神と同一になる」「最初に殺された猿神も蛇女神と同一になる」ということで、いつの間にか「女神が生贄で殺されることになる」のが見付で見たような東海式の発想である。「美女と野獣」といえばその通りなわけですが。西欧では

「家族のために野獣と結婚した心優しい娘が一番幸せになる」

という思想が、

「謙虚な気持ちで自分自身を犠牲にして神や他人に仕える者が一番天国で幸せになる」

というバチカン的キリスト思想へと発展するわけで、「猿の亀の頭の思想?」となるわけです。というか、ブンブブーンを見ていると

「亀首って要は亀頭と同じ意味でしょ。」

と言われる気がするわけで@@。それは国縣と同じ思想では、と思うわけですが-;。ともかく、そうやって、元々は女神の山だったものが、生贄になったはずの猿神が「女神と同一になった」という言い分で山を乗っ取ってしまったのが猿投神社に思えるわけで。「猿投のベルはどこだ?」と探すとちゃんと境内に滝もあるし弁財天もあるから、それが逆に「あら不思議」となる、とそういう感じであって。

 だから、地上に降りた須佐之男も、「天照のために殺された」→「天照と同一になった」→「天照(太陽神)になった」→「太陽神になった猿田彦」となって地上に君臨するわけで。これが炎黄闘争で黄帝に殺された炎帝の日本の国での末路であって、それを祀ってるのが地名に残っている加茂と。そうなるわけです。

 とすると、

炎帝(饕餮)=須佐之男=猿田彦=猿投の大碓命

黄帝=(天之手力男神)=景行天皇=日本武尊

となるわけで。で、各地の炎黄闘争の神話を見ると、「怪物を退治した英雄」もだいたい「悲劇の死」を遂げることが多い。それは、要は

「黄帝が悲劇の死を遂げた」

ことを意味します。日本武尊も悲劇の死を遂げる。

でも、猿をある意味殺した景行天皇は悲劇の死を遂げません。伝説の上では。すなわち、

景行天皇とは、黄帝が悲劇の死を遂げた(それはある意味、神を殺したための祟りとか罰であった)、という問題を解決し、

「悪神を退治した上に、天寿を全うした正しい天皇であった」

という天皇を作り出すために作られたアイコン(要は架空の人物)だった、そのために景行天皇と猿退治の伝承は必要だった、ということだと思います。

大碓命(炎帝)と日本武尊(黄帝)が兄弟だった、という伝承はレビラト婚を成立させるために作り出された話だと思う。レビラト婚とはルツ記にあるものが一番有名だけれども、男性が子孫を残さずに亡くなった時に、残された妻は男性の親族の男性と再婚するし、再婚の結果生まれた子供は、生物学的な父親の息子ではなくて、母親の先夫の子供とされて先夫の権利義務とか家名とかを相続する、という制度である。そうすると、炎帝の寡婦が兄弟の黄帝と再婚して子供を作り、炎帝の子として炎帝の地位身分を継承させた、という話を作るために、そういう設定を作り出していると思うわけで、そういう嘘八百を当たり前のように平気で言うのがカモカモである気がする。しかも、自分達に都合の良い「景行天皇」を作り出すために、「平定された」とされている東国の人々を踏み台にしてるでしょー、それが一番悪い、と思うわけで-;。

 というわけで、カモカモ団の上の方は、本当は黄帝の子孫なのに、「黄帝と炎帝は兄弟だった」と言い張って「レビラト婚」の成立を主張し、「自分達は炎帝(須佐之男)の子孫だ」と言ってるわけだ。もちろん違法な点なんかありませんよう。黄帝と炎帝が本当に兄弟だったならね、それがそもそも本当ではなくて詐欺なんじゃん? と思う。

 ということで、三河の旅もこれで締めます。これまでに締めたのは飛騨、三河、遠江、尾張なわけだ。もうちょっとあたくしの旅は続きます。