22年9月4日

 昨日は名古屋市街地の旅。一方通行が多くて、目的地に行き着くまでのコツをつかむまで街を何度かぐるぐる回ったりしていました-;。参拝したのは豊国神社、泥江縣神社、那古野神社、東照宮、名古屋総鎮守若宮八幡宮、大須観音、高牟神社、物部神社でした。秀吉、家康と総鎮守、式内社中心ということで。名古屋は信長、秀吉、家康にゆかりの地でお城もあるので、八幡が多かったかな、と思います。そして、古いものほど物部尾張カモ系の神社が多いのはやはりこの地の特徴と思う。ともかく、前回「名古屋には有名な生地屋があったはず・・・」となんとなくささやかれる気がするので、織物の街なだけに、「行かなきゃいけないのかも」と思って。都会はできれば避けたかったのですが、行くことにしました。虎ちゃんからは「家康が敵か味方かということとは関係なく、誰でも城を作るときにはそれ相応の呪術をかけるから。名古屋城の周囲に家康がかけた呪いをどれだけ解けるかが大切」と言われる気がするわけで。

 で、岐阜の信長、豊国、東照宮と回ったので、戦国の三英傑もこれで参拝できたのかな、と思う。(東照宮は各地にあるので、機会があれば参拝しているわけですが。)

 豊国:秀吉の旗印といえば「瓢箪」ですが、「瓢箪」といえば伏羲なので。どうも、秀吉にかこつけて伏羲も重ね合わせて祀っているように見える気がするわけです。近くに八幡もあって、かつ伏羲=天香山でもあると思ってるので、

秀吉=伏羲(天香山)=仲哀天皇
秀頼=饕餮(須佐之男)=八幡

と重なってるのかなあ、と思う。占いの神サマの近くに「競輪場」とかあるのは新潟と同じ・・・。当たるも八卦、当たらぬも八卦、ということで。現代日本では伏羲(天香山)は「ギャンブルを当ててくれる神」になっているのだろうか、と思いました。

 泥江縣神社:かつては古くてもっと境内も広かったらしい。鎌倉時代初期にはあったようですが、来歴もはっきりせず。宇佐かあるいは石清水から勧請したらしい。「つんぼ蛭子」といって、耳が遠いとされている蛭子サマが祀られていました。蛭子神は犠牲神といえば犠牲神である。

 那古野神社:津島系らしい。牛頭須佐之男が主祭神。

 若宮八幡宮:八幡は八幡である。

 大須観音。聖観音を祀っていて、その他に本堂には向かって左側にお大師様、右側に不動明王。不動明王は中世には須佐之男と同じ、とされたもの。それに「大須」ってどういう意味か分かるよね? と言われる気がするわけで。それは「大杉(=須佐之男)」のこと、と思ったわけですが。中京のお寺はお経を流しっぱなしにしていて、にぎやかで面白いです。

 高牟神社。物部氏の武器庫が神社になったとされ、社名の「高牟」は古代武器の象徴だった鉾の美称という、ということらしい。別名が「古井八幡」といって、太古からの井戸(水)の神を祀っていた神社なのではないか、と思う。

 物部神社。美濃・尾張にはかつて物部神社が多数あったそうですが、今は数えるほどしか残っていないらしい。石神を祀っていて、昔は石神堂と呼ばれていたそうです。石神とか、井戸の神サマとか、古くからの信仰の地に自分達の神社を建てるのが古来よりの物部流なので、物部氏の古社らしい構成と感じる。でもって、「ご先祖様に会いに来てくれてどうもありがとう」って誰かに言われる気がするわけで。古くからの信仰の地に拠点を置いて、神霊を拠点の守護に利用する、というやり方は時代が下ると、城を守るために周囲にいろんな怨霊(御霊)を配置するやり方に発展するよなー、と思う。

 で、ラストに大塚屋。生地が豊富で、こちらの軍資金も豊富ならいいのになー、と思う-;。そろそろ肌寒い時期なので、チノクロスを買おうか、薄手のデニムを買おうか迷ったわけですが、薄手のデニムを買わせて頂きました。で、家に帰ったら丁度「CRA SEW」という裁縫雑誌が届いていて。秋口のデニムのかわいいチュニックとかがあったので作ってみたいなー、と思う。だいたい姉の分と二人分できそう、と思うわけで。

 デュメジルという神話学者が、印欧語族の神話の三機能仮説というのを言っていて。原印欧語族の社会と宗教および神話は、上位から順に「主権(神職)」「戦闘(王と貴族)」「その他生産など」の三つに区分されている、というもの。これって原点は古代中国にあって、上から順に「伏羲(シャーマン)」「戦闘(皇帝と貴族)」「その他生産など」となっている、と個人的には思っているわけで。うっとこで言うとですねえ、上から

金刺尾張カモ(伏羲=天香山)、物部尾張カモ様達(初期王権+軍事)及び海部カモ様達(海事)、生産階級(穂日・火明=稲作・織物・養蚕等、金山=鍛冶、五十猛神群=木地師、その他一般のカモ様達)

と思ってるわけです。金刺尾張カモ達は、物部尾張カモ様達から妻を娶ることが多い気がするわけで、物部尾張カモ様達は金刺尾張カモ達から見て「母方の親戚」になるわけですし、軍事関連で一番ランクが上の家なのだと思う。ということは、応神以前の王朝、女王卑弥呼とか景行天皇(実在すれば)の家系も物部尾張カモ様達だとあたくしは思います。でも、上の方に長年圧迫されて、最大の拠点の中京ですら物部神社とつく神社はごくわずか、ということで;。諏訪でいうと、上社の方は物部尾張カモ様達から分かれたもので、建御名方も軍神ですし。下社の方は神職が金刺氏ですから金刺尾張カモから分かれたものだと思うわけです。(金刺尾張カモに敬称はつけません。自分に敬意を払ってどうすんのか、と思うから。)でも、各族長もそれぞれ神職を兼ねるから、印欧語族みたいにすっぱり三階級に分かれているわけではなくて、系図もゴタゴタしてるわけです。元はみんな親戚一同だし。というか、印欧語族だって上の方は必ずしも明確に階級化されてるわけではなくて、貴族の子弟がバチカンの坊主になったりとか、神職と王権・軍事階級は血筋が入り交じってることも多いのでは? と思うわけですが。ともかく、

 物部尾張カモ様達が明らかな母神としている、真清田の織姫(=西王母)の象徴である織物と、龍蛇女神(=女媧=水神)の象徴である米から作った本場物のういろうを買って帰ってきたわけで。尾張はこれで締めなわけですが。尾張の古社をあちこち回って勉強したことは群馬でも新潟でもとても役に立った、と思うわけで。本当にどうもありがとう、と思ったのでした。

 で、帰ってきてホームグラウンドでお祓いしたら、本殿ではあまり変化が良く分からなくて、蚕神ではやっぱり白い絹糸のくずみたいなものが落ちて、稲荷神では小さな仏像がぽろぽろ落ちてみんなでつついて虐めてた気がするわけで。で、なんだか迷彩服を着て、ベレー帽を被って、帽子に緑色の羽がついている蛙さんが憑いて来てるのに気がつくわけで。「誰?」と思う。家に帰って「ナナイの神話を読んでみるように」と言われたので、手持ちの文献の中から探して読んでみたら「チョルチョミーカ(シジュウカラのこと)」という物語があって。なんというか、猿蟹合戦的に、いろんな者が集まって協力して悪者を倒す、という話で。西欧だと「ブレーメンの音楽隊」とか、「桃太郎」の犬猿雉とか、そんな感じの話で。で、迷彩服の蛙さんに「あなたは誰?」と聞いたら「チョルチョミーカ!」と言われる気がするわけで。「色々と役割分担をして、協力しながら敵を倒す「軍隊」というものを考えだしたのも自分達なんだよ。」と言われる気がするわけで。要は尾張国にせっせと通って、軍事部門と結縁して「軍隊」とか「親衛隊」いうものを手に入れたらしい。迷彩蛙さんに「僕らは親戚なんだよ」と言われる気がするわけです。ろくでもない親戚もいるけれども、助けてくれる親戚もいるわけで。石上神宮に行ってからここまで長かったね、と思う。これからよろしく御願い致します、と思います。