本日は外作業と買い物でした。午後は雨でした。外作業は母親が土の埋め戻し、土の清掃、石片付け、土掘り等、姉が土の清掃、石片付け等、私は休みでした。
お裁縫は、シャツは脇の縫い合わせ、父親のシャツはカフス作り、簡易シャツは裾の始末でした。
テレビは、昨夜も今日の昼も「CDTV」の録画を見ました。
弥彦・妻戸神社について。妻戸の女神は、弥彦の妻であるにも関わらず、家族とともに弥彦神社に祀られていないことが不自然に感じられるわけで。そして、弥彦自身も日本武尊になぞらえられている点があって、なんというか、どちらにも明示はされていないけれども「非業の死」の要素を微妙に感じられるわけで。諏訪大社の下社でも爺婆を焼き殺すお船祭りがあるわけで、ともかく、どちらにも共通して「親殺し」という要素を感じるわけです。わざと神話の中の「親」に「非業の死」を与えているような。それで「姥捨て」という話もあったなー、と思ってちょっと調べてみたら、「棄老」という言葉を見つけて。だいたい古代の世界各地でみられる習慣で、親を焼き殺したり、山に捨てたり(姨捨的)、穴に埋めたり(天の岩戸的)、突き落としたりする、ということで。そういえば、諏訪大社下社お船祭り(焼殺型)、戸隠九頭竜(姨捨的、妻戸神社もこのタイプで山の中に閉じ込められるように祀られる)、木曽水無(転落型)って、全部揃ってるねー、金刺氏とその祭祀関連部門にねー、と思う。ということは、元は賀茂系に強い習慣であって、「ハプログループO1b2」に関連する神話・習慣かもかもねー、と思う-;。鴨なだけに。だから、朝鮮、日本に伝承が強く残り、習慣も残っていても不思議ではない、と思うわけです。
あとは親と「雉も鳴かずば」について話をしたわけですが。なんだか観点がちょっとずれる、というか、親は「貧しさゆえの悲劇」みたいな? そういう発想であって。「貧しい人だけ損をする」みたいな。これは他の地方にも類話があって、必ずしも貧しい人が犠牲になる話ではないので、それを知っている私にはそういう話ではないわけで、親は知らないから仕方がないわけですが。ともかく「?」と何かが引っかかるわけで。世界の他の地域にも生贄に関する話はいくらでもあるわけです。でも大抵は否定的な話であって、ペルセウスが海の怪物を倒してアンドロメダを助けたように、「ペルセウス・アンドロメダ型神話」と呼ばれて比較対象の研究になるような話なわけです。そういえば、久米路版に顕著ですが、「人柱」を立てることは物語の中で「当然の習慣」とされていて、まずは「それが良くないことだ」という精神が物語の中に全くないわけです。でも他の地域の神話は、生贄が良くないことだから、それを止めさせたペルセウスが偉い、ってそういう意味が含まれているわけじゃん? と思う。「雉も鳴かずば」は人柱があることが前提の物語なので、何も考えずに読んでいると、「人柱にされる方に問題がある」みたいに受け取れてしまって、人柱(生贄)を批判する精神に繋がらない。貧しくても金持ちでも、行ってはならないことは行ってはならないはず。こーゆーのを要は「洗脳説話」というのです。無意識に聞いた相手が「人柱」を肯定するように意図して話を作っている。しかも「雉も鳴かずば」という言葉にあるように「余計なことはしゃべるな」という脅迫的な内容も含まれているわけで。自らの足下にこーゆー洗脳的な説話が転がってたんだなー、と妻戸・弥彦で改めて気づく。これは地域からいって、「金刺氏とその祭祀関連部門」じゃなくて、「金刺氏」の思想そのものだよね、近さからいってねえ? というか、言い過ぎて個人が特定されると微妙に困る。だいたい、あてくしが尾張金刺の族長だから来い、とかっていうご宣託であちこち振り回されている最中だし、と思うわけで-;。旅はまだ続くわけです。
でも、賀茂系の神話で消えてしまっている「母親(母神)」とは、要は中国の神話でも、既に王母娘娘(西王母)と女媧娘娘に二分されている、と思う。日本では織物関連に王母娘娘が当てはめられて、それが天照大神とその織り姫達に変化しているのだと思う。一方の女媧娘娘は龍蛇女神とか妻戸の女神に変化して、ごく一部では旦那を食い殺す神宮皇后みたいになってますが、大抵は山に捨てられて封印されてるのだと思います。要は「棄老」ですな。でもだからこそ真清田の女神は、織物の母神と川の竜女神の二柱が大きく祀られているのだ、と思うわけで。本来は王母娘娘(西王母)と女媧娘娘は一つの同じ女神で一体のものだったのだと思います。
天照大神と檀君神話の熊女の「岩戸隠れ」は「棄老」の延長線上の話であると思う。でも、天照大神と熊女が岩戸から復活するのは、「生贄」と良しとせずにそれを助けようとする人々がいて助けるからで、その「助ける神話」が「ペルセウスとアンドロメダー型神話」に発展している、と、そういうことなのだと思う。だから「岩戸隠れ」の神話と「棄老(姥捨て)」の話は一体の存在であって、神話があるということは習慣もあった、ということなわけです。でなければ「助けよう」という神話がこれほどたくさん世界各地に分布しているわけがない。ということをナナイ(極東の少数民族であって、彼らの中にも少数だけれども、「ハプログループO1b2」が存在する)の兄弟達に教えて貰ったわけです。弥彦と妻戸は東北に接した古代の「最前線」だし、蝦夷と神社関係者が戦って、蝦夷の剣を勝ち取った、という話があるくらい古代においては緊張感の強い地域だったと思われるので、施してある「祟り神系(弥彦)」の狂気(荒魂)の呪法もけっこう強いと感じたのが本音です。親を殺して境界の守護に当てるのかい? ということで。津島の牛頭ほどではなかったけれども、ちょっとキツイ神社ではありました。