今日は阿南町と天竜村と再びの飯田市南信濃(遠山郷)を回ってきました。もう、冷感じゃなくて妄想・偏見・・・ぢゃなくて、霊感炸裂? みたいな。これも修行の成果? みたいな-;。
阿南町・・・なんとなく、町に入ったときから強い憎悪みたいなものを感じる。伊豆神社にお参りする。伊豆神社は、本来は若干雷神系の神社である。こちらの神社は皇祖の二ニギを祀る。で、道の駅に寄って観光パンフを見たら、即身仏がある、とかある;。(ちなみに死体で腐るのは脂肪分だそうな。ミイラになりたい人は体脂肪を極力落として即身成仏したそうな。)家に帰ってきて調べたら、地元出身の久保田というお坊さんらしい・・・。・・・久保田?? それは義仲っていう人の子孫では。伊豆神社の真の祭神は、ニニギの子孫の雷神義仲? と思ったあたくしである。まー、それは憎悪はくるわな-;。後戸の義仲が県境にいたとは・・・;;。
天竜村。なんというか、「狂気」みたいなものを感じる気がする。家に帰って調べてみたら、その地域は「旧天龍村地域のみに「おじろく、おばさ制度」と呼ばれる特殊な家族制度があった。16?17世紀頃には存在したという。この制度の下では、長兄のみが社会生活を営み、それ以下の弟妹はおじろく(男)・おばさ(女)として村社会から隔離され、家庭内の労働力としてのみ人生を送る。中流以上の家庭に多かったという。彼らは結婚・交際をせず、村祭りなどの行事にも参加しなかった。声をかければ会釈くらいはするが、基本的に無気力で人嫌い。家庭内での地位は下男・下女扱いであったが、幼少期から特別虐待されるわけでもなく、むしろ労働力として重宝がられていた。彼らの性格が分裂病(今で言う統合失調症)に似た症状であるとして面接を行った精神科医の近藤廉治は、「青春期の疎外が作った人格であり、分裂症とは言えない」と結論づけている。 」という制度があったそうな・・・。これは要は「生きた生贄」も同然だよね? 生きながら死んでいるのと同じだ、と思う。というか彼らの霊に合掌である。満島神社の森の宮のみ参拝しました。(山の上に神社は見付けられなかった-;。)たぶん、おそらく、大昔は、子供を山の神に捧げて殺すことで共同体を運営する風習があり、その名残が「おじろく・おばさ」であると思う。合掌。
あとは、遠山龍淵寺。蛙がいたので、ガマは封じるべきかとー;。資料館も面白かったです。というか、霜月祭りとかの起源は、一番古いと思われる阿南町の祭りではいけないの? と思う。
それから、ミャオ族の説話で「女性が虎に殺される話」はどうするのか、と言われる気がするわけで-;。どうするも、こうするも、なんで「犬」じゃなくて「虎」に殺されたことになってるのですかね? と私が聞きたいくらいであって-;。もうこの点が「炎黄神話」も「檀君神話」も日本神話も改変がすごすぎて大幅に修正を加えないと比較神話ができないレベルである。だいたいなんで、天照の夫が黄帝ではないのですかね? ってこれも私が聞きたいくらいであって-;。だいたい、修正神話としては
虎犬族のテーセウスがアルクマ族のアリアドネーの助けを借りて、アリアドネーの弟のミーノータウロス・蚩尤・炎帝を倒したけれども、アリアドネーが、ミーノータウロスの姉だけあって、メーディアを千倍すごくしたようなとんでも妻だったので、付き合いきれなくなってテーセウスは妻を殺してしまった。マイナデス達は、アリアドネーの死を悼んで、踊りを踊ったけれども、そうしたらミーノータウロス・蚩尤・炎帝がデュオニューソス・饕餮となって生き返り、アリアドネーの死体をサトイモに変えてしまいましたとさ。でも、大抵のアルクマ族は封建中国の婿が大嫌いなどんな厳しい舅でものけぞってしまうくらい婿のテーセウスが大嫌いなので、アルクマ族の神話からは、すべからく「テーセウスが婿だったこと」が消されてしまいました。
というわけで、一番ひどいのは誰かな? たとえ稀代の殺人鬼であったとしても、人として認められてすらいないのであれば、それは「おじろく・おばさ」と同じくらい非道な状態に追い込まれているといえるのではないだろうか? 良心のない者はともかくとして、良心のあるアルクマ族はよくよく考えてみるように、と思うあたくしでありました-;。(だいたいうちの父方の叔母さんたちみたいなのをですねえ、同族以外で御せる男なんているはずがない。同族で賢い男ならば毒をもって毒を制することが可能かもしれないが。同族以外で、御することは「人知の他の作業」だって思った方が良いですよ。どういう性悪ばあさん達だったか知ってるあたくしの意見としては-;。)
ということで、信濃国はこれで閉めます。最後にすごい所を回ったわけだ-;。