22年8月20日

 水曜日は辰野諏訪神社、伊那高遠八幡神社、観世音、木曽姫宮神社、高倉神社、金曜日は岐阜橿森神社、尾張真清田神社、野宮八幡宮、酒見神社、阿豆良神社、尾張猿田彦神社に行ってきました。熊が出るような山の中の神社と、大都会の大神社とのギャップが強く感じられた旅でした-;。主な思い出をば・・・

 高遠は五郎姫神社に行きたかったのですが、参道が途中で分からなくなって「遭難するかも」と思ったので参拝を断念して、近くの八幡神社と観世音をお参りしてきました。観世音はお堂に旗竿があったので「あれ?」と思って行ってみたのですが、中に猿田彦のお札もあったような。合祀? されてるのかな? と思います。軽トラックがなんだかあちこちにいた記憶があります。

 木曽姫宮神社は赤沢自然休養林というところに行く途中にあります。休養林まで行けば常駐の職員がいる? ようですが、道中は「山」です。「熊が出るかも」と思って鈴を持っていきましたが、車で帰る帰り道に本当に小熊に遭遇しました;。降りて歩いているときでなくて良かった、と思いました;。熊観察をしたい人にはお勧めの参拝コース・・・というか、ここ何年も道路でしか熊を見かけたことがない、というのはどういうことかと思うわけですが-;。姫宮神社の祭神は当然怨霊系(非業の死を遂げた人)です。高倉神社も以下同文。そういうものに限って川の近くにあるのはどういうことなのでしょうか? 管公の例のように、日本では古来より「怨霊=雷神」という考え方があります。だから雷神がいっぱいの旅でした-;。水曜日はね。意図して行ってるのですけれどもね。ということで、五郎姫神社以外の信濃国の「姫宮系神社」は制したように思います。

 そして、一転して金曜日は華やかな(?)大都会。華やかでなくても良いです、熊に会う心配さえなければ、ということで-;。岐阜橿森神社は前回参拝し忘れの宿題事項、ということで。橿森神社の祭神は、母親が金神社の女神、父親が伊奈波神社の神とされていて、3つ併せて「岐阜三社」と言われているそうで。そして、「神人が駒に乗り、この地に降り立ったという伝説がある。」とのことである。「白い動物」は一般に「雷光」を現すようなので、「白い馬」と明確にはされていないが、この神人は雷神だった可能性が高いと考える。要するに、橿森神社の祭神は雷神でもあることを示している、といえる。伊奈波祭神の五十瓊敷入彦命(いにしきいりひこのみこと)は非業の死を遂げた「御霊」の神である。また、古代日本には「怨霊=雷神」と考える習慣があったので、「父親が非業の死を遂げた神も雷神(御霊)」であると考えられていたことが分かる。地名も「若宮」だし。なんというか、「若宮信仰」の教科書になるような神社だと思う。それと共に「父親が非業の死を遂げた神も雷神(御霊)である」という思想は重要だと思う。なぜなら、このように考えると、八幡神もまた御霊(怨霊)ということになるからである。境内に信長を祀った岐阜信長神社もありましたし、コンパクトに「御霊」が祀られた神社なように思います。

 真清田神社。車を運転していると、ふっと愛子ちゃんの顔が浮かんできたりして、「何かあるのかなあ」と思っていた一日だったのですが。事前に調べた時から「来て、来て」と言われた気がするので、良い神社だろう、とは思っていたのですが。祭神は天火明命で、母神の織姫的女神も同時に祀られていて。また竜神伝説のある地域らしくて、近くには「羽衣」という地名も残っていて。本来的には、木曽川の龍蛇女神を祀る聖地だったのであり、おそらく近くの酒見神社と併せて、豊受的な天女が降りてきて、織物や酒作りを教えた、という伝説があったのではないか、と思います。龍蛇女神と天女がどれくらい同一視されていたかは不明です。ただ、最近では「天から降りてきた神」とは、日本の場合「雷」を指すのではないか、と思うようになったし、うちの母親によると、農家であった祖父母は雷が光って雨が降ると「”’稲に乳をやる”’」と言っていたとのことなので。ほんの10文字にも満たない言葉の中にも、「稲作文化」の古くからの信仰の形の神髄が現されていることもあるのではないか、と思う。ともかく、豊受的天女伝説は天火明命の「母神」に吸収されて纏められましたが、龍蛇伝説は多少仏教説話的な変化を示しながら独立して残りました。神の井戸もあって、井戸の水に姿を写して神と結縁することもできたし、この井戸が龍蛇女神の井戸でもあり、天女が降りてきた井戸でもあったのかも、と思います。で、私の中では、

天穂日命=ニギハヤヒ(物部氏祖神)=天火明命=火雷神(=場合によっては大物主(杉)=味耜高彦根神(杉))

なので。尾張氏はカモカモ氏族の一員であって、全く何の問題もないかと。(穂日と火明って意味するところが何がどう違うのかさっぱり分からないわけで)

大物主・タタラ系女神 → 賀茂氏、金刺氏

にも接続できますので、だいたい広くみんなカモカモ氏族で問題ない、と思うわけです。

ともかく、真清田神社は主祭神こそ男性の雷神系神となっていますが、縄文以前の雷女信仰の姿も良く残しており、「女神の宮」と言っても過言ではない、素晴らしい神社だと思います。せっかく木曽川を美しく祀っている真清田神社があるのに、下流の津島で川にゴミ(怨霊)を流す祭祀をやって川をばっちくするとはどーゆーことか、とチラチラ思うわけで。

 で、周辺には「今伊勢」という地名があり野宮神明社(「野宮」とは斎宮が潔斎する宮のこと)、酒見神社があって。酒身神社は倭姫が立ち寄った場所と言われており、「元伊勢」の一つである。主祭神は天照大神だけれども、黒い酒、白い酒の伝承があり、太陽女神と雷との強い関連性が窺える。本殿の後ろに倭姫を祀る祠があるそうで。「後戸の神」が倭姫であるらしい。ということは「天照大神」=「倭姫」って言っているのと同じだよね? 倭姫って卑弥呼の一形態では? と思うわけですが。だいたい「今伊勢」ってどういう意味か分かるよね? と言われる気がするわけで。それで愛子ちゃんの顔とかが浮かんだのかなあ、と思う。あたくしが倭姫であるならば、伊勢神宮はどこにあっても構わないし、みなの良きところに定めればそれで良い、と思う。というか、真清田神社の意味は? と改めて思う。そこは、神が来て魂を留めることをよくよく待っていた宮なのでは? とそんな気がしたわけですが。(鏡に姿を写す、というのは魂を留める、という意味があるわけで)

 で、阿豆良神社。祭神の天甕津日女(天御梶日女、アメノミカツヒメ)は、名前の通り甕(カメ、亀)の女神で、出雲の神社の亀甲紋、諏訪の梶紋の元になったと思われる、古代出雲の縄文系の一番格式の高い亀お母さんだ、と個人的に思っているので、行くのをとても楽しみにしていて。阿豆良神社の名前は、旦那の味耜高彦根神から取ったのではないか、と個人的には思う。でも今は亀お母さんしか祀られていません。それは尾張氏の祖神を天火明に決めるときに不都合だから消しちゃったのではないかと思うわけですが。神社の名前には残っているのだと思う。そして、火明の宮は真清田ですので。古代の夫婦らしく別居婚ーー、と思うわけです。というか、伝承から見たら、出雲大社の一番本来の祭神は亀お母さんなんじゃないの? と思うわけで。だから、亀お母さんと火明(穂日)の子孫が祭祀者なわけで。個人的に結縁できて、とても光栄に思ったわけですが。

 で、尾張猿田彦神社。こちらも綺麗な神社で。何故か境内の中に蛙の石像がいくつもあって、賽銭箱なんかも石像の横に置かれていて。首だけの天狗的猿田彦の面なんかもあって、いかにも「猿田彦の宮」という感じである。「首だけの天狗面の意味って分かるよね?」と聞かれる気がするので「饕餮」と答える。素敵な蛙さんの石像にもお賽銭を上げて拝していたら、「境内でガマ封じの祈祷をやってる奴がいる」って苦情を言われる気がするわけで@@。言われて思い出したけど、群馬あたりの某所で「ガマ封じ」の力を貰った気がするわけです。正直貰ったときは「ガマ封じの能力なんて何かの役に立つの?」と思ったわけですが、以外と早く役に立ったようで。というか、なんで猿田彦神社の境内に蛙の像? とやはり思うわけですが。

 というわけで、基本的には木曽川のお掃除の旅だった気がするわけで。山の中も、大都会も全部木曽川で続いているわけです。でも上流域では御岳とかが大きい顔をしていて龍蛇信仰があまり残っていないので。木曽川最大の女神の宮に行けて嬉しく思う。そんな旅だったのでした。

22年8月20日

毎日忙しく出歩いております。ともかく、「ハプロタイプO2」の神話について書け、と言われるような-;。

1.檀君神話(DN)
2.朱蒙神話(TN)
3.天之日矛(都怒我阿羅斯等=角がある人?)
4.八坂金熊
5.馬頭娘
6.須佐之男と大宜津比売
7.味耜高彦根神

を書きましょう。子供、母親、父親の順に纏めます。

1.檀君神話(DN=たぶん熊)、母親=熊、父親=桓雄(ハムス、HM=熊、雷神か天候神)、母親が誰かに迫害されるエピソードはなし
2.朱蒙神話(TN=蛙又は熊)、母親・ユファ(DV)、父親=金蛙王(=蛙)、解慕漱(ヘモス、HM=熊)、日光、母親は身内に迫害される。金亜王に閉じ込められるところは、須佐之男のせいで閉じ込められる天照と同じ
3.子供についての記載なし(存在したとすればおそらく牛)、母親・阿加流比売(=牛、雷神)、天之日矛(都怒我阿羅斯等=角がある人?=牛)、母親は夫に迫害される、これは須佐之男に迫害される天照に同じ
4.八坂金熊(=熊)、母親=大姥=熊(たぶん)、父親(花火?=雷神)、母親が誰かに迫害されるエピソードはなし
5.蚕(=頭が馬)、母親(蚕に変身する人間)、父親(空飛ぶ馬、白馬であれば雷神)、母親は父親に殺される
6.各種穀物・牛・馬・蚕、母親(大宜津比売)、父親・須佐之男(主に馬か牛、白馬であれば雷神)、母親は父親に殺される
7.味耜高彦根神(TT)、母親(玉依姫)、父親・火雷神、母親が誰かに迫害されるエピソードはなし

となります。だいたい、熊と熊のカップルからしか熊の子は生まれませんので、ざっくりと夫婦のどちらかのトーテムがはっきりしていれば、相方もそうだと思ってくださいませ。結論から申せば、「N」、「M」、「熊」の字がついている子供は全部「熊」です。だって、親が熊だから。檀君、朱蒙、八坂金熊は熊神です。父親は天の熊神で雷神です。西方の神話だとクマルビとかフンババとかクンバンとかクロノスとかエンキ・クヌムという神になります。朱蒙の場合、父親は熊なのか蛙なのか、となると思いますが、これは「どっちでも対応可能」というくらいに考えておいて下さい。どっちでも良いです。そんなものです。古代中国の人は雷とは太陽から来るもの、みたいに考えていた節があるので、日光でも雷光でもどうでも良いです。よって、父親は太陽神でも雷神でも火神でもなんでも良いです。好きなのを選んで下さい。そういう「なんでもあり」の適当さはNo5,6によくよく現れています。火と雷は本来は異なるものです。でも、なんでも良いのです。「語る人に都合が良ければ」となります-;。

そして、「同じ理由」で母親のトーテムも同様になり、水神的なユファ、赤と白の色で象徴される雷女(=太陽女神)である阿加流比売、月の女神を思わせる大宜都比売、とこちらも「何でもあり」になります。月は太陽が死んだもの、なんだからなんだって「同じ物」なのです。ともかく、この一群の神話を真面目に理解したかったら、まず、馬と鹿が区別できる脳みそを捨てなければなりません。で、こうやって見ると

檀君=朱蒙=味耜高彦根神

となりますが、一方、味耜高彦根神は「殺された神が再生した物」でもあります。檀君=朱蒙のように、「殺されずに王的に君臨した群」は西欧におけるゼウスやユーピテルといった「主神群」と一致すると思います。でも「殺された神が再生した物」になると、西方ではラダマンテュスのように冥界に再生されて冥界神になったり、タンムーズ・アッティスのように「生贄にされる神」に変化してしまいます。でも彼らは起源を同じくする「T(あるいはTT,TN群)」の雷神から派生したものですので、その性質には連続性があって少しずつ違いはあっても正確にそれぞれの性質を線引きできないのです。味耜高彦根神は「殺された神が再生した物」ですが、賀茂系の氏族の祖神でもあり、「主神的祖神」と「やや冥界神的な雷神(暴れる神)」の両方の性質を併せ持っています。そして、須佐之男にも雷神としての性質がありますが、彼はアダムのように天界を追放された神ですので、天界にいる内から「やや冥界神的な雷神(暴れる神)」としての性質を有していて、この辺りもなんだか「何でもあり」的な設定となっています。というか、アダムまで加えたら、この群の神々は本当に「何でもあり」なカオス状態になるわけですが。

で、トーテムの方も何でもありなので、熊であれば西方ではクマルビ、クロノス、牛であればゼウスとエウロペ、馬であればポセイドーンとデーメーテール、って「何でも対応可能だから」となります。No.7が動物のトーテムを明確にしないのは「何でも対応あり」にしたいから、好きに解釈して、っていう理由なのでは? と思うくらいです。蛙のトーテムは西方ではオグドアドくらいしか思いつきませんが、女神であればヘケト・ヘカテー辺りではないかと思います。檀君の母親が明確な「熊女」ですので、特に取り上げればアルテテミス、テミス、ユーノー、デーメーテール等となると思います。「T」系の男性神は西方では様々に枝分かれしますが、「TN系」の女神は西方では上位の有力な女神が多い気がします。加えて雷女としての性質も併せ持っている。そして、朝鮮では檀君系と朱蒙系の神話に分かれますが、日本では広範囲の氏族の祖神をカバーする「須佐之男系」、賀茂系の「味耜高彦根神系」、渡来の神であることを示す「天之日矛系」の主に3つに分かれる神話群だと思います。「母親」に当たる女神がどこまで迫害されるのかは、語り手の都合と、聞き手の好みで決まるのではないでしょうか。