今日は外作業のみ。外作業は母親が土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉が土の清掃、石片付け等、私が土の清掃、土掘りでした。
お裁縫は、シャツは袖のカフス付け、父親のシャツは脇縫い、簡易シャツは端の始末で変わらず。
テレビは、昨夜は「ブンブブーン」の録画、今日の昼は「いただきハイジャンプ」の録画を見ました。
で、あれこれ考えたわけですが、伊奈波、両面宿儺、八面大王、羊大夫、日本武尊の共通点はともかく「何らかの罪ありとされて、倒されていること(日本武尊の場合は追放)」かつ「地元では良い人、産業も興した人(?)」のように扱われてることだと思う。どうも思うに、これは「特定の人々をラベリングするためだけの物語(設定)」なのだと思う。この「非業の死を遂げる」のパターンをもっと拡張していくと、仲哀天皇の「良く分からないけど突然死ぬ」にまて発展する気がするわけで、ともかく「非業の死」を遂げたことにすればいいんだ、みたいな、そういうちょっと雑さを感じるのである。で、名古屋以東にこういう話が広まっている、ということは、やはり古代において「東国に移動した特定の勢力」の「ラベリング」として遣われているのだと思う。例えば、ええと、「自分の先祖は何らかの理由で尾張から落ち延びて来た人たち」とかって曖昧なことを言う人達である。暗に先祖は日本武尊だと言いたいのか? と思うけれども、そこまで言うとお里がバレるからねえ? 景行天皇の関係者だってさあ? ということで。で、結局西の方に眼を移すと、「長髄彦」とか「サホヒコ」まで行き着いてしまうわけで、ともかくその辺りの関係者の「ラベリング」としての意味があるのだと思う。そして、もう一つ。「何らかの罪ありとされて、追放されている(ある意味死んでいる)」とされる原点は須佐之男である。須佐之男が地上に追放されて、今の人間の世界ができている、とされている。要は須佐之男には「追放された開拓神」という意味もあると思われ、地上は彼の領域なのである。先祖に色々な名前をつけて「追放された開拓神」である、と述べることは、「自分は須佐之男の子孫であって、地上の王である」って言ってるのと同じ事? と思う。とすれば、伊奈波、両面宿儺、八面大王、羊大夫、日本武尊は全て「須佐之男が名前を変えたもの」といえる。だから羊大夫の故郷の多胡に須佐之男が祀られているんじゃないの? イソタケと、と思うわけです。羊大夫が須佐之男そのものである。しかも羊大夫は尾張にも祀られている神社があって、尾張の関係者であることも明白である。そして、応神以前もそうだし、それ以後の天皇家も、「男系として須佐之男の子孫」であることを暗に自らの存在の根拠にしてた? と思うわけです。それが平安末期あたりからの熊野信仰に現れているわけです。だから、八面大王も両面宿儺も須佐之男かイソタケの別名で良いと思うのですが、先祖が「謀反人」だと体裁が悪くなってしまうし、現実の自らの権力との整合性も取れなくなってしまうので、権力者の子孫である、という「ラベリング」のためにイソタケとかイオタケとかあるのだと思います。
で、昨夜疲れていて、とても眠くて、白昼夢みたいなものを見て。寝ようと思ってトイレに行くのだけれども、その途中で半分夢を見ている感じで。なんだか自分が町を歩いていたら、向こうからKAT-TUNの中丸君が来るわけです。「あ、中丸君だ-」と思って声をかけようか迷ったのですが、なんと女の子と二人でいたので「プライベートだから声をかけたら悪いかも」と思って良く見たら、女の子だと思ったのは女装していた廉君だった、という夢で。「男が女になりすましてる」と言われる気がするわけで。「イタコ」ってそういうことなのかなー、と思ったのでした。本来、シャーマンであるべきは男だからです。