22年7月12日

 本日は外出の日。水曜日が縁起の悪い日だったので、今日近間に出かけてきました。本日は県道55号線周り、ということで、筑北村仁熊大日堂、生坂村日向諏訪神社、金熊惣社、高根神社、諏訪社、大姥神社関連一社? を参拝してきました。途中、ちょっと路肩がやばい山道とかに迷いこんでしまって。ちょっと前は浜松、磐田の都会、今日は「路肩はどこ?」みたいな山道って「落差がありすぎる」と思いましたが、県内で巡っていないところも残りわずか、ということで頑張って行ってきました。大町市八坂(かつての八坂村)は金太郎伝説とか山姥伝説とかがあって、微妙な「熊信仰」の痕跡がうかがえるので行ってきました。金熊惣社は祭神が良く分からなかったのですが、中には諏訪梶の幕があったので少なくとも建御名方は祀っているようです。高根神社はアジスキタカヒコネかなあ? と思いましたがこれも良くわかりませんでした。

 最近、やはりハイヌウェレ的神話が気になるわけで、古事記の須佐之男、書紀の月読は、ほぼ同じことをしているのに、なぜそれぞれ異なる神がしたことにして分けているのだろう? その意味というか意義はなんなのだろう? と思うわけです。そして、アジスキタカヒコネが「杉の木の神」で「林業の神」であったなら、それは大きな平野とか平坦部ではどういう扱い、どういう名前になるのだろう? と思う。だって、平坦部では林業ではなくて、当たり前に稲作をするでしょうし。

 そして、仁熊とは「丹熊」のことですし、「金熊」と併せて「熊を太陽神にしよう」という修験道的試みなのかなあ、と思うのです。金太郎は男性形の太陽神の子供の英雄である、みたいな感じで。でも、そうしたら天照は? となる。色々なことを考えながら、色々な人に助けられながら旅を続けているわけです。

外作業は、母親が土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉が土の清掃、石片付け、私はお休みでした。

 お裁縫は、シャツは肩の縫い合わせ、父親のシャツは衿付け、簡易シャツは脇の始末。

 テレビは昨夜は「少年倶楽部」の録画と「CDTV」を見ました。今日の昼は昨夜の「News Zero」の録画を見ました。

22年7月11日

 本日は買い物他と外作業のみ。外作業は、母親が土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉が土の清掃、石片付け、私は土の清掃でした。

 お裁縫は、シャツは肩の縫い合わせ、父親のシャツは衿付け、簡易シャツは脇の始末。

 テレビは昨夜は「SHOWチャンネル」の録画と「食宝」の録画など。今日の昼は「食宝」の録画を見ました。

22年7月10日

 本日は外作業のみ。外作業は、母親が土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉が土の清掃、石片付け、私は土掘りでした。昨日の今日で疲れはてたので、今日はぼーっとしています。

 お裁縫は、貯金があるので今日はお休みしました。

 テレビは昨日は見ている暇がなくて。今日の昼は「ニノさん」の録画を見ました。

22年7月10日

 静岡の旅。浜松・岐佐神社、磐田・府八幡宮、天之御社、雷三社、淡海国玉神社、見付天神、霊犬神社、鎌田神明社、小国神社。吟味に吟味を重ねて行ける限り行ってきました。高速を駆使しまくって片道300キロ、計600キロ、朝の4時に出発して夜の11時に帰ってきました。それでも朝帰りよりはマシだーーー、と思う。

 現在の磐田、旧名府中、天竜川河口の東側で国府があった地域は古来寄りの重要な神社がたくさん集まっていて。で、出雲系の神々が中心の地域で、一部賀茂系? と思っていたわけですが。淡海国玉神社に狛兎、鎌田神明社は白兎山(だっけ?)、小国神社の看板にもウサウサ・・・。と、なんだか大国主よりも「因幡の白ウッサー」が目立つわけで。兎と言えば「月」なので、「月の神」の化身のことだと思うわけです。そう考えると見付天神の境内の中に伊勢神宮の遙拝所があって月夜見も祀られていました。だから、どこもかしこも「月」だらけです。月夜見は保食神を殺したから「殺す神」です。しかも見付天神の矢奈比売は淡海国玉(大国玉)の大国主のところに渡御するという。普通は男が女のところに通うものなのに逆じゃん、と思う。平安時代なんかは、そういうことは非常に非常識なこと(というか非常事態にやること)だと蜻蛉日記にも書いてあります。(作者の夫が病気になったのでこっそりお見舞いに行った、というエピソードが載っているわけで。)

 で、女神は渡御するときに、裸の男達と行く、ということで、なんだろう裸虫(蛆)とか八雷神に例えてるの? と思う。「黄泉の国」では「逆向きになる」という例がありますので。「殺す神」と同居している「体の腐った女神」が夫のところに渡る、というのは「黄泉の国の祭祀」に他ならず。「すげーなイワタケ、露骨すぎる。天竜川の東側が黄泉の国になっている。」と思ったわけで。おそらく、当地でかなり古く、そして往古の性質を一番残しているのは雷三社(小さいけれども式内社だそうで)であって、賀茂系と出雲系が共同で開拓した地域だったと思われるのですが。聖武天皇と桜井王あたりから怪しげな呪いをかけられている気がするわけで。

 「貝の女神」というのは「蘇り」の神サマであって、生きた人を生きかえらせる神でもあるけれども、死んでいる者を黄泉の国に送り返すことも文字通り「黄泉がえり」でしょ。「殺す神」である猿田彦は貝の神によって黄泉の国に「送り返される」でしょ、と言われる気がするわけで。あたくしの貝大臣が岐佐神社に是非行ってこい、と言ったので行く、やってこい、と言われたことをやる。でもって、どこかの神社で神職とガチで呪いかけの勝負、ということで。「無事に生きて帰ってきた、ということは『勝った』ということでしょ」と言われる気がするわけで-;。

 文字通り、「自分の命を捧げてこうして欲しい」と言った人がいる気がするから、頑張ってやれるだけのことはしましたが、よれなかったところもあります。でなければ、誰がこの時期に東京よりも遠いところなんかに行くものか、2度と嫌だ、と思ったわけですが。でも「磐田」という地名がそもそも「イワタケ」とか「イオタケ」のことであると思う。信濃国の関係者だしなー、出張神サマも止むなし、と思うわけで-;。

 見付天神の矢奈比売とは大国主の妻神の八上姫で良いと思います。「矢が身姫」とか「矢な(である)姫」とかそういう名前で、女神の持つ「矢」の性質を強調した女神で、出雲のお亀様と同じ女神かと思う。というか、出雲の神社の神紋は亀甲がつくのがほとんどなので、女神は大抵「お亀様」なのだと思う。弥生の合成神があれこれ性質をつけたり削ったりして大量に生産されているのとは対照的に、縄文系の女神は「没個性」であって、どの川や山の神サマも「お亀様」とか「蛇様(古主)」とかそんな感じだから-;。八上姫をイザナミのように「黄泉の女神」にしているところが呪詛の肝である。

 今朝方夢を見て。なんだか父親のお腹に大きな穴があいて、内臓がボロボロ出てきたりしてるので、「大変だー、薬をつけなきゃ」と言うと、「いらない」と言って父親が逃げる、という夢で。中部日本の太平洋側の「黄泉の国」に大きな穴を開けたらしい。それがあたくしの仕事なのではないでしょうか。丹生川では「若い瓜(丹生都比売)」を捧げられて水系のお掃除をしたし。贄を捧げられたら、それに見合った仕事をするのが神サマである。見合った仕事ができていたら良いが、と思うのですが。おかしな猿神とかウッサーは蘇った早太郎に食べられてしまえばいいのに、と思います。磐田の猿神とは月夜見のことだと思います。そして、矢奈比売ではちゃんと矢とお犬様のお守りを買ってきたのでした。

22年7月9日

 本日は静岡に行ってきました。夕方帰る時に雨が降り始めていて、御前崎の辺りでかなり激しく降っていて、親と「この辺りは雨が多いのかしらねえ?」と話しながら帰ってきたのですが。市内全域に避難指示がが出ている、と帰ってきてから知ってとてもびっくりしています。大過がありませんように<(_ _)>。