22年6月13日

 本日は外作業の日。母親は土の埋め戻し、土の清掃、土掘り、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。今日は石と刈った草を捨てに行ったのですが、道路がものすごく混んでいて、かなり時間がかかりました。

 お裁縫は、新しいシャツは端の始末、父親のシャツは前身頃の作成、シャツは見頃の仕上げでした。

 テレビは昨夜は「ニノさん」「食宝」の録画、今日の昼は「SONGS」の録画を見ました。

 今日は昼寝の時になんだか夢を見て。なんだか、出かけた後に、どこかのお寺に寄って、わざわざお坊さんの話を聞く、みたいな夢で。仏教関係者でも良い人達はいるわけですが。

22年6月12日

 本日は外作業の日。母親は土の埋め戻し、土の清掃、土掘り、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。

 お裁縫は、新しいシャツは端の始末、父親のシャツは前身頃の作成、シャツは見頃の仕上げでした。

 テレビは昨夜は「SHOWチャンネル」他、今日の昼は「ニノさん」の録画を見ました。

 昨夜はなんだか夢を見て。なんだか、自分が工事? みたいなことをしていて、私が工事をしたら、暖かいお湯が出た、みたいな夢で。氷の山の白山の呪いを解く、ということはそういうこと? と思う。水を太陽女神の暖かい生命を育てる水に変えるのですな。

 で、飛騨怪奇ファイルの続き。

 怪奇その6。連続性が失われている、という謎。丹生川という地名は紀州(和歌山県)にあります。伊太祁曽神社も紀州(和歌山県)にあります。紀州は「木の国」と言われるくらい林業が盛んだと思いますし、丹生川を含む飛騨も「飛騨の匠」と言われるくらい林業と木工業が盛んです。だから、普通に考えたら、歴史が古くて文化や産業が発展したのは西からですから、上古に紀州から奥飛騨に入植した人々が、彼らの神と地名を持ってきて、そのまま子孫まで祀っていた、と考えるのが普通ですが、何故かその伝承が「ない」。現在、丹生都比売を擁する丹生川という川の地名がありながら、丹生都比売を祀る神社がない、といういわば神サマの「名義貸し」というか「五十猛神の女神の名前の使用詐欺」みたいな状態になって、神社の祭神と地名が一致しない歴史的な原因が分からない(地名も神社も紀州由来なのに)し、住んでいる人達の紀州からの移動と連続性も分からないわけです。分からない原因は紀州の側にも飛騨の側にもあります。
 紀州の側の問題としては、木の神五十猛は、地主神ではなくて「父親の須佐之男と共によそから来た神」ということになっています。だから、紀州の人あるいは、紀州に移住した人の誰かの「氏神」として祀られているのではなくて、林業とか木の神として扱われているから、どの氏族が彼を氏神(先祖)としているのかが分からない。元々の紀州の神ともいえず、奉斎氏族も明確でないのです。紀州は紀州で、丹生都比売が本来の地主神であることが示唆されますが、現在では彼女の存在もかなり希薄になっていますし、五十猛・須佐之男父子と丹生都比売の関係も明確でない。しかも、紀州には紀国造が奉斎した日前国懸神社があって、そことの関連性もはっきりしません。
 で、「産業の神」みたいにして祀られている、というのは飛騨でも同じらしいです。「林業の神」だから勧請した、みたいな。だから、祀っている人達は「五十猛の子孫ではない」という感じになります。でも、飛騨に元々住んでいた人々が五十猛命を勧請したのであれば、なんで「丹生川」という地名がおまけについてくるの? ということになるわけで。何故、五十猛命という神と、丹生川という地名がセットでそこにあるのかが、簡単には分からないようになっていて。古い氏族が、自分達の神の名も、地名も知っていて今でも使っているのに、自分達の出自だけ知らないなんてことある? というのが怪奇その6。うちだって祭神(祖神)も「高尾張」という出身も覚えてるらしいのに?? となります。

22年6月12日

 本日は再び高山へ出向いて、伊太祁曽関連は旗鉾、塩屋、日面、日影、瓜田、白井、法力の7社、熊野神社、白山神社、大八賀神社、朝日の八幡神社、道後神社と計12社と千光寺を参拝してきました。以下、飛騨怪奇道中記、ということで-;。

 怪奇その1。前回、安房峠を越えて、トンネルの中を走っていると、「岐阜側から迎えに来ました。」と言って話しかけてくる人がいる気がするわけです。まあ、その程度であれば、最近の私であれば「怪奇現象」とは言いませんが-;。

 怪奇その2。ともかく、最初は高山市内の有名どころの神社を抑えるように、と言われ、次には、道路沿いで良いから、回れるだけの伊太祁曽神社と国境の道後神社を参拝してくるように、というのが第2回のミッションである。で、昨夜は早く寝たかったけれども、Mステを見て、キンプリとSixTONESを見る。で、頑張って最後まで見て、ふっと「最後まで見てくれてありがとう」と言われた気がするわけで。そういう若者らしい素直な言い方が好きよ、と思う。で、部屋に戻ると「両面宿儺」のことについて調べたい、と強く思うので調べる。そうしたら、「千光寺」というお寺を開いた、という伝承があることを知る。そのお寺のことを調べたら「カムカム、来て来て」と言われる気がするので、これでお寺を追加することにする。私は普通は神社が管轄なのて、指名がかからない限りお寺には行きません。「新しめの霊は管轄じゃないんで。」って「八雲立つ」の主人公みたいなことを言うあたくしである-;。

 怪奇その3。「両面宿儺」とはそもそも何者? となる。仁徳天皇の頃、飛騨にいた者で、朝廷に反抗してタケクマに討伐された、と日本書紀にあるらしい。で、地元では千光寺を開基した、と言われているらしい。タケクマは桜山八幡宮に祀られているわけですが、両面宿儺の伝承は丹生川界隈に多いらしい、し、乗鞍の日輪信仰に関わる伝承もあるらしい。でも、仁徳天皇の時代に日本に仏教はないんで、その辺りでもう実在性が眉唾、と思うシビアなあたくしである。というか、長野県人なので、「八面大王って両面宿儺の4倍体」としか思わない。おかげで、「どっちの実在性も眉唾だー。八面大王って仁科氏が自分の先祖をヨイショするために作った創作物じゃなかったんだ!」ということが一番に衝撃的でした。でも、「非実在」の存在だとすると、なんでやたらと伝承ばかりがあるのか、ということになる。その不条理こそが怪奇である。

 怪奇その4。太陽信仰ってどこにあるの? という怪奇。そもそも丹生川では、乗鞍が東にあるので、「太陽が昇る山」ということで乗鞍を信仰していたらしい。でも、地区内にあるのは、伊太祁曽神社がほとんどで、祭神は五十猛(イソタケ)である。日本で「太陽の神」というと一番有名なのは「天照大神」だと思うわけですが、なんで「太陽信仰」というわりに、天照大神よりも五十猛神の方が前面に出てるのか、と思う。系譜の上からも、五十猛神は天照大神の甥だから。抱くなら、孫のニニギの方が妥当であって、なんで仲の良くない弟の須佐之男の子供を天照大神が抱かなければならないのかよくわかんないー、あたしー、となる。要するに、神社の名前(日が抱く)と神サマの名前(五十猛)が一致しない気がする。本場の熊野では、「母子神像」が信仰されているので、「イシスとホルス」で、「抱かれている方が太陽神」って分かりやすく言えるのにー、それとも違う概念なのは何故? と思う。

 怪奇その5。丹生川には「日抱の御魂鎮め」という神事を昔から行っていて、神社の近くに池を掘って、近くに先祖の墓も建てて、池のほとりで先祖の霊と交霊する、という祭祀を行っていたらしい。で、池に移る日の光とか、月の光を見て祭祀をやっていたので、「日抱の御魂鎮め」という名前らしい・・・。・・・そもそも、神社というのは神サマを祀るところで、降霊術をするところではない気がする、と正直思う-;。というか、水のあるところには幽霊が集まってきやすいので、神池とか明確な目的があるならともかく、それ以外の目的で池を作るのは清浄さを汚すことになってまずいんじゃないのか? と思う。ともかく、白樺の皮を燃やして、先祖を呼び出したり、追い出したりする祭祀は仏教行事(盆行事)であるので、どう見ても神事の起源は仏教後だと思う。というか、「先祖の幽霊」と「神サマ」をごたまぜにして区別がつかなくして、神サマを呼び出しては「黄泉の国の食事」を食べさせて神々を黄泉送りにしてしまう祭祀を、出雲の「神有月」でやっているけれども、「先祖の幽霊」と「神サマ」を区別つけずに呼び出して交霊しているあたり、「日抱の御魂鎮め」というのは「ミニチュア縮小家庭版」の「神有月」なんじゃないの? 媒介に「水」を使うところが、紀州的、と思うわけで。なんだか、熊野のくまくましい祭祀だーー、と思う。紀州の熊野も「神サマを祀るところ」でもあるけれども「水」を媒介として黄泉の国と交霊して、人をよみがえらせたりするところでもある。小栗判官とか、そういう話だしなー、と思う。やっぱり熊野かー、と思う。

22年6月10日

 本日は外作業の日。母親は土の埋め戻し、土の清掃、土掘り、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。

 お裁縫は、新しいシャツは端の始末、父親のシャツは前身頃の作成、シャツは袖口のカフス作成でした。

 テレビは昨夜は「VS魂」の録画、今日の昼は昨夜の「夜会」の録画を見ました。

 「CRA SAW」が今日届きました。「メール便」と言われたので「ゆうメール」かと思っていたら、クロネコヤマトの方で届きました。郵便局よりも予定お届け日とか精度が落ちるのでしょうか。うーむ。無事に届いて良かったです。

22年6月9日

 本日は外作業の日。母親は土の埋め戻し、土の清掃、土掘り、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。トイレの下はそろそろ全部埋まって片付いたのではないか、と思います。

 お裁縫は、新しいシャツは端の始末、父親のシャツは前身頃の作成、シャツは袖口のカフス作成でした。

 テレビは昨夜は先週の「夜会」の録画、今日の昼は「正直不動産」の録画を見ました。

 日本ヴォーグ社から「CRA SAW」という新しい洋裁雑誌が出る、という広告を先月買った手芸屋さんで貰ったわけです。で、5月13日頃日定期購読をはがきで申し込みました。で、6月8日の発売日に届く、という話だったのですが、昨日届かず、今日も届かず。日本ヴォーグ社のHPには「一部の離島等には遅れて届くことがある」みたいに書かれていましたが、そんな遠隔地かなあ? と思うので、問い合わせの電話をしてみました。そうしたら、「発送はしてあるけど、たくさん申し込みがあったので遅れているかも。数日待って下さい。」という回答であって。経過がどうなっているのか郵便局に問い合わせてみたいと思ったのですが、なんだか「お待ちください」という言葉に押し切られたみたいになってしまって。1週間待っても届かなければ、問い合わせの方向でやってみたいと思います。届かなければ支払いはしなくてもいいのだけれども、後で「送ったのに支払いがない」と言われるのは嫌ですし。