22年6月16日

 本日は外作業の日。母親は土の埋め戻し、土の清掃、土掘り、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。

 お裁縫は、新しいシャツは端の始末、父親のシャツは後身頃の作成、シャツは見頃の仕上げでした。

 テレビは昨夜は「ブンブブーン」と「いただきハイジャンプ」の録画を見ました。今日の昼は「正直不動産」の最終話を見ました。

皇足穂命神社は、「創建当時は山穂刈の皇足山に鎮座、万寿4年(1027)大風雨で皇足山の東南が崩落、長元元年(1028)8月現在地に遷祀」という伝承があるようです。万寿4年とは後一条天皇(平安時代)であるそうな。『信濃史源考 第2巻』小山愛司編 歴史図書社 1976 【N208/45/2】p.356-357には皇足穂命神社について、「伝説には、往古虚空蔵山に鎮座せしが、万寿四年山崩れにて社宇壊滅し、長元元年八月、穂刈平に遷し再建したり。降りて天正十二年、犀川出水により社宇流失し、直に再建せしも旧記社宝を失ひ、只「天元四年巳年十二月吉」の十字ある古鈴を存せり。」との記述あり。(https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000313250)とのことで。山穂刈ということで、本来の皇足穂命神社のあった皇足山とは単純に蟻之尾のことではないのか、と思うわけですが。でも、こちらはこちらで、やはり山崩れがあって、元の場所から移した、という伝承があるようですので、少しずれた場所ではあったのかも。蟻之尾だけでなく、津和のかなりの範囲の神々を合祀しているらしいのですが、今の有様は・・・-;。皇足穂命神社は延喜式の神社ですので、山穂刈にあるものが元々の「奥宮」で吉田にあるものが「里宮」だと思うのですが。「又田羅」という地名も「摩多羅」に通じる地名かも、と思います。里穂刈の神社、又田羅、蟻之尾の神社と、ちゃんと里から山に向けて道があります。里が頭で、蟻之尾が尾となるような、大蛇の呪法でもかかってるのかもしれないと思います。小菅が摩多羅の頭で、斑尾が尾であるのと同じようなものです。そうすると「穂刈」という地名にも意味があるように思います。「皇足穂命(すめたるほのみこと)」という名前の「穂」に住んでいる神を刈り取って「穀物」とか「米」にしてしまうわけだ。それは女神を殺して穀物を得る、というのと同じことなのではないでしょうか。奇稲田姫を刈って「穂」と「櫛」にしてしまうのはスサノオなので。「穂刈」とはスサノオの別名のようにも思えます。