本日は外作業の日。母親は土の埋め戻し、土の清掃、土掘り、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。裏口の辺りから径30cmほどの、最近では珍しい、かなり大きめの石が出土しました。ゴミを捨てに行って来ました。
お裁縫は、新しいシャツは端の始末、父親のシャツは前身頃の作成、シャツは見頃の仕上げでした。
テレビは昨夜は「ミタゾノ」の録画、今日の昼は「News Zero」の録画を見ました。「むすび家政婦紹介所」(だっけ?」の「むすび」とは熊野でイザナミのことを指す言葉です。で、ゲームとか、人を振り回すだけで役に立たないことばっかり考えている大会社の社長も「イザナミ」だという暗喩なのだと思うわけで-;。ともかく「鴨」でも「賀茂」でも、この人達の困ったところは、特定の祖神を持たず、まるで一族を区分するみたいに複数の祖神を持っているわけで。だから、神話的系図を見ると同族のはずが他人に見える、ということになっていて。少なくとも「雷神+下照姫他」の組み合わせだけでも3組くらいあるよねえ? と思う。だから、どこかで「イザナミ+スサノオ=熊野」という祖神を持っているはずなのだけれども、それが私にはなかなか見つからなくて。おそらく日前(と書いて「ひのくま」と読む)を擁する紀氏も賀茂の一派だろう、と思うわけです。個人的には日前とはアマテラスではなくスサノオのことだと思う。それがそのまま紀州の熊野信仰へと発展するのではないか、と思います。で、日前は名草戸部を倒しました。これが飛騨に移植されると、タケクマが両面宿儺を倒しました、ということになるのだと思います。要は、両面宿儺の伝承は、紀州から飛騨に移住した人々が持っていた「鬼退治」の伝承を投影・重層化したもので、飛騨における歴史的事実とは関連しない、とそれがあたくしの結論です。だから、3~4世紀に入植した紀国造関係者(賀茂関係者)の子孫がずっとそのままそこで暮らしてきたのに、後世に両面宿儺の歴史的時期を勝手に作り上げたから、そのまま暮らしていた人達が途中で討伐されて、で、その後もそのまま平穏に暮らしてた、みたいな変な物語が生じているのだと思う。だから、両面宿儺の物語はいわば「熊野神」の英雄としての側面を示したもので、熊野信仰とも関連するものと思います。・・・ということは八面大王もそうなんじゃん? と思うわけですが、そういえば安曇野にもけっこう大きい熊野神社がありましたし。八面大王は乗鞍の安曇野側の話にしたかったのかもしれませんが、それこそ梓水の竜神を守りたい、と考えていた人達に妨害されてできなかったのかも、と思います。飛騨川の竜神は両面宿儺に倒されてしまったようなので-;。というわけで、不思議な現象ではありますが、「両面宿儺」には、「鬼退治の熊野神」の側面と「鬼」の2つの側面があり、そのために、乗鞍の竜女女神が完全に消されてしまって、五十猛が乗鞍を乗っ取るのに大きな役割を果たしている、といえると思います。というか、そうするための「両面宿儺」なのだと思うくらいなわけですが。
今日も昼寝の時になんだか夢を見て。まー君がいきなり家にやってきて、結婚式の打合せをする、という夢でした。なんで? 裏口の石を掘り出したから? と思いました。