22年6月12日

 本日は外作業の日。母親は土の埋め戻し、土の清掃、土掘り、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。

 お裁縫は、新しいシャツは端の始末、父親のシャツは前身頃の作成、シャツは見頃の仕上げでした。

 テレビは昨夜は「SHOWチャンネル」他、今日の昼は「ニノさん」の録画を見ました。

 昨夜はなんだか夢を見て。なんだか、自分が工事? みたいなことをしていて、私が工事をしたら、暖かいお湯が出た、みたいな夢で。氷の山の白山の呪いを解く、ということはそういうこと? と思う。水を太陽女神の暖かい生命を育てる水に変えるのですな。

 で、飛騨怪奇ファイルの続き。

 怪奇その6。連続性が失われている、という謎。丹生川という地名は紀州(和歌山県)にあります。伊太祁曽神社も紀州(和歌山県)にあります。紀州は「木の国」と言われるくらい林業が盛んだと思いますし、丹生川を含む飛騨も「飛騨の匠」と言われるくらい林業と木工業が盛んです。だから、普通に考えたら、歴史が古くて文化や産業が発展したのは西からですから、上古に紀州から奥飛騨に入植した人々が、彼らの神と地名を持ってきて、そのまま子孫まで祀っていた、と考えるのが普通ですが、何故かその伝承が「ない」。現在、丹生都比売を擁する丹生川という川の地名がありながら、丹生都比売を祀る神社がない、といういわば神サマの「名義貸し」というか「五十猛神の女神の名前の使用詐欺」みたいな状態になって、神社の祭神と地名が一致しない歴史的な原因が分からない(地名も神社も紀州由来なのに)し、住んでいる人達の紀州からの移動と連続性も分からないわけです。分からない原因は紀州の側にも飛騨の側にもあります。
 紀州の側の問題としては、木の神五十猛は、地主神ではなくて「父親の須佐之男と共によそから来た神」ということになっています。だから、紀州の人あるいは、紀州に移住した人の誰かの「氏神」として祀られているのではなくて、林業とか木の神として扱われているから、どの氏族が彼を氏神(先祖)としているのかが分からない。元々の紀州の神ともいえず、奉斎氏族も明確でないのです。紀州は紀州で、丹生都比売が本来の地主神であることが示唆されますが、現在では彼女の存在もかなり希薄になっていますし、五十猛・須佐之男父子と丹生都比売の関係も明確でない。しかも、紀州には紀国造が奉斎した日前国懸神社があって、そことの関連性もはっきりしません。
 で、「産業の神」みたいにして祀られている、というのは飛騨でも同じらしいです。「林業の神」だから勧請した、みたいな。だから、祀っている人達は「五十猛の子孫ではない」という感じになります。でも、飛騨に元々住んでいた人々が五十猛命を勧請したのであれば、なんで「丹生川」という地名がおまけについてくるの? ということになるわけで。何故、五十猛命という神と、丹生川という地名がセットでそこにあるのかが、簡単には分からないようになっていて。古い氏族が、自分達の神の名も、地名も知っていて今でも使っているのに、自分達の出自だけ知らないなんてことある? というのが怪奇その6。うちだって祭神(祖神)も「高尾張」という出身も覚えてるらしいのに?? となります。