本日は買い物と外作業の日。五十猛神攻略、ということで、まずは近くの名立神社と津島神社を参拝してきました。
それ以外は外作業で、母親は土の埋め戻し、土の清掃、土掘り、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。
お裁縫は、新しいシャツは端の始末、父親のシャツは前身頃の作成、シャツは袖口のカフス作成。
テレビは昨夜は「News Zero」の録画、今日の昼は「それスノ」の録画を見ました。
本日は買い物と外作業の日。五十猛神攻略、ということで、まずは近くの名立神社と津島神社を参拝してきました。
それ以外は外作業で、母親は土の埋め戻し、土の清掃、土掘り、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。
お裁縫は、新しいシャツは端の始末、父親のシャツは前身頃の作成、シャツは袖口のカフス作成。
テレビは昨夜は「News Zero」の録画、今日の昼は「それスノ」の録画を見ました。
本日は忙しかったのです。とても。高速でいやがらせされたし。
でも「飛騨木曽」ってどう思うか、と聞かれる気がするわけで。五十猛神を祀る伊太祁曽神社の内、飛騨にあるものは、元々は「日抱宮」と言われていて、母子神信仰もあったらしい。で、だいたい和的には「天照大神が孫のニニギを抱いている図」とか、他の女神がニニギを抱いている、とか言われているらしい。でも、祭神は五十猛神である、と。
・・・どうも、こうも、ニニギも五十猛も「植物の種」の神であるので、それはさしづめ「ハイヌウェレなアッティス」のことであると思う。でも、「日を抱く」というと、単純に考えて、「イシスとホルス」なので、まあ地理と時代から考えて、それは露骨に「聖母マリアとイエス・キリスト」であると思う。それが嫌なら「神功皇后と応神天皇」あたりがお似合いである。だからグローバル的には、五十猛命はオシリスであって、男根のないアッティスといえる。でも、飛騨木曽の場合は、「子神」であるので、アッティスの属性が強いし、ホルスト言うよりは、イエス・キリストといえる。
で、ローマ教会的に「天の父なる神」とは、ギリシャ・ローマ神話的には男根がないのはウラノスの方なんだけれども、サートゥルヌスのことだよねえ? となる。五十猛の父親は須佐之男であるので、これがサートゥルヌス=クロノス=クマルビ=クンバン(スーサの神)=須佐之男、って繋がるんだな、これがー;。ローマ教会の場合、イエス=アッティス(植物神)でもありホルス(太陽神)でもあって良いのかもしれませんが、母親が「太陽神」といえるかどうかは微妙である。「子供を食らう神」=クロノス=モロク=牡牛の神、は「冥界の神」のこともあるけれども、その妻のペルセポネーも死んでないといけないので、「高古姫」ならぬ「高降姫」になって、「月の女神」の属性の方が強い。すなわち、「豊受」といえる。だから、「飛騨木曽」とか「日抱宮」といったら、父なる須佐之男に殺された母なる豊受とその子供の蚕イエス、と言った方が「飛騨木曽」的にはぴったりなんではないのでしょうか。うちの母親が「五十猛神」と「武五百建命」は違うのか? と言っていたわけですが、どうも「武五百建命(金刺氏の祖)」は「五十猛神」の10倍体で、「父なる神(上位の神)」を示してるのだと思う。ということは、金刺氏の祖である武五百建命とは須佐之男の別名であるといえる。
でも、信濃高尾張氏が神八井耳を祖神とするということは、信濃高尾張氏と金刺氏は同族なのである。信濃高尾張氏は出身地からみて、賀茂の一派である可能性が高い。ということは金刺氏も以下同文、である。ということは、本当は彼らの祖神は雷神・アジスキタカヒコネと下照姫なはずなのだけれども、それを隠蔽して、彼らは「武五百建命」(すなわち須佐之男)を祖神だと言って信仰している。そして須佐之男を祖神と述べる彼らは、飛騨の五十猛(子神)の子らを野麦峠の向こうで紡績で搾取して食い物にしたじゃん? それが「日抱宮」の信仰の姿でしょ? となる。で、共同で本来の宮川(古川)の縄文系の川の女神である太陽女神を「高降姫」と改名させて、高いところから突き落として死んだ「月の神」に変えようとしているのではないの? 「武五百建命」(すなわち須佐之男)の子孫を名乗るどっかの下社主導で始めた祭祀ですよねえ、それ? となる。
両面宿儺は「地元では良い人」みたいな扱いであって、典型的な「イエス型ハイヌウェレ神」である。安曇野の八面大王も同系統の神といえる。そっれを殺した武振熊はどう見ても「熊」の神クマルビ、「熊野」の神である。要は「須佐之男」の別名といえる。武振熊(武五百建命)の子供達が飛騨の五十猛神(両面宿儺)の子供達を食い物にして岡谷の工業地帯の繁栄は始まったのです。五十猛神(両面宿儺)とは食い物にされる蚕神(紡績産業)そのものだからだ。で、乗鞍はその象徴なわけだ。
というわけで、遠くに出かけてホームグラウンドに帰ってくると、これみよがしに「アッティスの男根(若い松の実)」が山のように散らかっている(ちなみにそこには松の木はないんだけど-;)ので、「うへえ」と思う-;。安房峠を再び越えるのは嫌だー、山嫌いー、と思うけれども、愛子ちゃんを蚕の奴隷にしておきたくないので頑張るしかない-;。だいたい、もう良いお年頃なんだから、好きな人を見つけて、眞子ちゃんみたいに駆け落ちの算段を立てるお年頃であって、蚕なんかにかまけてる年じゃないじゃん。「虫愛づる姫君」みたいだー、と思うあたくしであった-;。
というか、だいたいなんで、祖神でもないものを「祖神」だなどと言う気になったのか。私はそんな許可出してないよね? というか、「許可を出さなかったこと」と、「各地の古姫(太陽女神)を下照姫と習合させて祀るように」と言ったことが今の状態を招いている気がしてならない。わけのわからない武振熊は、つくべきものがついていてもちゃんと役にも立てないのだから、ついてないのと同然、女も同然、といえる。その人にはキュベレーの名前を上げましょう。というよりも、多分、その名前はもう持っているだろう、と思う。女のふりをして子神を食う男神なわけだ-;。