本日は外作業のみ。作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。
お裁縫は、新しいブラウスは端の始末。父親のシャツは前見頃の作成。自分用のシャツは袖口のカフスの作製でした。
飛騨行きで、「行ってくればバウムクーヘンを食べられるようになるよ。」と言われていた気がするわけです。なんで「高山に行ってくるとバウムクーヘン?」と思ったわけですが。安房峠を越えて岐阜側へ下っていくと、まず「丹生川」という集落に着くわけです。岐阜の側からは山に近い「奥飛騨」という扱いらしいですが、山から降りて来るとかなり開けたところに感じるわけで-;。で、集落の中に「伊太祁曽(いだきそ)」という神社がいくつもあって。時間がもったいないので参拝はしませんでしたが、丹生川とか伊太祁曽って熊野関連の地名ですよねえ? と思う。察するに、その辺りは熊野から入植した人達が作った集落なのだろうな、と思ったわけですが。実はこれが飛騨の特性と大いに関係しているらしくて、飛騨が木の産地であって木工芸が盛んなのは紀州から移住した人達が持ってきた文化らしくて。ともかく、そういうことは事前にあんまり調べていかなかったので、丹生川といえば丹生都比売(にふつひめ)というくらいしか思い浮かばなくて。「伊太祁曽って祭神は誰だっけ? 原始キリスト関係??」とかそんなレベルであってー;。で、ちょっと朝市に立ち寄ったわけですが、丹生都比売といえば「きゅうり」なので、丁度摘果メロンの摘果したものが売っていたので、それと地元のお菓子屋さんのポン菓子せんべいをおみやげに買ったわけです。丹生都比売は「天照大神の妹」とか言われているらしい。要は紀州の太陽女神であって、天照大神と同じ神という感じですよねえ? と思う。
で、しばらく行くと「ポン菓子なんて子供の食べ物なのに、それを選ぶなんてかわいいねえ。ポン菓子の女神だね。」と言われる気がするわけで@@。「子供舌で悪うございましたねえ?」と思うけれども、瓜とポン菓子のお礼に、予定にはないけれども、神域をちょっと清めてあげましょう、と思ったので次に行き当たった神社をお参りすることにして。寄ったら「御嵜神社」というところで。民俗学脳なあたくしなので、「御嵜」といったら「舟幽霊?」と思うタイプなわけですが、ともかく何かの「先端」を示す神社らしくて。昔はそこにお城もあったらしいのですが。立て看板を読むと、応仁の乱の頃に、そこに裕福な人(おそらく豪族級の人)が住んでいて、大火があったらしくて、当時の高価なものが大焼けしたものが出土するらしくて。応仁の乱に関する戦火に巻き込まれた、と考えるのが一番自然ですが、誰が誰に殺されて、その結果どうなったのかということが歴史上の記録にないらしくて。考えられるのは、おそらく「皆殺し」ということがあって、戦争の記録ごと、歴史の上から消されてしまったのだろう、と思う。その後戦国時代に謙信の城もあったらしくて。その後は、おそらく修験道関連が乗鞍の里宮を作って、乗鞍の稜線の末端なので「御嵜」というらしい。祭神は事代主である。で、参拝して写真を撮ろうとすると、カメラがレンズエラーを出すわけで。調子の悪いカメラではないのに? と思う。というか、そういう場合はだいたい何かよろしからぬ物がいるのでは? と思うことにしているわけで。一族郎党が皆殺しにされて、誰も菩提を弔ってくれる者がいない状態だったら、そもそも怨霊の巣窟だよねえ? どっかの「物部守屋神社」と同じで、山の裏側から乗鞍の梓水の竜神の竜脈を怨霊で呪ってないよね? と思う。犀川の源流をばっちくされると信濃国が迷惑ですぞ、犀川は九頭竜女神の管轄である。しかもその辺りは飛騨市と高山市の市街地へ向かう道が分岐しているから、交通の「辻」でもあって、怨霊は道を見張ることにもなる。ので、しっかりお参りさせて頂く。・・・というか、あたくしも修行の成果で怨霊に鼻が効くようになってない? と思うわけで-;。
で、家に帰って調べてみたら、「伊太祁曽」とは木の神である五十猛神(いそたける)を祀る神社で、この神は須佐之男の子神と言われているそうな。というか、神話的に「木」は「世界樹」に通じるし、須佐之男は世界樹の根に住む竜を構成する要素のうち「馬」である、といえるので。五十猛神は須佐之男の分身のようなものである。紀州も木の産地だから、このような神を祀っている。これが飛騨の木工芸の神ともいえる。
で、「水無神社」の話。水無神社は宮川(神通川の支流)と飛騨川の分水嶺である位山を神体山として祀る。紀州では「宮」といえば丹生都比売のことであって、丹生都比売はそもそも「水の女神」でもある。飛騨が紀州と同じ「木(紀)の国」であるならば、本来「水主神社」の主祭神として祀られるべきは誰か? と聞かれる気がするわけで。それはもちろん「丹生都比売」と思う。それを瓢箪の六芒星(雪の結晶)で封印して白山(氷の山)の女神を引っ張り込んで、「氷の川」にする呪いがかかってないですかねえ? 太陽女神である丹生都比売の封印と転落を狙ってない? と思う。
丹生川の里の五十猛神は、乗鞍の竜脈を押さえ込む役割を果たしており、どっかの舟幽霊がその力を増幅させていたのだと思う。でも、乗鞍は岐阜側の山でもあるので、神の恩恵は岐阜の側にもあって当然である。太陽の光が「水無神社」に届けば、それは丹生都比売の復活ともいえるし、丹生都比売とほとんど同じ神である天照大神がそこを仕切ることにも繋がる。丹生川でお菓子を買って丹生都比売が誰であるのかを教えて貰ったので、私は彼女と一緒に水無神社まで行って、宮川と飛騨川の主をあるべき者に整えてきたわけです。だから、乗鞍の山はつまんない開発とかしてはいけないのですよ。土地の住人が全ての歴史をかけて守ってきたお山の竜脈の清浄さは、それを取り扱える者が現れたら、人々を「黄泉の国の呪い」から解くのに使われるために守られてきたのです。
というわけで、なんで飛騨に行ってきたらバウムクーヘンが食べられるようになるのですかね? と問うと、「バウムクーヘンとは「木の切り株」という意味だから、「五十猛をとって食べる(五十猛に勝つ)」ということでしょ。」と言われる気がします。バウムクーヘンは五十猛の化身であるらしい@@。