22年5月11日

 本日は外出と外作業。姉は歯医者へ行きました。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。出かけると平日の昼間にもかかわらず、たくさんの車が出ていて「ありえないでしょ」と思います-;。作業服姿の男の人もちょいちょい目立ちます。

 お裁縫は、新しいシャツは袖口の始末、父親のシャツは接着芯の裁断、もう1個のシャツは襟付けです。開衿は複雑で難しいーー。

 テレビは、今日の昼は昨夜の「ブンブブーン」と「いただきハイジャンプ」の録画を見ました。

 どんなに邪魔が出ようが、進める話は進めます。各種書類を作成中です。

22年5月10日

 本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け、土掘り等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土掘り、土の清掃でした。なんだか、夕方、近隣住民にわずかですけど、いつにないいやがらせ的なことをされたので、「話が進むかな?」と思いましたが、進みそうです。

 お裁縫は、新しいシャツは袖付け、父親のシャツは型紙作りが完了、もう1個のシャツは襟付けです。

 テレビは、昨夜は先週の「CDTV」の録画等。今日の昼は昨夜の「News Zero」の録画、夜は「うたコン」を見ました。

 修那羅峠から青木村にかけて行ってきたわけですが、青木村も「義民の村」とかってでっかくあって気になる村である。しかも、なんだか全体に裕福そうな感じでもあって、それも気になる。国道沿いに車を走らせると、上田市に入った途端廃屋が目立つようになったりして。で、青木村に「子檀嶺神社」という神社があって。子檀嶺山という山を祀った神社であるらしくて。で、なんて読むのだろう? と思ったら「こまゆみじんじゃ」と読むらしい@@。それは善光寺の裏の神社と同じ?? と思う。で「子檀嶺山の神が、葦毛の駒に乗って立谷坂で落馬し、胡麻殻で眼を突いて傷を負った」ため、青木村では胡麻を作ってはならない、という言い伝えがあるらしい。で、昔は神社のことを「冠者宮ノくわじや明神」と言ったらしくて。この子檀神社の鎮座する地域ノ字・「管社」に胡麻の伝説があるらしい。善光寺には「善光寺如来は駒に乗り、年越しの夜に市内を巡業した」という伝説があります。そして、青木村には縄文時代の食料として渡来した、野生の里芋が天然記念物であるらしい。・・・里芋?? と思う。神と胡麻の言い伝えは、傷つけられた神と胡麻は、同一のもの、ということで、ハイヌウェレ神話と関連がある伝説です。しかも、縄文時代に里芋が東南アジアから入ってきているということは、「月の母女神」信仰とハイヌウェレ信仰も漏れなく入ってきているはず。ということは、「里芋と傷害される女神」の信仰が、後の時代に「胡麻と傷害される女神」に置き換わった、ということができます。それが更に「馬に乗った神」に置き換えられている。要は青木村では、胡麻が「ハイヌウェレ」なわけだ。そして「月の女神」でもある。・・・だって、「道の駅」で胡麻入りのクッキーが売ってたわけですが。神サマを食べていいの? というか、伝説の方を放っておいて、現代人の方が「食の禁忌」をものともせずにハイヌウェレを実践してるし、と思う-;。しかも、神社を昔「管の宮」と言ったのも気になる。それは「空き缶」とか「バチカン」とか、管に関係する神サマですよねえ? と思うー;。すなわち、子檀嶺(こまゆみ)山は、元々「月の母女神」の山だったところに、「馬に乗った管の神」を上書きして、乗っ取った山っていうふうに「見える」わけで。しかも、そこに諏訪神を勧請して、上っ面だけ諏訪系の神社に見えるようにしてあるわけです。というか、そう「見える」わけで。だいたい、善光寺の裏にも「大宜津比売」が祀られているわけだから、やっぱりハイヌウェレに「馬に乗った神」を上書きしてるよねえ? と思う。バチカンといえば、ローマですが、ローマの真の「父なる神」とは「サートゥルヌス」である。

 そうしたら「サートゥルヌスとはエジプトで言うところのオシリスと同じで、冥界神の一種でもある。我が子を食いつくすサートゥルヌスの名前を持っている者は誰か?」とひいじいさんに言われる気がするわけで@@。「え? それは家族に毒を盛って、家族を食い尽くすことを夢見ている者。」と思ったわけですが。「善光寺は九頭竜女神が自由に動き回れないように封印しているけれども、その封印に駒弓の神(サートゥルヌス)の力を利用している。駒弓の神の力の源は、子檀嶺(こまゆみ)山に隠してあるんじゃないの?」と言われる気がするわけで。それで、山の周りに「義民」という名前の怨霊を配したり、修那羅峠に石仏を山ほど配して子檀嶺(こまゆみ)山そのものを隠してた? と思う。母なる沼川姫の力を強化して信濃の国に戻ってきて、修那羅峠を潰したら、子檀嶺(こまゆみ)山すなわち「善光寺そのもの」が見えてきた気がするわけで。ほほほ、九頭竜女神をぼろっちい家に閉じ込めて出られないようにしているのは、家族を食い物にすることしか考えていなくて、ぼろっちい家に固執しているものらしい。で、あれこれ見えて来たところで、そんなことがいつまで続くかな? と思うあたくしである。ともかく、その辺りはもう少し念入りに掃除する必要がありそうーー、と思う。

 そして、昨夜はなんだか夢を見て。「なんだか学生時代をやり直そう。」みたいな夢で。自分がまだ中学生で、智君と翔ちゃんとニノちゃんが同じクラスにいる、という夢で。あんまり内容がなくて、それだけの夢だったのですが。

22年5月9日

 本日は父親を市民病院に連れて行って。その後、定例の買い物をして、外作業はお休みしました。外作業は姉が土の清掃、石片付け等でした。今週はあれこれあって忙しいです。来週になれば、少し楽になるかもしれません。午後は雨っぽかったので夕方の外作業はお休みでした。

 お裁縫は、シャツは袖付け、父親のシャツは型紙取り、もう1個のシャツは襟付けです。男性用のシャツの本の型紙と、父親が着ていた既製服の大きさを比べてみたら、型紙の方がかなり小さくて。なるべく既製服に合うように補正しながら型紙を作っています。

 テレビは、昨夜は「夜会」「ニノさん」「食宝」の録画等。今日の昼は先週の「CDTV」の録画を見ました。

 それから今日は涼ちゃんのお誕生日です。あれだけ「ジャにの」で宣伝してたら忘れないーーー、ということで。おめでとうございます<(_ _)>。

22年5月8日

 本日は家での作業の日でした。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。だいたい裏口の辺りの水道管の上の方に、細かい豆のような石がたくさん詰まっています。

 お裁縫は、シャツは袖付け、ケープコートは仕上がったので次は父親のシャツ、もう1個のシャツは襟付けで。冬物はしばらくお休みして、夏物をせっせと縫いたいと思います。

 テレビは、昨夜は「夜会」の録画等? 今日の昼は「ニノさん」の録画を見ました。

 それから5月6日はあーちゃんの誕生日でした。お誕生日、おめでとうー。

22年5月8日

 本日は神社巡りの日。安曇野の玄蕃稲荷、中堀神明社、貞享義民社、熊野神社、筑北村の安宮神社、国経営二柱神社、青木村の子檀嶺神社里宮、恋渡神社、上田市の越戸神社と、本日もがっつりと回ってきました。

 貞享義民社とは、江戸時代の松本藩の百姓一揆である貞享騒動の首謀者である多田加助らを祀った神社なわけですが。多田加助の行いは立派であると思う。だけれども、なんで「義民」って言うの? と、まずそこで引っかかる。だいたい「義民」だのと大仰に取り上げて騒ぐようになったのは明治以降の自由民権運動のプロパガンダであって、それって政治利用なんじゃないの? とまず思ってしまう。だって、明治以後の自由だの何だのと外国かぶれの思想が入って来た後と、封建江戸時代の加助の時代とでは、そもそも政治とかそういうものに対する「常識」の概念が全然違うじゃん? 明治以後は自由だの何だのと言って、庶民が政治に口を出すのはどんどん当たり前の時代になっていくけれども、江戸時代は庶民が政治に口を出しただけで、命の進退に関わる、というのが常識である。そういう違う考え方をしていた時代の人のことを、近代的な政治思想に無理矢理当てはめて「義民」だのって言うのがそもそも変じゃない? と思う。しかも、「義民」というと、「すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。 」って、パウロかよ、とかって思ってしまうので、私的には印象がよろしくないのである。

 そもそも「すべての人は罪を犯した」とはどういう罪なのです? 里芋とかタロイモの罪? 不可触民と勝手に決めつけられることは「罪」なのか? という問題がある。で、イエスが里芋よろしく身代わりに殺されたから、他の里芋は殺されずに済んで「義(正しい)とされる」とかどういう意味なのかもさっぱり、という感じである。(大宜津比売は「面白半分に殺された」と殺す者を明確に断罪した乙子狭姫の伝承は本当に立派、というべき。)「義民」加助は、死後、「農業の神様」のように見なされて、その墓石を削って畑にまくと良い、とかそういう俗信が生まれたようで、墓石の角が削られているそうです。騙されて殺されて、死後「農業の神様」扱いされるところは、まさにイエス・キリストかハイヌウェレか、という感じである。要は、自由民権運動下の「義民」なんて、「イエス・キリスト」の焼き直しのキリスト教か、でなきゃハイヌウェレ神話の宣伝みたいなものでは? と思うので、そういう取扱の仕方がそもそも反吐が出そう、とかそんなことしか思わない私である。

 というか、そもそも貞享騒動後に藩主が殿中で乱心とか、本物の「怨霊」なんじゃないの、幽霊なんていやーーー、とか思うわけですがー;。参上さんとかに「そうはいっても自分も幽霊だし。」と言って慰めて貰うー;。で、渋々行く-;。行けば疲れるけれども、神社そのものでは気分は悪くならないわけで、「春日山とか清浄なところでは気分が悪くなるくせに、怨霊まみれのところでは気分悪くならない。」と言われる-;。でも、自力では処理しきれない怨霊を連れて歩くと、疲れるんですけど? と思う-;。というわけで、なんだかんだ言って、熊野神社の稲荷で、一人小さな稲荷神を救出して連れ出す(自力では逃げられないし、抜け出せなかったらしい)。玄蕃さんのところには伏見さんを置いてくる。空いた稲荷には、虎ちゃんが自分の霊力の一部を突っ込む、修那羅山には適当に大岩さんを送り込む、ということで、変なものを結構連れ帰ってしまったので、もよりの所に預けて処理して貰うことにして帰ってきたのでした。こんな「怨霊ツアー」みたいなのもめったにない気がするわけで。

 で、貞享騒動のこともあれこれ調べたのですが。要は藩が、詐欺を働いて、逆に加助を悪者にした、ということである。でも、多田家というのは、元々、小笠原の家臣が帰農したもののようで、屋敷も掘りを巡らしたような立派なものであったらしい。だから、代々の当主は武家に準ずる教養があったであろうし、そういう点からも「庄屋」とか村のまとめ役を任されていたのだろうし、藩に対して意見することもあったのだと思う。で、松本藩の動きも不可解であって、周囲の藩が2斗5升の年貢であって、しかも諏訪高島藩と松本藩とかは、元々住民の交流が深いから、互いの地域の年貢なんてすぐに知り得る間柄である。だから、松本藩だけ年貢が高ければ、住民の不満が募って、藩にとってもリスクが増える、と分かっていて当然なのに、特に困っているわけでもないのに、なんで3斗5升という大増税にしたのか、その理由が不明である。しかも、大勢の農民が城下に集まって、結局3斗据え置きになったのに、なんで加助一行は2斗5升に強力にこだわったのだろうか、とも思う。3斗でも年賀高いのかもしれないけれども、他の村々は結局藩の工作とか圧力で3斗に賛成したのに、なんで加助一行だけは2斗5升に固執したのか、周囲の人々の動きは見なかったのか? と、そんな気がするわけです。

 で、今日は加助の墓参りもさせていただいたわけですが。その時だけ、ひいじいさんに「中身がないと分かっていても墓はきつい」と言われたわけで。虎ちゃんが「さすがの執事殿も全盛時に比べると腕が落ちてますね」と突っ込まれていた気がするわけですが@@。個人的には多田家の家紋が「王」であったのが気になって。それが先祖代々のものであるなら、どこから来たのだろう? と思う。小笠原氏は室町時代に「王」の家紋を許されたけれども、「もったいない」ということで三階菱を家紋にしていたそうなので。小笠原氏の紋? 家臣といえども同族? 同族なら甲斐源氏ですよねえ?? とかそんなことを思って。加助の子孫も賢い人が多そうなので、元は源氏であったのかなあ、と思ったのでした。

 で、家に帰って、怖い物見たさの「ミタゾノ」を見る。「純愛な二人」の話、漁師の娘の話である。・・・その「純愛な二人」ってモデルがいるよね? って誰もが突っ込む内容だった気がする。秋篠宮って魚の研究をしてたよね? って見た人はみんな思うと思う-;。しかも、最後に「純愛な二人」は大道芸(見世物)をやって生きていくことにしたわけで。え? それって現実にそうやって生きていくっていう決定事項じゃないよね? 受かるはずの試験を、誰かにそそのかされてわざと落ちたりしてないよね? と、思わずどん引きしている自分がいるわけで。誰が書いたの、そのシナリオを? と思う。というか、「そんなシナリオを書いて許可を出せる人は一人しかいないでしょ。だいたい、あなたは今季は「正直不動産」と「ミタゾノ」しかドラマを見てないでしょ。どういう「頭のいい人間」がシナリオを書いているか分かるよね?」と言われる空耳が聞こえる気がするわけで-;。え? 「嘘がつけない人とか?」って自分が青くなる気がするわけで-;。(え? 「大道芸な二人」で「自分は嘘がつけない」って言われたら出てくる言葉がないんですけど? と思うわけですが;。)そこの家のことには「口を出すな」と釘をさされてるから出しませんけどねえ?? としか言えない-;。で、「ミタゾノ」の予告を見たら、来週は引きこもりの「階段落ち」で、しかも毎日タイムリープしたかのように落ちる話? なの? みたいな感じであって。「怖い物見たさ」どころの話ではない。毎日階段落ちする人なんて、この世に一人しかいなくない? と突っ込む私がいるわけですが-;。まさに恐怖ドラマの「ミタゾノ」である-;。