本日は外出の日、かつ神社巡りの日でした。上田市武石地区の駒形神社、妙見寺、青木村の大宝寺、阿鳥川神社、子檀嶺神社、日吉神社(と向かいの天神社?)、村松神社、勇吉宮、豊受大神宮とがっつり回ってきました。
お裁縫は、新しいブラウスは型紙作り。父親のシャツは端の始末。自分用のシャツは脇を縫い合わせています。
テレビは昨夜は自分だけ「うたコン」を見て、録画では「それスノ」を見ました。
で、子檀嶺神社とは上田市武石地区とか青木村に固まっているわけですが、だいたい山に子檀嶺に近い名前があって、その里宮とか中社という感じで配置されているわけです。では、善光寺の駒形嶽駒弓神社は何? 地附山をかつては駒弓山みたいに名づけようとしていた名残なのか?? と思うわけですが、歴史的痕跡が残っていないので良く分かりません。それから、いろいろな事情で、長野市上松地区の「産土」の神社を前々から探していて。でも、良く分からなくて。だけど、遂に発見、というか、どうも、駒形嶽駒弓神社の里宮が上松にあって、そこが産土の神社とされているらしい。金鵄の高校のすぐ近くだし、灯台下暗し、と思う@@。で、良く考えたら、地附山には雲上殿とかあるし、霊山寺という首がいっぱい埋まっているお寺もあるらしい。(何故かというと、川中島合戦の時に上杉の陣地がそこにあって、そこで敵の首検分をしたから-;)しかも、元々善光寺はその辺りにあって、五輪塔もいっぱい出てきたらしい。五輪塔ってお墓だよねえ? とふと思う。地附山が「駒弓の神」の座所だとして、死霊がいっぱいいそうだよねえ? 新旧合わせた、というか、死霊でいっぱいにして「駒弓の神」をそこから出さないための地附山か? バードラインはそもそも何のために作ったん? とふと思う。「神を閉じ込めるための怨霊はどこに集められている?」とふと思う。というか、最近は、そんなことしか思わないあたくしである。どうりで、長尾の虎ちゃんが「執事殿(高師直)は死霊の扱いに弱いところがある。」とか、「自分はそれを当人(高師直)に直接言いたくて、頑張って修行して神になったんだよ。」と言うわけだ@@。古い家の周りもお墓だらけだったけど、駒弓の宮も気合いが入ってるし。と思う。その山が崩れたのは私が高校の時である。それもなにがしかの代償だった? とふと思う。というわけで、虎ちゃんと一緒に行かなきゃいけないところがまだあるらしい。虎ちゃんなら首と一緒にどれだけの死霊がため込まれているか知っているはず。そもそも上杉謙信がため込んだ首だし、と思う-;。私に一緒に行け、ということは、私の方が「死霊に強い」と見込まれているらしい-;。虎ちゃんが来てから、虎ちゃんの好きな「執事殿」関連の話がどんどん進むしー、と思う。
で、さもありなん、と思うわけですが、家に帰ってきてから地図で確認してみました。だいたい、岡谷・下諏訪下社あたりから、上田市武石地区、青木村、善光寺って、一直線で結べますの、こう言っては何ですが、青木村は義民の巣窟、善光寺と地附山は死霊の山で、その先に斑尾がある。下社の奥宮は八島湿原にあると言われていますが、真の奥の宮は「駒弓霊ライン」の先にある「斑尾」と見た。信玄は出発点である諏訪を手に入れて下社と伝統的に仲の悪い上社を私物化し、弱体化させようとした。謙信は斑尾の北にある富倉神社に「魔王退治」の呪法を残した。下諏訪と富倉神社を直線で結んだ「駒弓霊ライン」を巡って、結局川中島合戦の越後側の本陣に戻ってきましたよ。だけど国境破りは八幡原から始まったんだよ? と思う。色んな因縁を感じるわけですが。「灯台下暗し」である。最大の霊場はけっこう身近にあったみたいです。でも、あちこち巡ってこないと見付け出せなかったということらしいです。