本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け、土掘り等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土掘り、土の清掃でした。なんだか、夕方、近隣住民にわずかですけど、いつにないいやがらせ的なことをされたので、「話が進むかな?」と思いましたが、進みそうです。
お裁縫は、新しいシャツは袖付け、父親のシャツは型紙作りが完了、もう1個のシャツは襟付けです。
テレビは、昨夜は先週の「CDTV」の録画等。今日の昼は昨夜の「News Zero」の録画、夜は「うたコン」を見ました。
修那羅峠から青木村にかけて行ってきたわけですが、青木村も「義民の村」とかってでっかくあって気になる村である。しかも、なんだか全体に裕福そうな感じでもあって、それも気になる。国道沿いに車を走らせると、上田市に入った途端廃屋が目立つようになったりして。で、青木村に「子檀嶺神社」という神社があって。子檀嶺山という山を祀った神社であるらしくて。で、なんて読むのだろう? と思ったら「こまゆみじんじゃ」と読むらしい@@。それは善光寺の裏の神社と同じ?? と思う。で「子檀嶺山の神が、葦毛の駒に乗って立谷坂で落馬し、胡麻殻で眼を突いて傷を負った」ため、青木村では胡麻を作ってはならない、という言い伝えがあるらしい。で、昔は神社のことを「冠者宮ノくわじや明神」と言ったらしくて。この子檀神社の鎮座する地域ノ字・「管社」に胡麻の伝説があるらしい。善光寺には「善光寺如来は駒に乗り、年越しの夜に市内を巡業した」という伝説があります。そして、青木村には縄文時代の食料として渡来した、野生の里芋が天然記念物であるらしい。・・・里芋?? と思う。神と胡麻の言い伝えは、傷つけられた神と胡麻は、同一のもの、ということで、ハイヌウェレ神話と関連がある伝説です。しかも、縄文時代に里芋が東南アジアから入ってきているということは、「月の母女神」信仰とハイヌウェレ信仰も漏れなく入ってきているはず。ということは、「里芋と傷害される女神」の信仰が、後の時代に「胡麻と傷害される女神」に置き換わった、ということができます。それが更に「馬に乗った神」に置き換えられている。要は青木村では、胡麻が「ハイヌウェレ」なわけだ。そして「月の女神」でもある。・・・だって、「道の駅」で胡麻入りのクッキーが売ってたわけですが。神サマを食べていいの? というか、伝説の方を放っておいて、現代人の方が「食の禁忌」をものともせずにハイヌウェレを実践してるし、と思う-;。しかも、神社を昔「管の宮」と言ったのも気になる。それは「空き缶」とか「バチカン」とか、管に関係する神サマですよねえ? と思うー;。すなわち、子檀嶺(こまゆみ)山は、元々「月の母女神」の山だったところに、「馬に乗った管の神」を上書きして、乗っ取った山っていうふうに「見える」わけで。しかも、そこに諏訪神を勧請して、上っ面だけ諏訪系の神社に見えるようにしてあるわけです。というか、そう「見える」わけで。だいたい、善光寺の裏にも「大宜津比売」が祀られているわけだから、やっぱりハイヌウェレに「馬に乗った神」を上書きしてるよねえ? と思う。バチカンといえば、ローマですが、ローマの真の「父なる神」とは「サートゥルヌス」である。
そうしたら「サートゥルヌスとはエジプトで言うところのオシリスと同じで、冥界神の一種でもある。我が子を食いつくすサートゥルヌスの名前を持っている者は誰か?」とひいじいさんに言われる気がするわけで@@。「え? それは家族に毒を盛って、家族を食い尽くすことを夢見ている者。」と思ったわけですが。「善光寺は九頭竜女神が自由に動き回れないように封印しているけれども、その封印に駒弓の神(サートゥルヌス)の力を利用している。駒弓の神の力の源は、子檀嶺(こまゆみ)山に隠してあるんじゃないの?」と言われる気がするわけで。それで、山の周りに「義民」という名前の怨霊を配したり、修那羅峠に石仏を山ほど配して子檀嶺(こまゆみ)山そのものを隠してた? と思う。母なる沼川姫の力を強化して信濃の国に戻ってきて、修那羅峠を潰したら、子檀嶺(こまゆみ)山すなわち「善光寺そのもの」が見えてきた気がするわけで。ほほほ、九頭竜女神をぼろっちい家に閉じ込めて出られないようにしているのは、家族を食い物にすることしか考えていなくて、ぼろっちい家に固執しているものらしい。で、あれこれ見えて来たところで、そんなことがいつまで続くかな? と思うあたくしである。ともかく、その辺りはもう少し念入りに掃除する必要がありそうーー、と思う。
そして、昨夜はなんだか夢を見て。「なんだか学生時代をやり直そう。」みたいな夢で。自分がまだ中学生で、智君と翔ちゃんとニノちゃんが同じクラスにいる、という夢で。あんまり内容がなくて、それだけの夢だったのですが。