22年5月8日

 本日は神社巡りの日。安曇野の玄蕃稲荷、中堀神明社、貞享義民社、熊野神社、筑北村の安宮神社、国経営二柱神社、青木村の子檀嶺神社里宮、恋渡神社、上田市の越戸神社と、本日もがっつりと回ってきました。

 貞享義民社とは、江戸時代の松本藩の百姓一揆である貞享騒動の首謀者である多田加助らを祀った神社なわけですが。多田加助の行いは立派であると思う。だけれども、なんで「義民」って言うの? と、まずそこで引っかかる。だいたい「義民」だのと大仰に取り上げて騒ぐようになったのは明治以降の自由民権運動のプロパガンダであって、それって政治利用なんじゃないの? とまず思ってしまう。だって、明治以後の自由だの何だのと外国かぶれの思想が入って来た後と、封建江戸時代の加助の時代とでは、そもそも政治とかそういうものに対する「常識」の概念が全然違うじゃん? 明治以後は自由だの何だのと言って、庶民が政治に口を出すのはどんどん当たり前の時代になっていくけれども、江戸時代は庶民が政治に口を出しただけで、命の進退に関わる、というのが常識である。そういう違う考え方をしていた時代の人のことを、近代的な政治思想に無理矢理当てはめて「義民」だのって言うのがそもそも変じゃない? と思う。しかも、「義民」というと、「すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。 」って、パウロかよ、とかって思ってしまうので、私的には印象がよろしくないのである。

 そもそも「すべての人は罪を犯した」とはどういう罪なのです? 里芋とかタロイモの罪? 不可触民と勝手に決めつけられることは「罪」なのか? という問題がある。で、イエスが里芋よろしく身代わりに殺されたから、他の里芋は殺されずに済んで「義(正しい)とされる」とかどういう意味なのかもさっぱり、という感じである。(大宜津比売は「面白半分に殺された」と殺す者を明確に断罪した乙子狭姫の伝承は本当に立派、というべき。)「義民」加助は、死後、「農業の神様」のように見なされて、その墓石を削って畑にまくと良い、とかそういう俗信が生まれたようで、墓石の角が削られているそうです。騙されて殺されて、死後「農業の神様」扱いされるところは、まさにイエス・キリストかハイヌウェレか、という感じである。要は、自由民権運動下の「義民」なんて、「イエス・キリスト」の焼き直しのキリスト教か、でなきゃハイヌウェレ神話の宣伝みたいなものでは? と思うので、そういう取扱の仕方がそもそも反吐が出そう、とかそんなことしか思わない私である。

 というか、そもそも貞享騒動後に藩主が殿中で乱心とか、本物の「怨霊」なんじゃないの、幽霊なんていやーーー、とか思うわけですがー;。参上さんとかに「そうはいっても自分も幽霊だし。」と言って慰めて貰うー;。で、渋々行く-;。行けば疲れるけれども、神社そのものでは気分は悪くならないわけで、「春日山とか清浄なところでは気分が悪くなるくせに、怨霊まみれのところでは気分悪くならない。」と言われる-;。でも、自力では処理しきれない怨霊を連れて歩くと、疲れるんですけど? と思う-;。というわけで、なんだかんだ言って、熊野神社の稲荷で、一人小さな稲荷神を救出して連れ出す(自力では逃げられないし、抜け出せなかったらしい)。玄蕃さんのところには伏見さんを置いてくる。空いた稲荷には、虎ちゃんが自分の霊力の一部を突っ込む、修那羅山には適当に大岩さんを送り込む、ということで、変なものを結構連れ帰ってしまったので、もよりの所に預けて処理して貰うことにして帰ってきたのでした。こんな「怨霊ツアー」みたいなのもめったにない気がするわけで。

 で、貞享騒動のこともあれこれ調べたのですが。要は藩が、詐欺を働いて、逆に加助を悪者にした、ということである。でも、多田家というのは、元々、小笠原の家臣が帰農したもののようで、屋敷も掘りを巡らしたような立派なものであったらしい。だから、代々の当主は武家に準ずる教養があったであろうし、そういう点からも「庄屋」とか村のまとめ役を任されていたのだろうし、藩に対して意見することもあったのだと思う。で、松本藩の動きも不可解であって、周囲の藩が2斗5升の年貢であって、しかも諏訪高島藩と松本藩とかは、元々住民の交流が深いから、互いの地域の年貢なんてすぐに知り得る間柄である。だから、松本藩だけ年貢が高ければ、住民の不満が募って、藩にとってもリスクが増える、と分かっていて当然なのに、特に困っているわけでもないのに、なんで3斗5升という大増税にしたのか、その理由が不明である。しかも、大勢の農民が城下に集まって、結局3斗据え置きになったのに、なんで加助一行は2斗5升に強力にこだわったのだろうか、とも思う。3斗でも年賀高いのかもしれないけれども、他の村々は結局藩の工作とか圧力で3斗に賛成したのに、なんで加助一行だけは2斗5升に固執したのか、周囲の人々の動きは見なかったのか? と、そんな気がするわけです。

 で、今日は加助の墓参りもさせていただいたわけですが。その時だけ、ひいじいさんに「中身がないと分かっていても墓はきつい」と言われたわけで。虎ちゃんが「さすがの執事殿も全盛時に比べると腕が落ちてますね」と突っ込まれていた気がするわけですが@@。個人的には多田家の家紋が「王」であったのが気になって。それが先祖代々のものであるなら、どこから来たのだろう? と思う。小笠原氏は室町時代に「王」の家紋を許されたけれども、「もったいない」ということで三階菱を家紋にしていたそうなので。小笠原氏の紋? 家臣といえども同族? 同族なら甲斐源氏ですよねえ?? とかそんなことを思って。加助の子孫も賢い人が多そうなので、元は源氏であったのかなあ、と思ったのでした。

 で、家に帰って、怖い物見たさの「ミタゾノ」を見る。「純愛な二人」の話、漁師の娘の話である。・・・その「純愛な二人」ってモデルがいるよね? って誰もが突っ込む内容だった気がする。秋篠宮って魚の研究をしてたよね? って見た人はみんな思うと思う-;。しかも、最後に「純愛な二人」は大道芸(見世物)をやって生きていくことにしたわけで。え? それって現実にそうやって生きていくっていう決定事項じゃないよね? 受かるはずの試験を、誰かにそそのかされてわざと落ちたりしてないよね? と、思わずどん引きしている自分がいるわけで。誰が書いたの、そのシナリオを? と思う。というか、「そんなシナリオを書いて許可を出せる人は一人しかいないでしょ。だいたい、あなたは今季は「正直不動産」と「ミタゾノ」しかドラマを見てないでしょ。どういう「頭のいい人間」がシナリオを書いているか分かるよね?」と言われる空耳が聞こえる気がするわけで-;。え? 「嘘がつけない人とか?」って自分が青くなる気がするわけで-;。(え? 「大道芸な二人」で「自分は嘘がつけない」って言われたら出てくる言葉がないんですけど? と思うわけですが;。)そこの家のことには「口を出すな」と釘をさされてるから出しませんけどねえ?? としか言えない-;。で、「ミタゾノ」の予告を見たら、来週は引きこもりの「階段落ち」で、しかも毎日タイムリープしたかのように落ちる話? なの? みたいな感じであって。「怖い物見たさ」どころの話ではない。毎日階段落ちする人なんて、この世に一人しかいなくない? と突っ込む私がいるわけですが-;。まさに恐怖ドラマの「ミタゾノ」である-;。