本日は出かける日なので、出かけて、ついでに栄村まで行って、県境の健森田神社と矢放神社に参拝してきました。健森田神社は長野県側の神社で諏訪系の神社、矢放神社は津南町の神社で高皇産霊尊などが主祭神らしいです。津南町には矢放神社がいくつかあって、群馬県の方から勧請したらしいですが、由来の詳細はよく分かりません。諏訪系の神社は、武田氏が保護した関係か、武田の支配地域であったところは立派なものが多いのですが、北の謙信の影響が強かった地域は、ちょっと扱いが悪いような印象を受けますー;。で、帰りに栄村の「道の駅」にも寄っていくように、と言われたので寄りました。で、津南ポークと、地場の雪下にんじんと栄村のおかきと、茅野の寒天と、茨城のおせんべいを買ってきました。・・・「茨城の米を是非買え」と言われるわけだから、栄村の特産であろうがなかろがうが、買うしかないわけでー;。
そうしたら、縄文中期の「火焔型土器」の立派なレプリカが置いてあって。火焔型土器は新潟の信濃川流域を中心に見られるわけですが、栄村からも出土して最南端の発見となったらしくて。炎のような形の土器で、頂部に「鶏冠」のような文様があることが特徴で。「ん?」と思う。世界樹とか「世界」を模した神話世界で中国を中心としたものでは、扶桒樹の頂上にいる鳥はいわゆる三足烏(八咫烏)となっています。でも、「鶏冠」がある、ということは、「烏ではなくて鶏が太陽を支える鳥神である」という信仰が、縄文中期の信濃川流域にあったってことだよねえ? と思う。鶏は雷神の象徴である。ということは、縄文中期から、そのあたりは、炎の象徴である太陽女神と鶏神(雷神)の組み合わせの神々を信仰してたわけだ。だから、宝徳山のあまり聞き慣れない神々が、何が変化したものなのか分かるでしょう? と言われる気がするわけで-;。というわけで、信濃川流域の人々は5000年前から「太陽女神と雷公推し」らしい。太陽女神に婿が30人もいても、どうでもいいらしいー;。どうりで、茨城のおせんべいを買え、と言われるわけだ。・・・言っておくけど、茅野の寒天の方に高いお金を出してるから、出してるんだからね! と思ったわけですがー;。栄村は「雷公大好き越後文化」の最北端であるらしい。そういうことを邪魔しようとして、信濃川の上流の長野県の各地の川に、いっぱい怨霊が取り憑いていた、とかないよねえ? と思うわけで。朝日神社まで出向いて、川に取り憑いた怨霊を払って、遂に県境を固めました。栄村から始まって、一周回って「道の駅」にまでたどり着くことができて、私も嬉しかったです。
お裁縫は、新しいシャツは見返しの縫い合わせ、ケープコートは裏地の裾の始末、シャツは見返しの縫い合わせでした。
テレビは、昼は「正直不動産」の録画を見て元気を貰いました。昨夜は「News Zero」と「それスノ」の録画でした。
不動産屋さんもどきは、話が進むのか? と思いますがよく分かりません。GWに入ると役所が休みに入るので、その間は取引をする気はないわけですが。(金融機関も休みだし)でも、話が進んだときのことを考えて、必要書類は頑張ってGWに入る前の今日にかき集めてきました。後は各書類を作るだけですが、どうなるのかはそれ以上はまだ不明です。
それから、朝方なんだか夢を見て。自分が何かから逃げていて、可哀想に思ってくれた人に逃がして貰ったり、必要な食べ物とかお金を貰っている、という夢で。大野君がちょこっと出てくる夢で。それは分かってはいるのですが。