本日は出かける日で、かつ寒くて雪もちらついていたので、外作業はお休みでした。雪は夕方にはかなり溶けました。
お裁縫は、ジャケットは後ろ身頃と前見頃の縫い合わせ、ケープコートはボタン付け、小物はコースター作りです。暖かくなれば外作業がメインになりますので、この隙にあれこれやっています。
テレビは、昨夜は「News Zero」の録画の続きと、「それスノ」の録画を見て。今日の昼は「ブンブブーン」の録画を見ました。
本日は出かける日で、かつ寒くて雪もちらついていたので、外作業はお休みでした。雪は夕方にはかなり溶けました。
お裁縫は、ジャケットは後ろ身頃と前見頃の縫い合わせ、ケープコートはボタン付け、小物はコースター作りです。暖かくなれば外作業がメインになりますので、この隙にあれこれやっています。
テレビは、昨夜は「News Zero」の録画の続きと、「それスノ」の録画を見て。今日の昼は「ブンブブーン」の録画を見ました。
で、自分の書いた文書を見て思い出したわけですが。ひいばあさんは「父親を殺されたら自分も死ぬ」って騒いで、本当は自分が死ぬのではなくて旦那を毒殺したそうで-;。叔母さんも気に入らないことがあると、すぐに「俺は死ぬ死ぬ」って騒ぐ人だったけど、90過ぎまで生きて天寿を全うしましたがな、と思う。だいたい、自分から「死ぬ死ぬ」なんて騒ぐ人にろくなのはいないですよ、と思う-;。そういうのに限って自分から死んだりしないものである-;。本気で自殺を考えるほど落ち込めば、そんな大騒ぎする元気があるはずがない。ひいじいさんはあっさり無罪放免になって「あっさりしすぎ」と思ってるらしいです-;。
雪が降ったので、外作業はお休みでした。
お裁縫は、ジャケットの袖つけ、ケープコートはボタン付け、小物はコースター作り。資料の整理もやっています。
ここのところ、民話や神話もけっこう勉強していて。「木と鳥と女性(女神)」の組み合わせに関して調べていたわけです。「木と鳥」といったら、一番古い形式は「扶桑と太陽鳥(いわゆる八咫烏)」であって、これと一体となっている「女性」とは「太陽女神」のことなんだろうな、とはなんとなく分かってたわけです。答えは分かっているわけですが、でも、古代中国では「太陽女神」だったはずの嫦娥が「月の女神」に変更されてしまっているし、何か変だな、と思う。で、気がついたことですが、こういう女性達は「罰」を受けているわけです。「なんでだろう?」と思う。それから、「木と鳥と女性(女神)」は「蛇」と対立することも多い。「扶桑と太陽鳥」には蛇なんて出てこないのに何故? と思う。
で、ちょっと前に、ちょっと変な夢も見たわけです。夢の中で、女の人が泣いていて、それは彼女の父親が悪い男だったからである。で、王様であった彼女の夫に処刑されそうになっていたので、女の人が泣きながら「父親を殺されたらとても私は生きていけません。命を助けて下さい。」って言っている夢である。で、「あなたならどうする?」と言われる気がするので「有罪であれば、処刑する。身内だからって甘い顔してたら、何のための「法(ロウ)」なのか分からないじゃん。法は万民に公平で公正でなければならぬもの。」と言ったら「迷いがねーな。」と言われる気がするわけで。・・・「身内の恥」みたいなことはあらゆる状況から、総合的に考えて表に出したくない、というか、大事になる前に予防したいとは思うけど、だいたい私はそんなファザコンじゃないし? と思う-;。
で、「罰を受ける太陽女神」の法に戻ると、東から述べれば、嫦娥は夫のゲイに連座して神の世界から追放される、インドのガルダの母親ヴィナータは賭けに負けて奴隷になる、イランのロスタムの母親はロスタムを生むときに非常な難産で苦労する(昔の人は病気も天罰だと考えていた)、メソポタミア(イラク)のイナンナは自分の大切な木に蛇が住み着いて苦労する・・・なんかみんな苦労するというか、「罰」を受けているわけです。「なんでなのかなー、どういう理論というか、理屈なんだろう?」と思っていて。で、よく考えてみたら、嫦娥以外は、みんな「蛇」で苦労してることが多いわけです。木の根元に住んでいる「蛇」である。嫦娥は旦那で苦労している-;。
で、今日、光ちゃんのインスタライブがある、というので親に頼んで、わざわざ夕飯を早くしてもらって、楽しみに見たわけです。ナイツ・テイルで伸ばした髪を楽しそうに切ってたわけですが。で、見終わったらひいじいさんに「イブの原罪とは何か」と言われる気がするわけで。イブは、悪魔の蛇にそそのかされて、夫に禁忌の林檎を食べさせたので、二人揃って楽園を追放されたわけですが。旦那をそそのかしたイブが悪い、っていうのは、カトリック的な「原罪」でしょ、と思うというか、それで、はっと思うわけで。イブ(太陽女神)は旦那に食べてはならないものを食べさせた、すなわちそれは「毒を盛った」ということで、旦那はそれで死んだ、妻はそれで処刑された、ってそういうこと? と思う。ということで、神話や民話の世界に登場する「蛇」には2種類あることに気がつく。
一つは「川伯」的な川の神で、これは大昔は人身御供を捧げていた神である。もう一つは、「木の根元に巣くう混沌の蛇」であって、こちらは世界の秩序を破壊する神、と言われている。古代エジプトでは、太陽神ラーは毎晩地下世界で混沌の蛇と戦う、とされていて、太陽神の敵である。「混沌の蛇」は太陽女神の敵である。・・・というか、そもそも古代中国を太陽を射落とした英雄はゲイである。だから、太陽と対立する「蛇」とは、ゲイのもう一つの姿なんじゃん? と思う。ということは、各地の神話の世界で有名な「太陽と蛇の対立」というのは、「ひいばあさんとひいじいさんの対立」であり、「罰を受ける太陽女神」とは夫を毒殺した毒殺魔のひいばあさんのことかーーい、と思う-;。・・・身内の恥を世間から隠しておきたい、どころか、5000年前の身内の恥を世界中の人が知ってるってことかい、と思うわけで-;。自分というのは、ファザコンじゃないけど、世間体というものはけっこう気にするぞ、と思う-;。
ということで、ひいじいさんからは「こういう話を見るたびに、自分は妻に毒殺されるような、そんなにひどい男だったかなあ、と思うんだよ。」と言われる気がするわけでー;。・・・ひいばあさんというのは、うちの父親の亡くなった一番上の叔母さんみたいな人だったんじゃないの? と思う。この人もそうとう大概な気性だったけど、ひいばあさんの遺伝子かい、と思う-;。だいたい、近しい家系図を見ても、なんだか若くして亡くなっていて、「この人本当はなんで死んだの?」と思う人がけっこうちらほらいる家系なので-;。「ブンブブーン」を見てると「ものの見事に男の方を責める気持ちがないね」と言われる気がするわけで-;。・・・どう見てもひいばあさんの方が悪いに決まってる、その子孫の大概な気性を見れば、状況証拠はそれで充分、どんだけその気性の群に苦労させられたと思うのか、と思うわけで-;。犯罪者を出さずに世間体を保つには、予防が肝要である。誰も毒殺されなきゃ、毒殺事件も起きないのである-;。