昨日は茅野へ出かけて、葛井神社、達屋酢蔵神社、姫宮神社、達屋社、諏訪大社上社前宮、本宮、藤島社、蓼宮神社、千鹿頭神社(有賀)、洩矢神社を参拝してきました。長野市は雪が降っていたのに、諏訪は快晴でまるで別世界に来たようだ、と思いました。今回は、水と竜女に関する神社を中心に巡ってきました。
で、あんまり重要度が高くない「オカルト」から。某神社に近づくときに、「本宮には境内摂社に出早雄社があったはず。お参りできればいいなあ。」と思っていたら「諏訪まで来て出早雄命じゃないでしょ。そんなんどうでもいいじゃん。」と言われる気がする@@。カーステレオのBGMで福山君の曲を聴いていて、「諏訪には道標が似合う気がする。」としみじみしていたら「嵐の曲を聴けばいいのに。」と言われる気がする@@。境内に入ったら「我等は黙示録の戦士なり。神はイエス・キリストただ一人!」って騒いでる声が聞こえる気がする@@。「諏訪の柏手って何回だっけ?」ってちょっと混乱してたら「そんなん分からなかったら、大橋和也みたいに尻でも降っとけ。」と言われる気がする@@。お守りを買ってたら巫女さんから「あんな当主ですが、今年もよろしくお付き合いください。」と言われる気がする@@。・・・はっきり言って境内に入ったら「神はイエス・キリストただ一人!」って騒がれる神社にはあんまり何度も行きたくないわけですがー;。鳥居の外にまで参拝客が溢れていて、それもびっくりでした-;。何か悪口ばっかり聞かされて、神々しさのかけらもない気がー;。
で、その次。茅野から岡谷方面に車を走らせていたら、「小坂」という地名があって。北信には小坂善太郎、憲司を排出した大物政治家一家がいるので、彼らの先祖もこの辺りの出身なのかなあ、となんとなく思う。そうしたら「小坂といえば、夢窓疎石と組んで自分を追い落とした小坂円忠がいたね。」って生きた怨霊みたいなことを言ってくる声が聞こえる気がするわけで@@。小坂円忠といえば、「諏方大明神絵詞」と思うわけですが。
有賀の千鹿頭神社は、千鹿頭神社の総本山という位置づけらしくて、とても立派だと思いました。蓼宮神社は神の霊気がかなり素晴らしい、と思いました。達屋酢蔵神社は立派な修験道の神社だったので、最初からもうヘトヘトであってー;。
で、諏訪といえば、下社は農耕祭祀、上社は狩猟に関する祭祀、みたいに言われるわけです。千鹿頭神社の千鹿頭神も先住の守屋の神の子、みたいに言われている。でも、「鹿」というのはですよ? 春日大社の聖獣であり、播磨国風土記に、女神が鹿の血に種籾を浸して稲作をした、という話があるわけです。で、犠牲獣と聖獣は、柳田ではないけれども、表裏一体の存在です。神に捧げる特別な獣だからこそ、普段は大事にしなければならない、ということで。で、稲作に関連していて、稲は人が食べるものだから、鹿=米=人、となって鹿は人と同じ聖なるもの、となるわけです。だから、鹿ってそもそも弥生以降の穀物文化の「聖獣」でしょ? しかも、日本では稲作と関係の深い動物である。だから、千鹿頭神というのはむしろ弥生以降の「新しい神」なんじゃないの? と思うわけです。特に「頭」を重要視するのも、むしろ地中海を起源とする文化の匂いがする気がするわけで。女神アルテミスに、鹿は犠牲とすることが正しいのか、それとも聖獣とすることが正しいのか、人を鹿に見立てて生贄にすれば良いのか? とむしろ尋ねてみたい気分になる。・・・要するに、「千鹿頭神」はアクタイオンとかタンムーズと同系の神だし、「守屋の神の子」とするならば「守屋の神」とはイナンナかアルテミス、でなきゃアナーヒタと思うわけで。「竜女」といったら、アナーヒタというよりはエキドナっぽい感じですが-;。たぶん「八ヶ岳の女神」とか「守屋の神」というのは、アナーヒタ女神と、縄文古来の「月の女神」を習合させて、「蛇(竜)」であることを強調した合成の女神であり、その子神兼生贄として「千鹿頭神」を設定して、縄文古来の「ハイヌウェレ文化」との整合性を保ったものかと思います。縄文古来の文化が「狩猟民の文化」とかとんでもないですよ。弥生の前は、里芋の月の女神を信仰していたわけで、八ヶ岳って言ったら「縄文のヴィーナス」っていって、ハイヌウェレ(人間)の代わりに土偶を埋めてたんじゃん? となる。だから、鹿が「鹿島神(タケミカヅチ)」とどう関連するのかといえば、「火雷神(カグツチ)」もイザナギに「殺された神」であるので、「犠牲神(タンムーズ)」ということで、鹿と鹿島神が同一視された、ということだと思います。鹿島神宮にはなまず石とかあったはずなので、縄文時代には「なまず」とか「うなぎ」という名前のハイヌウェレが神サマだったはずなので、芋から穀物の時代になって、「なまず」や「うなぎ」が「鹿」に変更されたのです。千鹿頭神もその一種の神で、起源は言われているよりも新しい神だと思う。ということで、千鹿頭神の名前は雷公に差し上げる。どうせ元々鴨関連の神でしょ、稲作に関連するんだし、と思う。(諏訪は上社の祭祀よりも、じいさんとばあさんを穀物の豊穣と引き換えに、お焚き上げで焼いてしまう下社の祭祀の方が思想としてはやばい、と個人的には思うわけですが。そりゃ焼き畑と生贄の思想、ということで金枝篇に出てくるゴンド族の思想みたいに思えるわけですが。)
で、守屋の神と諏訪神が天竜川の河口で戦った云々は、なんというか、ニギハヤヒと長髄彦と登美夜姫の神話の焼き直し(諏訪では、これが諏訪神、守屋神、多満留姫となる。)のように思えるので、後付けの伝承なのでは、と思う。守屋神と多満留姫は元々同じもので、当初は、諏訪神と多満留姫が夫婦神として一体に祀られたのだけれども、妻神を八坂刀売に書き換えた時に、ついでに対立と征服の神話も作ったものと思います。・・・先住民を悪者にして桃太郎みたいな征服神話を作るのが好きじゃん? 尾張神社とか見てるとねえ? 鴨ってねえ? って思うので-;。なんで八坂刀売に書き換えたの? それを下社の専売特許にして、本来のアナーヒタ女神(竜女)に対する信仰を弾圧するため、なんじゃないの? と思う。でも、アナーヒタ女神って天照大神のことでもあるんじゃないの? 日本ではねえ? と思う。
ということで、あちこちで「ノロノロの呪い」がかかってきております。でも、ちょとずつ前に進めればいいなあ、と思います。