22年1月5日

 昨日は茅野へ出かけて、葛井神社、達屋酢蔵神社、姫宮神社、達屋社、諏訪大社上社前宮、本宮、藤島社、蓼宮神社、千鹿頭神社(有賀)、洩矢神社を参拝してきました。長野市は雪が降っていたのに、諏訪は快晴でまるで別世界に来たようだ、と思いました。今回は、水と竜女に関する神社を中心に巡ってきました。

 で、あんまり重要度が高くない「オカルト」から。某神社に近づくときに、「本宮には境内摂社に出早雄社があったはず。お参りできればいいなあ。」と思っていたら「諏訪まで来て出早雄命じゃないでしょ。そんなんどうでもいいじゃん。」と言われる気がする@@。カーステレオのBGMで福山君の曲を聴いていて、「諏訪には道標が似合う気がする。」としみじみしていたら「嵐の曲を聴けばいいのに。」と言われる気がする@@。境内に入ったら「我等は黙示録の戦士なり。神はイエス・キリストただ一人!」って騒いでる声が聞こえる気がする@@。「諏訪の柏手って何回だっけ?」ってちょっと混乱してたら「そんなん分からなかったら、大橋和也みたいに尻でも降っとけ。」と言われる気がする@@。お守りを買ってたら巫女さんから「あんな当主ですが、今年もよろしくお付き合いください。」と言われる気がする@@。・・・はっきり言って境内に入ったら「神はイエス・キリストただ一人!」って騒がれる神社にはあんまり何度も行きたくないわけですがー;。鳥居の外にまで参拝客が溢れていて、それもびっくりでした-;。何か悪口ばっかり聞かされて、神々しさのかけらもない気がー;。

 で、その次。茅野から岡谷方面に車を走らせていたら、「小坂」という地名があって。北信には小坂善太郎、憲司を排出した大物政治家一家がいるので、彼らの先祖もこの辺りの出身なのかなあ、となんとなく思う。そうしたら「小坂といえば、夢窓疎石と組んで自分を追い落とした小坂円忠がいたね。」って生きた怨霊みたいなことを言ってくる声が聞こえる気がするわけで@@。小坂円忠といえば、「諏方大明神絵詞」と思うわけですが。

 有賀の千鹿頭神社は、千鹿頭神社の総本山という位置づけらしくて、とても立派だと思いました。蓼宮神社は神の霊気がかなり素晴らしい、と思いました。達屋酢蔵神社は立派な修験道の神社だったので、最初からもうヘトヘトであってー;。

 で、諏訪といえば、下社は農耕祭祀、上社は狩猟に関する祭祀、みたいに言われるわけです。千鹿頭神社の千鹿頭神も先住の守屋の神の子、みたいに言われている。でも、「鹿」というのはですよ? 春日大社の聖獣であり、播磨国風土記に、女神が鹿の血に種籾を浸して稲作をした、という話があるわけです。で、犠牲獣と聖獣は、柳田ではないけれども、表裏一体の存在です。神に捧げる特別な獣だからこそ、普段は大事にしなければならない、ということで。で、稲作に関連していて、稲は人が食べるものだから、鹿=米=人、となって鹿は人と同じ聖なるもの、となるわけです。だから、鹿ってそもそも弥生以降の穀物文化の「聖獣」でしょ? しかも、日本では稲作と関係の深い動物である。だから、千鹿頭神というのはむしろ弥生以降の「新しい神」なんじゃないの? と思うわけです。特に「頭」を重要視するのも、むしろ地中海を起源とする文化の匂いがする気がするわけで。女神アルテミスに、鹿は犠牲とすることが正しいのか、それとも聖獣とすることが正しいのか、人を鹿に見立てて生贄にすれば良いのか? とむしろ尋ねてみたい気分になる。・・・要するに、「千鹿頭神」はアクタイオンとかタンムーズと同系の神だし、「守屋の神の子」とするならば「守屋の神」とはイナンナかアルテミス、でなきゃアナーヒタと思うわけで。「竜女」といったら、アナーヒタというよりはエキドナっぽい感じですが-;。たぶん「八ヶ岳の女神」とか「守屋の神」というのは、アナーヒタ女神と、縄文古来の「月の女神」を習合させて、「蛇(竜)」であることを強調した合成の女神であり、その子神兼生贄として「千鹿頭神」を設定して、縄文古来の「ハイヌウェレ文化」との整合性を保ったものかと思います。縄文古来の文化が「狩猟民の文化」とかとんでもないですよ。弥生の前は、里芋の月の女神を信仰していたわけで、八ヶ岳って言ったら「縄文のヴィーナス」っていって、ハイヌウェレ(人間)の代わりに土偶を埋めてたんじゃん? となる。だから、鹿が「鹿島神(タケミカヅチ)」とどう関連するのかといえば、「火雷神(カグツチ)」もイザナギに「殺された神」であるので、「犠牲神(タンムーズ)」ということで、鹿と鹿島神が同一視された、ということだと思います。鹿島神宮にはなまず石とかあったはずなので、縄文時代には「なまず」とか「うなぎ」という名前のハイヌウェレが神サマだったはずなので、芋から穀物の時代になって、「なまず」や「うなぎ」が「鹿」に変更されたのです。千鹿頭神もその一種の神で、起源は言われているよりも新しい神だと思う。ということで、千鹿頭神の名前は雷公に差し上げる。どうせ元々鴨関連の神でしょ、稲作に関連するんだし、と思う。(諏訪は上社の祭祀よりも、じいさんとばあさんを穀物の豊穣と引き換えに、お焚き上げで焼いてしまう下社の祭祀の方が思想としてはやばい、と個人的には思うわけですが。そりゃ焼き畑と生贄の思想、ということで金枝篇に出てくるゴンド族の思想みたいに思えるわけですが。)

 で、守屋の神と諏訪神が天竜川の河口で戦った云々は、なんというか、ニギハヤヒと長髄彦と登美夜姫の神話の焼き直し(諏訪では、これが諏訪神、守屋神、多満留姫となる。)のように思えるので、後付けの伝承なのでは、と思う。守屋神と多満留姫は元々同じもので、当初は、諏訪神と多満留姫が夫婦神として一体に祀られたのだけれども、妻神を八坂刀売に書き換えた時に、ついでに対立と征服の神話も作ったものと思います。・・・先住民を悪者にして桃太郎みたいな征服神話を作るのが好きじゃん? 尾張神社とか見てるとねえ? 鴨ってねえ? って思うので-;。なんで八坂刀売に書き換えたの? それを下社の専売特許にして、本来のアナーヒタ女神(竜女)に対する信仰を弾圧するため、なんじゃないの? と思う。でも、アナーヒタ女神って天照大神のことでもあるんじゃないの? 日本ではねえ? と思う。

 ということで、あちこちで「ノロノロの呪い」がかかってきております。でも、ちょとずつ前に進めればいいなあ、と思います。

22年1月3日

 本日はお出掛けする日だったので、買い物に出ました。そして、新年定例の大黒天、妻科神社を参拝した他、若月神社、陣屋稲荷、富建千引神社を参拝してきました。興味深かったのは若月神社であって。元は諏訪社であったものが、江戸時代に「郷名を神社名にせよ」とのことで、若月神社になったとのこと。境内に、平安時代の庚申塔(田舎では最古の部類のもの)があったり、近くに馬形帯鉤(うまがたたいこう)が出土した浅川端遺跡があって、歴史の古さを感じさせます。遺跡は、縄文時代から平安時代のムラの跡で、帯鉤とは、中国や朝鮮半島で使われたベルトを留めるための金具(バックル)で、住居跡から発見され、馬を飼育する渡来人の有力者が定住していたのかも、とのことです(http://weekly-nagano.main.jp/2019/10/227.html)。平安時代に至るまで、都(中央)との交流があったことが窺えること、もっと古い時代には朝鮮半島、中国とのつながりがあったことが窺えます。そういう「有力者」はごく限られますし、どうせ水内郡の金刺氏(信濃国造家)の関係者かと-;。・・・金刺って言うんじゃなくて、本当は「終わり」って言うんだっけ?)。平安時代に至るまで、都(中央)との交流があったことが窺えること、もっと古い時代には朝鮮半島、中国とのつながりがあったことが窺えます。そういう「有力者」はごく限られますし、どうせ水内郡の金刺氏(信濃国造家)の関係者かと-;。・・・金刺って言うんじゃなくて、本当は「終わり」って言うんだっけ? とか微妙なことを思うわけですが-;。境内に九頭竜と金比羅(大物主)の名前が並んでいる石碑があって、なんでその2つが並んでいるのか? とも不思議に思う。三輪山でもそんなようなことをやっていて、しまいには太陽女神を大和から追い出した? と、むしろそんな風に思ったわけですが。敵意は、今までの中ではかなり最大級に強かった気がするわけですが-;。でも、九頭竜の碑があったし、元々は浅川の竜女(九頭竜)を祀っていた聖地だったのではないのか、と思ったのですが。

 稲荷というのは色々雑多な神々が一括りにされている気がするわけで。多くは、古くからの小さな土地神が屋敷神に変化して稲荷として祀られている感じですが、たまにけっこうな怨霊とかも混じってる、ということで-;。陣屋さんは割と良い神サマでした。元は陣屋があって、そこの屋敷神だったのかも、と思う。あまり力が強くないので、自力では外に出ることができず、私に憑いて外に出て「やっと外に出られた」とお喜びになられていたような。なんだか、羽を伸ばしにお出掛けになった感じでした。

 あとは、YouTubeなんかを色々と見て。疲れるから1日に1個か2個しか神社の動画は見ないわけですが。昨日は京都の貴船神社の動画を見て。貴船さんも良い神サマであられた気がするわけで。「久米路橋を建てた時に人柱を立てた、と言うけれども、橋に関する人柱というのは、工事の安寧を求めるものではなくて、本当は橋を通る人々を見張るためのもので、宇治の橋姫と同じものだから、だまされて間違えないように。あなたは、今の地理から、太田川と犀川の合流地点を昔の修験道の「合流点」のように考えているけれども、昔は久米路橋しかなかったし、そちらが道路の「合流点」だから。すぐ近くに水内大社がある意味はまさにそこが「合流点」だったということだし、橋に死霊を配しているということは、古代の中国の人が捕虜の首を道路や境界の鎮め(見張り)に使ったのと同じ呪法だから。久米路橋の死霊が結界となって、選ばれた人々しかそこを通れないようになってたんですよ。」と教えて貰えた気がするわけで@@。さすが、橋姫の本場、京都の神サマだー、と思う。要は、古代の信州新町は、修験道の合流点で、行者で賑わっていたけれども、その一方であちこちの境界に「死霊」が配されて、一般の人々の出入りは制限されていたところだったんだなー、と思う。特に荻野池は周辺の集落は「義仲組」で纏められていて、色んな神社に取り囲まれて封印されていた気がするわけです。封印が解けたのは、封印に使われていたカグツチの呪いが解けて、私が半分その名前を貰って、私に対して結界の効果が薄れたことが原因かと。(後は乗鞍の竜脈の力が波及したから。)

 お裁縫は、セーターのつくろい、ジャケットはポケット付けが完了、ケープコートは後ろ身頃の端の始末をしました。

 テレビは、昨夜と今日の昼は「キンプる。」の録画を見ました。昼は大晦日から新年にかけてのCDTVの録画を見ました。

22年1月2日

 今日の昼間の気温は昨日と同じくらいで、外作業の時間も昨日と同じくらいでした。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。

 お裁縫は、セーターはつくろい。ジャケットは付けたポケットの糸の始末。ケープコートは前身頃と後ろ身頃の端の始末でした。

 テレビは、昨夜は「夜会」の録画の続き、昼は「King&Pprinceる」の録画を見ました。

 で、寒くて昼間の暖かい時間しか働けないので、空いている時間はお裁縫とか、資料の整理をしようと思っているのですが。諏訪は、ともかく八ヶ岳から流れ込む宮川の河口と、天竜川の出水口を回ろう、ということで、今朝は地図を見たりとか検索をしていて。どうも、岡谷というのは下社の影響の強いところで独特であると思う。で、「加茂」という町名もあるー;。だいたい、西長野の加茂神社は大本願の尼さんが勧進したと言われてる。鬼無里の加茂神社は、天武天皇が都を移そうとしたときに視察に来た三野王に関連している、と言われている。だから、土地の人に関係ないように見せ掛けているけど、本当は関係していて、下社系の人々が住んでいるところにけっこう「加茂」に関連するものがある気がする。天竜川の出水口にそういう名前があるのは剣呑であると思う。ので、そのあたりにほどこされている呪法を研究する。これからの修験道は研究する時代だよねえ? とか、なんとなく思う-;。で、ふと興萩命を祀る「小萩神社」というものがあることに気がつく。興萩命(おきはぎのみこと)は諏訪神の第八子と言われ、佐久の開拓神として新海神社に大々的に祀られてる。だけど「萩」という言葉が興萩命を象徴するのであれば、「荻野」とはもしかして興萩命に由来する名前なのではないか、と思う。で、「荻野」という言葉を検索してみたら、「荻野池」というものが見つかる。

 「荻野池」には「良く晴れた夕暮れどき 池の端を歩くと どこからともなく「カラッコン、カラッコン」と機を織る音が聞えてくるという。この機織り姫は戦乱の世 この池に身を投じ壮烈な最後を遂げた若くして美しかった萩野城主奥方の化身だと村人は伝える。
 萩野の村に祝言や葬儀があった時村人はこの池に向って、お頼みをすると翌朝必ず必要量の膳椀が池の端に並べられ村人は有難く借用に及び、すがってきたのだが、ある時一人の不心得者がお借りした一部を私戝に残すという不始末があってからは村人が池に向ってどんなにお頼みをしても池は沈黙のままでお借りすることはできず、その上機織りの音も途絶えて仕舞ったという。(https://minekaido.com/2018/08/07/伝説%E3%80%80萩野池の機織り姫/より)」という伝説があるそうな。

 ということは、前半を見ると、荻野池には「怨霊」が取り憑いていることになる。柳田ではないけれども、かつては何か若い娘とか生贄にとか、あったのだろう、と思う。後半部分は、諏訪の多満留姫の伝承とよく似ているので、むしろ「竜女女神」に関する伝承といえる。そういえば、戸隠には竜女女神の湧き水の小川はあったけれども、女神の住む「池」ってなかったよねえ? と思う。「池」はどこにある? と思う。

 あたくしが思うに、どこかの山の中に小さな「九頭竜」の住む池があったので、誰かが池の清浄を汚すために若い娘の生贄を立てた時代があったのだと思う。おかげさまで、竜女の池には怨霊が取り憑くことになっている。で、次には竜女を祀る神社から竜女を廃して自分達の神を祀る。火雷神とか。で、竜女の住まっていた池には更に北側に、戸隠三院を30年だけ持ってきて、その後廃墟だけを残してる。表向きは、信玄と謙信の争いを避けるために避難したことになってるわけだけど、廃墟は荻野池の北側を塞ぐように点在してる。で、池からは太田川が流れ出しているわけですが、まあ、ちょっと離れたところだけど、義仲の怨霊関連の寺があった気がするので、池も川も、何重にも怨霊に囲まれて呪われている、といえる。どうもね、近戸皇太宮には、元々興萩命と九頭竜が祀られていたんじゃないの? どっかの「村人」が書き換えて、ついでに怨霊の伝説を作ったでしょ? そういうの得意でしょ? とそういう気がするわけで。竜女の屋敷に「壊れた茶碗」を投げ込んで、機織りを止めさせようと呪いをかける者がいる。織り姫が機を織らなくなることは、織り姫の「死」を意味する。

 ということで、岡谷の呪術をいろいろと研究していたら、犀川の女神である「九頭竜」がどこの誰に、どんな風に呪われていて、そして「直接」に見張られていたのか、見張られてきたのか、ということが見えてきた気がするわけで。どっかの沢に取り憑いている「終わり」がいるとかって言ってたねえ。自分の先祖が一番頭の痛い連中だー、と思う-;。

 で、どうするのですかね、「荻野池」には乗鞍と違って、神の依り代となる祠すらない。九頭竜の伝承すら消されているし、と思う。そうしたら、ひいじいさんに「シャーマンとは本来自然の精霊と交流できる者のことなのだから、優れたシャーマンであれば、神の依り代(祠)がなくても、神々と交流できるはず。行けるなら行ってきなさい。」と言われる気がするわけで-;。熊の神サマとか、イノシシの神サマとか出ないよね? 熊は向こうが先に気がつけば逃げてくれる、というけれども、イノシシは突進してくるんだけど? と思う-;。まあ、観光地でもあるようなので、時期は選びたいと思います。太田川と犀川の合流点は北信と東信の修験道が交わる重要な「クロス・ロード」だし。よくよく、あの小さな池に、一家の存亡を賭けた「終わり」がいるらしい。

 ということで、興萩命の名を誰に与えるのか、と言われる気がするわけで。それは、もう火雷神に、と思う。一族郎党は全てそう願うであろう、と思う。(まともな人達はね)。その代わり、出早雄命の名前はひいじいさんに、と思う。それで各自丸く収まりますように-;。

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 それから、外作業ができない日は、少しずつ読書もしているわけですが。今「ソヴィエト民話集(1955年・昭和30年出版)」という古い本を読んでいて。中央アジアのアルタイに、「寡黙な弓の名手が人食い鬼を倒す」という話があるわけです。この「人食い鬼」を「射日神話」の「九つの太陽」に例えても良いし、ゲイが退治したという「封?」という化け物が変化したもの、と捉えても良いと思うわけですが、結局中国の「ゲイ神話」に起源を持つものだと思うわけです。子供をさらっては食い殺す化け物を退治する民話は、ギリシャの「テセウスのミノタウロス神話」と話の骨格が共通しており、「ゲイ神話」と「テセウス神話」の中間的な物語だと思うのです。要はギリシャ神話の英雄であるはずのテセウスは、結局はゲイの伝承が変化したものに過ぎないのだと思う。

 その他に「ゲイ神話」には「修蛇」という悪蛇を倒した話もあり、これが西欧の「竜退治」の原型ではないのか、と思います。これは「人食い退治神話」よりもやや背景が複雑で、そもそも東洋における「龍神」とは「女神」であり「母神」だったのだと思う。でも、これが「人の生贄」を求める神であったので、「人身御供は良くないことである」となった時点で、悪神へと変えられ、それを英雄が倒す、という神話になったのだと思うわけです。母なる竜蛇女神に「人身御供を捧げよ」と、そもそも述べたのは誰であったのか。それは、おそらく長江の下流域で初子の赤子を魚神に見立てて、食べてしまっていた人々の習慣を拡大解釈して広めたものだ、と思うわけですが。何故「初子を食べるように」と人々は言われたのか。それは、シャーマンがそもそも「敵の間者」であって、敵が敵対する部族を手っ取り早く数を減らして弱体化させるために言いふらした思想ではなかったか、と思うわけです。自分で「初子を神と共に食べる祭祀をやれ」と言っておいて、それをやると、次には「人身御供を求める神は悪神である。」と言い張って、敵対する人々の神を強制的に悪神にしてしまうし、敵対する人々の習慣となっていたこと(この場合は初子食い)を「悪い」と決めつけて「悪い人々」と決めつけてしまわけです。他人に「良くないこと」をやるようにそそのかしておきながら、それをやると、今度は「お前が悪い」って、手のひらを返したのが、西欧の「竜退治」、すなわち「ゲイの修蛇退治」の思想なのだと思う。ということは、これが「八岐大蛇神話」にも延々と受け継がれることになると思うわけですが。こうやって、人を陥れるようなことは、今でもやってるよね? お家芸だよね? ゲイの子孫のカモネギさん? と思う。あたくしにはどちらかというと食傷気味の手法ですが。これを見るとスサノオの「八岐大蛇退治」も、本来は「八岐大蛇=奇稲田姫=母神」であって、スサノオは「妻をだまして殺す神」となると思うのですが。2000年前に中国にいたときから、そういのが「お家芸」だったのかよ、と「家長」はあきれておりますー;。出鱈目な測量をしておいて、測量が出鱈目なのはあんたのせい、ってよくも素人に対してぬけぬけと言えたものです。って、2年越で言っているわけですが。ひいじいさんの「ゲイ」とも仲良くしてるつもりなのですよ? 民話を読むと、あちこちでひいじいさんの「影」を見つけるし、見つけようとしてると思います。ということで、今年もよろしく御願いします、なのです<(_ _)>。

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 そういえば、今日は光ちゃんのお誕生日です。おめでとうございます<(_ _)>。