22年1月10日

 本日は外出せず、家で作業をしました。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。

 お裁縫は、セーターのつくろい、キュロットはベルト通しの糸の始末、ジャケットはポケットのフラップを縫い付けて、糸等の始末、ケープコートは裏地の端の始末です。

 テレビは昨夜は「ニノさん」の録画の続きと、「食宝」を見て。今日の昼は「UTAGE」の録画を見ました。

22年1月9日

 本日は外出せず、家で作業をしました。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。

 お裁縫は、セーターのつくろい、ジャケットはポケットのフラップを縫い付けて、糸等の始末、ケープコートは裏地の端の始末です。

 で、朝、YouTubeの動画を見ていたら、たまたま上賀茂神社の動画があったので、それを見ながら、追加で行った方が良い神社の打合せをする。「千と千尋」の宮崎駿監督は、調べたところ富士見町に別荘があったそうで。縄文時代の井戸尻遺跡等に興味があられたらしい。井戸尻とは「縄文農耕論」といって、縄文時代から農耕があった、という説の発祥の地なわけです。祭祀用の土器には仰韶文化の思想を思わせる文様があるそうで。・・・首を狩って柱の上に据える「御柱」の思想の起源もそのあたりにあるのではないの? 半坡ではすでに首を狩って、家の守護とする風習があったはず。(ただし、首は床下に埋めていたそうですが。)そして、黄河文明の思想が入り込んでいるなら、すでに農業も始まっていたはず、と思うわけです。ちなみに「縄文のヴィーナス」で有名な尖石遺跡もけっこう近くにあって。考古学的にではなく「民俗学的」に、「縄文のヴィーナス」を見たら、「芋の女神を祀ってるんだから、農耕は始まっていたはず」と言えるくらいに、日本の民俗学も発展してくれたらいいのになあ、と思いました。宮崎監督にも、そのくらいのことはすぐに分かったはずと思います。民俗学についての造詣がとても深い方だから。

 神々の系譜を紐解くと

出雲では、 八束水臣津野命 と 布帝耳神(ふてみみ)(衣服に関する女神)
という夫婦神がいるわけです。で、その子神に
      赤衾伊努意保須美比古佐倭気命(あかぶすまいぬおおすみひこさわけのみこと) と 天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)
という夫婦神がいます。これは伊農郷の伝承です。おそらく、赤衾伊努意保須美比古佐倭気命というのは、伊農郷の神でもあるし、八束水臣津野命の別名でもあるのだと思います。布帝耳神(ふてみみ)と天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)は、織り姫も兼ねる太陽女神である天照大神の出雲的な原型で、職能によって二つに分けたものと思われます。で、出雲のレベルで楯縫郡にいくと

      阿遅須枳高日子根(賀茂別神と同じ神) と 、天御梶日女命(天甕津日女命の別名)
という夫婦神がいるわけです。要するに、出雲風土記の段階で、天甕津日女命という出雲の太陽女神には「二人の夫」がいるわけです。これは母系社会であれば、通う男が何人いても良いので、そういう文化の名残の神話とも思えますが、現代からみれば「いったいどちらが太陽女神の本当の夫なのか」というそういうやや奇怪な構造といえます。で、ここまでが「出雲風土記」の話。

 記紀神話では、
      阿遅須枳高日子根(賀茂別雷神と同じ神) と 、下照姫
という夫婦神がいます。ということは、下照姫というのは、天甕津日女命(あめのみかつひめのみこと)と同じ女神、といえます。織り姫であり、太陽女神です。下照姫が記紀神話の

      天照大神

になると、定まった夫がいなくなります。これを「処女神」とみるか、母系的に「不特定多数の彼氏がいる女神」とみるかは人それぞれだと思いますが、そんな感じになる。で、諏訪大社では、少なくとも中世では、重要な祭祀の元である「御神渡り」は

      興萩命 と 、下照姫

の夫婦による現象だと考えられていました。ということは、興萩命には2面性があって、出雲的には八束水臣津野命の別名、賀茂的には阿遅須枳高日子根の別名、ということになります。下社は賀茂系なので、当然

      興萩命 = 阿遅須枳高日子根 = 賀茂別雷神 = 火雷神 = 建御雷神

となると思います。上社は出雲系の建御名方富命が主祭神なので

      興萩命 = 建御名方富命 = 八束水臣津野命

となります。建御名方富命の妻神は八坂刀売なので、

      八坂刀売 = 下照姫 = 布帝耳神 = 天甕津日女命 = 天照大神

となります。小坂鎮守神社の辺りは、太陽女神を祀っていた形跡がありますので、上社の領地であれば

      建御名方富命(興萩命) と 天照大神(下照姫、八坂刀売)

を夫婦として扱っていたのだと思います。というか、中世に「下照姫」と述べている、ということは
出雲系か賀茂系の信仰というしかないのです。そもそも。

 で、下社の方では、
      雷神(興萩命) と 天照大神(下照姫、八坂刀売)

を夫婦として扱っていました。要は出雲の、伊農郡と楯縫郡の対立? というか違いがそのまま諏訪に持ち込まれて
上社と下社に分かれたのだと思います。でも、中世以降、「諏訪大社」として一つに纏めるときに、上社も下社も

建御名方富命 と 八坂刀売

に纏めて、出雲でも賀茂でもない独自の神にして、「建御名方富命」が出雲なのか賀茂なのか、ということを
ある意味ごまかすというか、隠してるのだと思いますー;。でも、上社の思想が出雲式、下社の思想が賀茂式である
ということは残されました。だから、下社の

建御名方富命

は、雷神(建御雷神)も同然なわけです。だから、興萩命の開拓地と思われる荻野の地には
近戸という「千鹿頭(上社方面の神)」に通じる名前の神社に建御雷神と天照大神が祀られている。
表面的には上社的に見えて、中身は下社なわけです。

 当然、かくの如き神社を作ったのは、金刺でしょ、長野県の神権は

金刺か、金刺以外がそれしかない

ってローランドみたいな言い草になってしまうくらい金刺まみれである。要は、下社系である。
というか、近戸では

建御雷神と天照大神

ってはっきり正体を現して、

建御名方富命 と 八坂刀売

とごまかしたりもしていないわけで。それは、楯縫郡の楯縫さんとか武居さんとか、そういう方々のご意向ですよねえ?
葛城に住んでいたときには、「終わり」とも名乗られていたようですけれども?
と思う。近戸の困ったところは、出入り口を義仲の怨霊が塞いでいるので、神々が外に出られない、
ということに尽きる。荻野池も同様に戸隠の廃墟等で塞がれている。
要は、神々は「岩戸の外」=「黄泉の国の外」に出られない。

 ということは、結局、下社とは、里宮で、「近戸」こそが「隠された奥宮」ということでよろしい?
と思うわけで。山の神であり、先祖でもある

建御雷神と天照大神

を利用するだけして、お焚き上げで火あぶりにしてませんか? 「ご先祖サマ」が許すと思うかな?
とそんな感じになるわけですが。ということで、下社には行かずとも、近戸に行けば用は足りる、と思う。

 あたくしは「黄泉の国」の廃墟と化した岡谷から賀茂別命をつれださなければならず。
八ヶ岳の封印も解かなければならない。どちらも今しばらくかかり、邪魔はけっこうすごいです。
昨日行っておいて、良かったと思います。

22年1月8日

 本日は行かねばならぬ、と思うので、行くべきところへ行ってきました。小坂観音堂(+神明社)、小坂鎮守神社、若宮神社、下照姫社、鉾持社、魔王天白飯綱神社、寿命稲荷を回ってきました。寿命さんはだるまさんでした。魔王社ってマガツヒか他化自在天(「穢れ」の神)だと思うわけですが。なんで岡谷って「魔王社」とか「天狗社」とか「浦浦島みたいなの」とか多いのですかね、と思う-;。

 旅を巡る「オカルト」は前回から始まる・・・。乗鞍の龍脈を松本から諏訪に流した、と思ってたわけです。で、諏訪に行ってみると、湖から龍神の「気」が立ち上ってる気がする。上社へ行くと、境内の中に龍神の気が溢れている、とそう感じたわけです。だけど、帰りに岡谷の町を通ると、なんだかものすごく乾いていて、龍神の気を感じない気がするわけです。空気が乾いているとか、そういうのではなくて、ミイラが乾いている感じ、というか、「黄泉の国は乾いて乾燥していて埃だらけ」と聖書かなんかにそういうイメージがありますが、そういう廃墟のような荒廃した「乾き」を感じるわけで。何か結界が働いていて、龍神の気が町に入ってきていない気がしたわけです。

 で、昨夜はテレビで「千と千尋」をやっていて。なんとなく流してはいたわけですが、一番最後のエンドロールで、監督の名前が出てくる絵が妙に心に留まって。それは「青い空に大きな雲が沸き立つ絵」であって。「八雲立つ」という言葉を思い出す。それは出雲を示す絵、ともいえる。で、今朝は朝ご飯を食べながら、年末のJカウントダウンの録画を見ていて。兄さん達に「八ヶ岳が八束水臣津野命のことであるなら、その名前を貰っているのは誰ですか?」と聞かれる気がするわけで。そしてついでに「千と千尋で、千尋のことを「孫」と呼ぶ蜘蛛爺の「蜘蛛」は「雲」とかけてるんじゃないの?」と言われる気がするわけで。八雲の八束水臣津野命かー、と思う。で、セクシー5の「One Love」を聴いていると、嵐の曲のはずなのに、なんだかひいじいさんの歌のように聞こえるわけで、だいたいそのあたりで負けてしまったわけでー;。千尋池のひいじいさんの八束水臣津野命、荻野池のひいじいさんの八束水臣津野命に会いに行かねばならない、それでゆずのお二人と光ちゃんの夢かい! と思うので、親に話して急遽岡谷に行ってくることにしたのでした。

 で、小坂観音院その他。神明社と下照姫社他があるわけなので、元は「太陽女神」を祀る場所だったのでは? と思うわけですが。観音院の神明社には、なんかこんな立派な修験道の石碑とか石仏とか見たことない、と思うくらい色々とある-;。刀利天狗とか、魔王とか、「穢れ」系ばっかりいる気がする。諏訪御寮人も「悲劇の人」で呪い属性が高いし、金山彦は覆屋が潰れていて片付けもされておらず、まさに「黄泉の属性まっしぐら」という感じである-;。

 魔王天白飯綱神社は、社殿はたいしたことなくて、祠レベルですが、名前が「どんだけー」という感じ。

 寿命さんは、釜口水門の近くにあるので、行ってみたくて。兄さん達には「寿命さんは自分では動けないから、取りに行かないといけない」と言われる気がするわけで。行ってみたらだるまさんの姿であって、「自分は自分では動けないけれども、鎮める力は強いよ」と言われる気がするわけで。帰ってきてどういうお稲荷さんなんだろう? と気になって調べてみて。花岡の辺りには、ナマズが湖に住んでいて、花岡に住む龍神がナマズを捕まえるように部下に言ったけれども、逃げられてしまった、という民話があるらしくて。ナマズというのは、要は縄文の女神であり、ハイヌウェレのことで、台湾とか南太平洋に同類項の神話や民話がかなりあるもので。龍神は弥生の神である。で、寿命さんは「とび石」という石の上に社殿があって。これはおそらく、鹿島神宮の「要石」と同じで、水門付近に住む「川の神」を鎮めるための石であり、寿命さんが石の神なんだと思う。石だから、「自分絵は動けない」のね、と思う。

 というわけで湖南の神社をせっせと回る。そうしたら、帰りには湖北の方にも「竜神の気」が押し寄せてくるようになった気がするわけで。諏訪・岡谷もあと1歩だと思うのですが、今日は寿命さんで力が尽きました。

22年1月7日

 本日は買い物に出かけて所用を足してきました。とても寒い日で、外作業はお休みしました。市役所に情報公開の資料を取りに行って。微妙に突っ込みどころはあるので、やるべきことをやりつつ、突っ込みの作業もやりたいと思います。おいおいと。

 お裁縫は、セーターの繕い、ジャケットはフラップを前身頃に縫い付け、ケープコートは裏地の端の始末です。

 テレビは、昼は昨夜の「夜会」の録画を見ました。

 昨夜はなんだか夢を見て。自分がどこかの学校(高校?)の文化祭を見に行く、か、あるいはお手伝いのボランティアに行く、みたいな感じの夢で。ゲストに「ゆず」が来るとかで、「会えるかも?(見れるかも?)」と期待して行ったけれども、行ったのが夜で「もう遅いので彼らは部屋で休んでいます。」と言われて会えず。で、生徒会の役員と一緒に校内の見回りをして。で、いったん家に帰って、「後で迎えに行きます」と言われたのですが、時間になっても迎えが来ないので、こちらからまた出かけようとして。そうしたら、女の人が自転車でやってきて、「迎えに来ました」と言われて、二人乗りでふらふらとしながら出発して。そうしたら、ゆずの兄さん達が出てきて、更に別の場所に案内されて。ちょっとした駐車場みたいなところに連れて行かれて、そこに光ちゃんがいて。で「自転車で迎えに行ったのは俺の姉ちゃんや。」って言われて、「ええー?」となるという夢で。

 ・・・たぶん、ゆずのお二人が出てくる、ということは諏訪・岡谷。八ヶ岳に関連することなんだろうなー、と思う。わざわざ紅白であれこれ打合せしたわけですし。

 それにしても、諏訪・岡谷は、特に「雷神信仰」と「女神信仰」に対して色々と特徴的だと思うわけです。諏訪大社だから、建御名方富命と八坂刀売、と単純に思ったら大間違いだー、と調べれば調べるほど思う。「女神信仰」に関しては、上社の領域を中心に、蓼科の女神・草奈井姫とか、八ヶ岳の女神・多満留姫とか「地元の女神」を諏訪神の系図に取り込んで残した女神が目立つ気がします。彼らは、本当に「縄文の女神」であって良いと思いますし、いわゆる「縄文のヴィーナス」と呼ばれる土偶の女神であると思います。要は「里芋の女神」で、「月の女神」で、「ハイヌウェレ」で、かつ「熊の女神」なのだと思う。本来は人身御供を求める神ですが、縄文の人々は土偶を身代わりにしました。「ひな人形」の起源ともいえると思うのです。・・・たぶん、大陸からやってきた「弥生」の人々は「これは丸っきりギリシャのアルテミス」と思ったと思います。だいたい「エフェソスのアルテミス」くらい知ってたと思う。でなければ「シカト」の図像とかどっから出てきたの、ってそのくらい個人的には思うわけで-;。アルテミスは熊の女神ですが、聖獣は鹿であり、鹿は熊の餌です。それだけでなくて、「ネミの森」にある通り、アルテミスといえば人身御供、と言うくらい血に飢えた神でもあった。熊にとっては、人間も餌の一種だからです。(というか、冬眠、という人間から見て不思議(神秘的)な行動をする熊に対する信仰の起源はものすごく古くて、それはホモ・サピエンス独自のものではないよね? ネアンデルタール人からの借用なんじゃん? と思うわけですが。)で、上社の方は、縄文系の女神を諏訪神の系譜に取り込むことで、縄文系の人々との共存を図っているわけです。

 で、これが下社の領域(岡谷)に入ると、早速、小坂鎮守神社に「下照姫」が祭神として出てきます。下照姫はアヂスキタカヒコネの妹と言われ、共に大国主の子神と言われていますが、アヂスキタカヒコネは賀茂系の神社の主祭神で賀茂別雷と「同じ神」とされていますので、出雲と関係あるように見えて、どちらも賀茂系の神なのではないか、と思います。・・・下社の領域に入ると、早速「賀茂」の神々がいるんだなーーー、と思う。で、ひいじいさんが今でも忘れていないと話題の小坂円忠が残した『諏方大明神画詞』には、御神渡りの一つを「佐久新開神社と小坂鎮守神社の祭神が会った跡」と書いてあるそうで。それは、「興萩命と下照姫が夫婦(昔で言うところの妹背)」ということだよねえ? 御神渡りって建御名方富命と八坂刀売ではなかったんだ? と早速そうなる。興萩命は佐久の開拓神ですが、佐久の手前の群馬側では「咲前(さきさき)神社」があり、経津主を祀っています。でも、貫前神社(咲前神社に関連する神社)では、三個の雷斧石に神が降臨したから抜鉾大神(経津主神)を祀ったと言われており、本来は火雷神かタケミカヅチが祭神だったのではないか、と思います。群馬側の荒船神社にはアヂスキタカヒコネが祀られていますし、賀茂別雷の父親は火雷神ですから、群馬側の信仰と併せて、アヂスキタカヒコネ(賀茂別雷(火雷神の分身))=興萩命=下照姫の夫、でよろしいのではないか、と思います。要は下社の領域に入ると、早速、鴨まみれ、とー;。で、火雷神が建御雷神であるとすれば、興萩命=建御雷神でもある、となる。おそらく、古くは、特に下社では「御神渡り」とは、興萩命(建御雷神)と下照姫のことで、建御名方富命は関係していなかったのかも、と思います。でも、上社と下社を一体化して「諏訪大社」とする過程で、下照姫を八坂刀売と改めたのではないか、と思います。一方、上社の方は、出早雄命(出雲の早雄)を建御名方富命に改めたのだと思います。そうすることで、一見すると上社は出雲から切り離され、下社は賀茂から切り離されて、「諏訪」というものができあがったのではないか、と思う。でも、茅野には「四賀」という地名が残っていますので、一番最初に開拓したのは、出雲系の氏族のうちでも、安曇族だったのだと思います。安曇野や荒船山、川中島と同様です。だから、下社の勢力が後からやってきて、あれこれ書き換えたのではないか、と思います。出早雄命は更に遡れば八束水臣津野命で良いと思います。・・・というか、八束水臣津野命の「八ヶ岳」なんじゃないの? と思うわけで。

 で、千鹿頭神も火雷神で建御雷神だとすると、諏訪では雷神は、上社系の「千鹿頭神」と、下社系の「興萩命」、全国的には「建御雷神(あるいは火雷神かカグツチ)」という「同じ」神がいることになります。下社系では御神渡りの主役であって、「主神扱い」である。上社系では単なる「犠牲獣(=タンムーズ)扱い」である。タンムーズは当然、神としては身分の低い神になる。一方、多満留姫は縄文の母神と「川と湖の女神」の習合体で、アナーヒターに相当する神とすると、上社で多満留姫、下社で下照姫(変じて八坂刀売)、全国的に天照大神となると思う。上社では八束水臣津野命(変じて建御名方富命)、すなわち天空神であり、水神であるヴァルナとアナーヒターの組み合わせを奉じてる。一方、下社では雷神と女神を組み合わせています。でも、印欧語族の主神である雷神(ときに火神)は大抵「親殺し」であって、親を追放したり、殺したりして頂点に立つ神である。しかも、特にインドでは火神アグニの妻スヴァーハーは神々に捧げられるために火にくべられる「供物」の神格化したものだし、インドにはサティーといって、女神を焼き殺す神話と、未亡人を焼き殺す習慣があったわけで、「女神」が「犠牲(=タンムーズ)扱い」で身分の低い地位に置かれる。言い換えれば、上社は父系の人々(男神)と母系の人々(女神)の共存を目指し、親を殺すような者は身分の低い地位しか与えられない、か神格化されない。下社は父系の人々(男神)が威張って、母系の人々(女神)を身分の低い地位に抑え、身分による差別、女性差別を公然化している。「女性差別」とは、家庭の中で女性が威張っているか否かではなくて、端的には社会的に、女性に財産の所有が認められるか、女性に相続権があるか、ということが主たることとなります。女性には財産権も相続権も認められないから、未亡人は死ぬべき、というのがサティーの思想です。妻の父親の財産は夫が横取りするのが当然とされる。

 ・・・というわけで、諏訪・岡谷・茅野というのは、特に湖の南側では、茅野と岡谷の境を境として、古代のイラン高原とインドを分けたのと「同じ境界」があるようにしか見えない-;。元は同じ言葉を話して、同じ神を信仰していたはずなのに、持てる思想によって、二つは真っ二つに分かれたまま、どんなに婚姻を繰り返しても決して一つにはならない、と言っているように思えます。でも、上社の方が癖が強くて、八ヶ岳の八束水臣津野命を前面に出しているように見えながら、実際に「ご神体」にしているのは「守屋山(洩矢の神、本来は女神)」であって、本来はこれは「八ヶ岳の里宮」と言ってもいいはずだと思うわけですが、八ヶ岳の「や」の字も言わず。「洩矢の神」を男神のようにして祀らせているけれども、祀らせてきたもの「洩矢の神」の神官(すなわち女神に使える神官)だし、結局やっていることは、「女神信仰」であると思う。下社・金刺氏の系統が、木曽の山の中で祖神である高照姫(下照姫と同じ太陽女神)を、崖下に突き落とす祭祀をやってるのと、ごくごく対照的じゃんーーー、と思うわけで。不思議なことだけれども、ゾロアスターは火を「聖なるもの」とはみなすけれども、神格化はしていない。火の神アグニを神格化しているのはインドの方だけれども、火の神は親を焼き殺す神でもある。まるで、お焚き上げでじいさん・ばあさんを焼き殺す下社の祭祀の如く、であると思う。

 というわけで、諏訪へ行ったら、上社か下社のどちらかしか取らないように、と言われる気がするわけで。上社を取れば、事実上の「主祭神」として大切にして貰える、下社を取れば崖下へ突き落とされる、と。「女神」としてはそういうことになるらしいです。「親」に対して失礼なのは、諏訪でも、木曽でも、そして水内郡でも全部、金刺・金刺・金刺なんじゃないの? と思って金刺ノイローゼになりそうな金刺氏がここにいるわけですが-;。下社も摂社・末社に行くのはおkらしいので。少しはそういうこともやらないといけないようです。兄さん達には、「一度にあれもこれもやると負担が大きいので、優先順位をつけて片付けていきましょう。」と言われる気がします。

22年1月6日

 本日は出かける用事がなく、暖かい時間に外作業をしました。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土掘りでした。最近は、パンくずを食べにジョウビタキっぽい小鳥も来ます。あまりパンを食べるとは聞かない鳥ですが、我が家の庭に来る子は食べています。

 お裁縫はセーターのつくろい、ジャケットはポケットのフラップ作り、ケープは裏地の端の始末です。

 テレビはCDTVの年越しライブの録画を細々と見ています。

 あとは、岡谷方面の神社をチェックして。そんな一日でした。