21年12月28日

 本日も寒波のため、外作業はお休みでした。篠ノ井の姫宮神社へ参拝に行ってきました。ネットで情報がほとんど出てこない神社なのですが、「諏訪大明神」の額があったので、主祭神が八坂刀売で、配神が諏訪神かも、と思います。芋井神社式かな、と思う。

 お裁縫はつくろいものと、キュロットのウエストベルトを細々と作っています。ズボンのつくろいが終わったので、次は虫に食われてボロボロのセーターです。

 テレビは、昨日の夜は「スーパーライブ」の録画の続き、今日の昼は「堂本兄弟」の録画を見ました。年に一度の「堂本兄弟」です。

 市役所関連は動きなし。「公差の計算まで自分でするように」と言われたので、計算して送っておきました。要は、「地図更生」のために色々やっているはずなのに、「公図に境界を併せろ」と脅されてたっぽいー;。一周回って、同じ所ばかり回ってる気がします。「そんなに合わせたければ、分筆でも合筆でもいくらでもすれば。」と言ってやったところ-;。

 で、小ネタ的ですが。氷室冴子氏の「じゃぱねすく」の中に藤宮と鷹男の帝という叔母と甥が出てくることは書きましたが、主人公はこの二人ではなくて大納言家の瑠璃姫である。瑠璃さんは、幼なじみでちょっと年下の右大臣家の高彬(たかあきら)と結婚する。いわゆる「筒井筒」というやつである。瑠璃さんが子供の頃、大好きだったお祖母さんや、好きだった男の子と別れ別れになってしまった時に、それを慰めて求婚したのが高彬である。瑠璃さんは、子供の頃、実母の具合が良くなくて、吉野に住んでいる祖母のところに預けられていたのだけれども、近所に住んでいた男の子と仲良くなっていつも一緒に遊んでいた。男の子の本名は知らないので、瑠璃さんは彼のことを「吉野君(よしののきみ)」と呼んでいて。お祖母さんが亡くなったり、都に戻ったりしているあれこれの中で、気がついたら吉野君も吉野から消えていて別れ別れになってしまったのである。というか、確かそんな筋だったと思うわけですが。・・・ともかく、この「吉野君」というのが、後にとんでもないのに成長して瑠璃さんの前に再び現れるわけですが。「吉野」といったら、金峰山とか、弥勒とか、摩多羅神だよねえ? と今なら思う。瑠璃さんが好きで、嫉妬心から放火魔・大量殺人鬼へと変貌してしまう「吉野君」ですが。今なら、コンプライアンス的に、こういう筋書きが許されるか? とか、そういう感じである。(変な事件が多いから)たぶん、「吉野君」とは、弥勒とか、摩多羅神の象徴だったのだろう、と思う。でも、「じゃぱねすく」って1981年が初出とあるから、私が小6の頃に書かれたものじゃん? と思う。その頃、何があったかなあ? と思う。だいたい「聖書」と「アンネの日記」が家に入って来た頃である。なんか、もう、普通ではないこと、が少しずつ起き出してきた頃、というか。いろんな警告も出だしてた頃だったらしい。高彬のことを思うと、真面目で、切れ者で、瑠璃さんに一途な若者である、といえる。高彬だったら、瑠璃さんよりいくつ若くても「こんなガキじゃやだ」とかって言わないかもねえ、と思う-;。叔母と甥の関係の重要さを暗に示唆したり、年下の真面目でしっかりした男の子が出てくるあたり、「東国」的な息のかかった作品なんじゃん? そもそも「じゃぱねすく」ってさあ? と思う。
 で、「じゃぱねすく」の辿る運命の不思議さ、なわけですが。私は少女小説はだめなので、読んだのは山内直美氏の漫画版である。これが、1990年頃、すなわち私が高校生の頃に連載が始まって、20歳頃にいったん完了する。小説的には途中で漫画の連載が終わっていて、だいたい放火魔・吉野君の物語が一段落ついて、瑠璃さんが結婚したあたりで止まる。で、それから10年以上たって、2004年の末に連載が再び再開され、2011年に最後まで描ききって連載は終わる。途中で原作者・氷室冴子氏の訃報も入る。丁度私にとって、一番暗い時代、色んな騒ぎが起きる直前になんで、「じゃぱねすく」の連載は再開されたんだろう? と思う。「じゃぱねすく」の後半では、人妻となった瑠璃さんは宮中のゴタゴタに巻き込まれてあちこち駆けずり回る羽目になる。しかも、家には「煌姫(あきひめ)」という居候が転がり込んでくる。この煌姫は、貧乏宮家の姫、すなわち「女王」なのだけれども、両親はすでに亡くなって貧乏のどん底にいるので、生きるためなら押しかけ居候でも何でもする、というたくましいお姫様である。源氏物語の花散里と末摘花を足して2で割ってたくましくした、みたいな姫なわけですが。居候でも、身分は瑠璃さんよりも高いから、特にしおらしくはしない(笑)。言いたいことはずけずけと言うし、態度も大きい。でも、瑠璃さんの周囲には信頼できる女房といえども、使用人とか、瑠璃さんよりも身分の低い人しかいないので、しっかりしていて、思ったことを対等に言ってくれる煌姫は、物語の中で暴走する瑠璃さんを支えたり、フォローしたりで、次第に瑠璃さんにとって重要な「相棒」になっていくのである。煌姫的にはちょっと不本意であるかもしれないが、高級女房兼側近、という感じになる。女房を雇ってる、というよりは、「女房になって頂いてる」という感じ。煌姫が活躍する後半部分がなんで、後に連載が再開されたのだろう? と思う。そうしたら、「煌姫は女王なんだから、素直に女王達が読んで欲しい、と思ったからなんじゃないの?」と言われる気がするわけで。煌姫はど貧乏だけど、最近の女王サマはみんなお金持ちじゃん? と思う。でも、皆様、煌姫のように、自分の人生をたくましく生きていく力を身につけておられればいいなあ、と思うわけですが。煌姫のように瑠璃姫を支えています、というメッセージだったのでしょうか。

 で、「じゃぱねすく」が東国的に「年下のかわいい男子」を選びなさい、という話であったのなら、西国の方は? と思う。そうしたら「ひかわきょうこ」という漫画家がいるでしょ。彼女の描くヒロインは、「父親のような男性」ばかり選ぶでしょ、と言われる気がするわけで。それは「荒野の天使ども」のミリアムとダグラスとか「お伽もよう綾にしき」のすずと新九郎のことですよねえ? 「父親のような男性」とはひいじいさんのことですよねえ? だいたい、「ひかわ」とは「斐川」で出雲の川のことだもんねえ、と思う-;。もうね、「お伽もよう」の方はかなり露骨に和製オカルトというか、柳田っぽい世界ですし。こちらはあたくしと同じく現在進行形で連載中のようです。いつか再びお目にかかれる日が来れば幸いですが。