21年11月16日

 本日は軽自動車を車検に持って行って。どうも、車検には姉が持って行く、と想われていたみたいで、あれ? みたいな-;。でも、私の方が支度が早かったので、私が行くことになった感じであって。そして、姉が歯医者に行く。・・・どうも歯医者が長すぎる気がするわけですが、でも、ご当人が行くのを喜んでいるし、止めるのも何だし?? みたいな感じである。まあ、私はなんだかそこには行きたくない感じがする-;。

 外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃、私は土の清掃でした。

 お裁縫の方は、裾上げが完了する。ボロボロのチュニックの繕いをする。ストールは端の始末。キュロットは、前身頃が完成して、前身頃と後ろ身頃を縫い合わせているところ。キュロットは練習用も兼ねて作っているわけですが、次には前開きファスナーのズボンを作りたいなー、と思って生地を漁ってみる。目立たないところをはげば、作れそうなギリギリの生地をまた見つける。自分の練習用には、つぎはぎのハギレでしかあれこれやってないわけですが-;。

21年11月15日

 本日は父親を長野市民病院内分泌科へ連れて行く。理由は、「そこでしかできない検査があるから」である。そうしたら、行きを頼んだタクシーの運転手サマがやたらと無愛想でツンケンしてる感じがする。担当のドクターも、別に医者として問題になるようなことはしてないのだけれども、無愛想でツンケンしてる感じがする。で、暗に「もう来なくてもいいのに。」みたいなことを仄めかす気がする。で、父親もなんだか機嫌が悪くてツンケンしている。帰ってくると、姉もなんだか機嫌が悪いけど、さすがにツンケンはしなかったけど、聞こえよがしに「疲れたー(働いているのは私だけ、の意)」と言ってくる。なので、「敵意が強いな-」と思う。理由は

1.古い家の地籍更生&払い下げの話を進めたくない
2.神社巡りを止めさせたい
3.基礎と水道管の補修作業を止めさせたい

の3つだと思う。こっちはどれもやらなくちゃならなくて、毎日午前様なんだけど? と思う-;。

 外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。私は病院から帰ってから、市役所に送るメールを書いていたので作業は午後のみ。

 昨日の朝方は、なんだか雅治君と同じ布団で寝て、色々と相談する、という夢を見て。で、古い家は「国立公園の隣だから売れない」とかって言われる夢で。目が覚めて、思うに、「国立公園」というのは、今の廃水道管用の市有地のことなんだろうな、と思うわけですが、だからどうしろってことでもないし、ともかく税金の絡みもあるので、地籍更生の測量をやるように長野市に促して行くしかないよねえ? と思う。最悪、自分で土地家屋調査士を雇う羽目になったとしても、境界がしっかりしていて杭も打ってあれば、測量も簡単になるはず、ということくらいしか思い浮かばない。で、作業をしていたら、「地籍更生の測量の時に、払い下げ用の隣地所有者の同意書も作って貰うようにメールしておくように」と言われる気がするわけで。測量の時に、一々隣地の地権者に立ち会って貰って、境界の同意を御願いするのが面倒くさいのよねー、一緒にやって貰えれば便利だー、と思う。ので、やろうとしても、昨日は時間がなくてできなくて。今日、病院帰りに、昼休みにちょっと時間が取れると思ったので、今日書くことにして。書いたら、午後の作業の時に近所の子供は騒ぐし、姉は裏口の戸の戸締まりを何かおかしくしたようだし。・・・これも、敵はやられたくないことだったのかー、と思う。やることはまだある気がするので、今夜もやる予定なわけですが。一々、「疲れた」だのなんだので大騒ぎしないだけでさあ? と思う-;。

 お裁縫の方は、コールテンのズボンの裾がちょっと長い気がするので、裾上げをコマコマとする。ストールの端の始末も、「細かい部分はミシンではなくて手で縫った方がいい」と言われるのでコマコマとする。キュロットはまだ前身頃作成中。ジャケットはミシン糸の色の関係で、一時休止。後でまとめて作業する予定です。生地のことは、どうやら「何を作るのに、どのくらいの尺が必要か。」ということがよく分かっていなかったことから誤解があったらしくて。姉もそういうことが良く分かってなくて、30cmの長さ(幅は1m前後)あればベストが1枚できる、とか思ってるようだし-;。簡単な短いベストでも長さは1m欲しい。私はもう、夏物でも着分2m、それ以外は着分3mでしか計算しません。それだけあれば、脇にもちゃんと余裕があるものが作れるから。(夏用のタンクトップ的なものは1mちょいくらいでできるけど。)冬用のコート類は、特に下にたくさん着込むので、ツンツルテンにはしたくないし、余裕が欲しいと生地もけっこういるのです。そして、コールテンのズボンは、割と安物だったと思うけど、どうも薄くて合着用の木綿のズボンの方が暖かい気がするわけですが(苦笑)。畝が細くて、ズボン用というよりは「シャツコール」という感じで、ブラウス・シャツ向きの生地なのよねー、と思う。でも、冬向きの生地でもあるので、これからちょっとした外出用にははこうと思います。

 それから、眞子ちゃんと小室君がようやく? というか、こんなに早く? というか、ともかくNYに旅立たれたそうで。正直、我が家の「浮島の呪い」が解けていくと、他の人が島流しになることになってるのか、と思うくらいである-;。二人とも旅支度はカジュアルな服装で、小室君はダースベイダーのTシャツを着てたとか・・・。ダースベイダーとは、映画「スターウォーズ」の悪役(悪い父親)で、本名をアナキン・スカイウォーカーという。・・・どういう意味があるのだろう? 秋篠宮が「ダースベイダーみたいな父親」だという当てこすりなのか? それとも、アナキン・スカイウォーカーの名前の通り、「熊に注意」ということなのだろうか、と思う。(「アナキン」という名前は、神話的には「熊熊」を意味する名前だから-;)・・・今日一日のあれこれを思うに、「熊に注意」の方なんだろうな、と思ったのでした。お二人とも、どうかお幸せに<(_ _)>、と改めて思ったのですが。

21年11月14日

 本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土掘り、土の清掃でした。

 で、今朝方はなんだか夢を見て。雅治君が出てくる夢で、国有地がなんとかかんとか、という夢で。そして、あれこれやれ、と言われる気がします。

 で、ともかく、色々と考えたり、人の話を聞くに、何か縫い物は続けないといけないらしい。で、足りないものを作る方が、実情に合わせて好ましいわけですが、どうも母親の考える「足りないもの」と、私の考える「足りないもの」が異なる気がする。で、特にこれから冬になるので、足りない冬物を補充したい、と思う気持ちは分かるわけですが、冬物用の生地はほとんどない(お安いコールテンはあったけど)ので、冬物が欲しいのであれば、少なくとも生地を買って補充するか、生地を買うのが嫌なら足りないままにしておくしかないわけで、その点は「欲しい」と言った時点で、どうするのかまである程度考えて言ってくれないと困る、となるわけです。軽い気持ちで言ってるから、「生地をどうするのかまで考えなかった」というのは、あんまりであると思う。軽くても、重くても、「材料をどうするのか」という基本的なことをまず考えてくれないと服はできない。そして、「あれが欲しい、これが欲しい」って次々と言うことを変えるのも止めて欲しいわけです。余っているコールテンの生地で、秋~冬用のジャケットを作ってほしい、というのは分かる。筋道もちゃんと立ってる。だから、その準備をしていると次に「手の出るポンチョ」が欲しい、と言われる。・・・それはいいのだけれど、「材料をどうするのか」というところが欠けてる。全体の趣旨からいえば、ハギレとか手持ちの生地の消費がまずは目的のお裁縫修行なのだけれども、冬服が必要であれば、そちらが優先でも構わないといえば構わない。でも、冬服を優先すれば生地は買わなくてはならないから、結果的に生地は増えることになるけど、それでもいいのか、とかそういうことのビジョンもない。「捨ててしまってないから」って言われても、そう言ったらどっかから生地が沸いてくるの? と思う。沸いてくるなら、いくらでも言って、って思う。要するに、余計なことは言わなくていいから、生地を買うのか買わないのか、冬服を作っている間、手持ちの生地の消費は止まるけど、それでいいのか、とか、そういう現実的なことをもっとちゃんと言って欲しいわけです。実際に作ったポンチョを改造して、切り刻むとか止めて欲しいし、夏用の生地で冬服を作れ、というのも止めて欲しい。服というのは、ちゃんと機能も見た目も考えてデザインされているのだし、ポンチョの方が尺が少ないものが多いから、余計なところを切り刻んでもつんつるてんになって使いにくくなるだけな気がするわけです。おかしなつぎはぎのデザインにされるのも困るし。そして、私の考える「足りないもの」とは裏地とか、スカートがあるならペチコートも必要、とかそういう感じで、夏物から入ったから夏物の話になってしまうわけですが、私が作りたいものはどうなるの、ともなる。ともかく、ちゃんとしたお裁縫の修行をせねばならないのに、なんだか「冬服が捨ててしまってない」から、作れ、としか言われていない気がするわけです。冬服を捨ててしまっても、新しい生地がどっかから沸いてくるわけじゃないんだけど? と私の方はそうなる。で、できるだけ切り詰めようとお安い新しい生地を買うと、今度はまた「別のもの」と言われる。そういうことは、「軽い気持ち」でも言うものではないのでは、と思います。最低でも、生地をどうするのか、ということくらい考えてから言って欲しい、となります。いくら余っていても夏用の生地で冬服を作れ、と言われるのも困るし。私が言われていることは、「家族のものを作るのであれば、偏りのないように、家族全員に、公平に平等に作れ」ということなんで。誰かのものを「作ってほしい」と言われるのであれば、他の人の分も、欲しい、欲しくないを問わずある程度は作ります。誰か「欲しくない」とかたくなにいう人がいるのであれば、それ以外の人の分も作りません。で、自分ではともかく、お裁縫の修行をしなければならないのだから、自分のものをコマコマと作るしかなくなる。兄さん達は、「家族の足りない服を作れ」とか、そういうことは言いません。「作るならああしろ、こうしろ」とは言うけれど。なぜなら、なにがしかの代償を支払って、情報を貰う(兄さん達から見れば「情報を与える」)ことが目的だから、代償と認められれば無駄なものにお金を払っても兄さん達から苦情は出ないです。でも、どうせ払うなら有意義なものに、となるからできれば家族の足りないものを作りたい、とそうなるわけですが。それは兄さん達の都合ではなくて、むしろ私たちの都合じゃん? となります-;。

 姉のお裁縫は、教えてもいいけど、すぐに「生地を買う」とか言うのが困る。私の1m2500円もするような高い生地ばっかり勝手に持って行こうとするのも困る。(上質な麻は毛と同じくらい高いんだけど-;)自分のものをコマコマと縫いたいのであれば、せいぜい1m5~600円の生地で(それでも高いと思うのに-;)で、まずは簡単なものから作って腕を上げるべき、と思う。だいたい、私がそうしているわけだし。そして、自分が「縫う」ことで、誰の何の役に立つのかをもっときちんと考えるべき。自分があれ欲しい、これ欲しいって、自分のことばっかじゃん。私は、自分のものは着分がないハギレで、目立たないところをつぎはぎして作ってるんだけど?? と思うわけですが-;。それでも、勉強にはなるからねー;。まあ、姉はとりあえず裾上げの練習でもしてるのがお似合い、と思うわけです-;。高い生地でツンツルテンの履けなくて、つぎはぎだらけなズボンとか作られると、見てる方がめまいがしそうなわけですが-;。

21年11月12日 昨日の日記

 本日は尾張神社と丸子へ行ってきました。上田・丸子は参上神社、稲荷神社、諏訪宮、安良居神社、白鬚神社、御岳神社、依田神社、愛宕神社を参拝しました。上田市丸子は義仲が正式な旗揚げした地、ということで、史跡が丁寧に整えられていて、回りやすかったです。

 尾張神社は、かつて「尾張」という人が山賊退治をするために当地に来た、みたいにあって。桃太郎みたいな伝承があるのは長野市内では珍しいな、と思う。

 丸子の「御岳神社」は地元では「みたけじんじゃ」と呼んでおり、創建年数等は不明とのこと。木曽御岳でなければ、金峰山の方であり、以仁王が山伏に身をやつして令旨を東国に運んだことを思うと、古くからの修験道の神社で、義仲が近くに居館を構えたのも、山伏が集まってきて、様々な情報が得られるからだったのか、と思いました。

 それから、上田市丸子農産物直売加工センター「あさつゆ」というところで、お土産の野菜を買ったりして。買い物をしていたら、スーパーでかかっているようなBGMだけのポップな歌謡曲がかかって。Snow Manの「Hello Hello」だった・・・。おばさま達しか買い物しないようなところで、最新の流行曲? と思う。それで、その次に、どこかで聴いた曲がかかって。知ってる曲のはずなのに、思い出せなくて「何だっけ?」と思ったら、誰かが「サビに注目~」と言うわけで。曲を追って聴いていたら、サビのところで誰かが「いくときは一緒さ~」って歌って。・・・雅治君の「想」じゃん~、と思い出す。Snow Manと福山君なんて、熱烈大歓迎じゃんーー、うれしいー、と思う。

 義仲は、地元の依田氏とかに招かれて丸子に最初の拠点を置いて挙兵したわけですが。でも、元々は無一文なんだから、物資も人馬も地元とか群馬方面の武士達に頼るわけで、要は「居候」じゃん、と思う。だから、最終的に義仲が負けたら、彼を支えた豪族達は、財産も命も召し上げられてよくよくの貧乏くじじゃん? と思う。義仲も依田氏、滋野氏、海野氏とか東信の有力な豪族達に支えられていたのに、結局は穀潰しだったんじゃんねえ? と思う。丸子へ行ってみて、なんで自分が歓迎されるのか分かる気がするわけで。要は、「家臣」はみんな、みんなを苦しめた義仲が嫌いなわけだ。賴朝が、自らは上京せず、東国の安定に努めたのは、賴朝だって無一文の居候なんだから、まずは自分を支えてくれる豪族達の財産や身分を守ることが第一である、という判断だったんだなあー、と実感できるし、その判断は正しい、と思ったのでした。山伏とか白拍子なんかを自在に操る後白河上皇に踊らされても、結局は利用されるだけである。

 で、家に帰ってきてMステを見たら「なにわ男子」のデビューのこととかやっていて。羽田空港で飛行機と一緒にデビュー会見したらしい。しかも、今日の「Show チャンネル」で小布施堂のことをやっていたし。翔ちゃんが襟無しのスーツを着ていて。今年はそういうのが流行らしくて。母親が散々「襟無しがいい」って言ってたからなー、と思う。でも、私は色々とあって、とても疲れました。

21年11月13日

 本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土掘り、土の清掃でした。

 で、何故か朝、姉が私のところからがめた麻の生地を持ってくる。ハギレとか、何か作りたいものがあって、着分を持っていくのなら分かるけれども、高い生地を4mとか持ってく? と思う。でも、言動の端々からなんだか上着が欲しそうな感じなので、いずれ1着は作ろうと思います。麻というと、割と合着なイメージだし、色は似ていても厚めのものとか、テロテロしてるものとか色々とあるわけですが、そういう区別はあんまりついていない模様。

 で、なんというか、姉とも母ともだけども、なんだかあんまり普通に会話できる気がしない-;。例えば、ものすごく簡単に、姉に「スカートが好きか、ズボンが好きか。」と尋ねると、「自分で作るからいい」とかって返ってくるわけです。それは、こちらが尋ねたことの答えにはなってない。だから、「どちらが好きなのか」という単純な答えを聞き出すために、何度も同じ事を繰り返して聞いて、5分もかかって、不愉快な思いをする、という羽目になるわけで-;。そういえば、母親も、特に対外的にそういう傾向がものすごくあって、相手から聞かれたこと、例えば「水道管を切断したのかいつか」と聞かれると、「分からない」と言うわけです。そこまではいいんだけど、ほっておくと、「切断していない水道管が破裂して、役場から炭を弁償してもらった」とか、そういう「時期」とは全然関係のないことまで話だすわけで、なんというか、相手との「会話」が成立しているように見えない-;。相手に聞かれたことに正確に答えようとしてなくて、自分の言いたいことを相手が求めているのかいないのかも考えずに言っているようにしか見えない。で、服の件についてもそうだけれども、母親にも言ったけれども、母親が「手の出るポンチョがあったらいいと思う。」と言うから、私が「じゃあ作りましょう。」と言うと、母親が「じゃあ、それは姉にやる。」と言うわけです。あれ? 自分が欲しいんじゃなかったの? と思う。というか、私は姉の服を作る奴隷じゃないんで。そういう扱いをされるのなら作らないよ、作ってほしいものがあるのであれば、たとえ威張っていたとしたも姉が私に言ってくるべきだし、そんなことも言えないほど子供ではないはず、と本音では思う。だいたい、姉については、母親から私に「あれこれ作れ」って言わせて威張ってる時点で、どこの何様になったつもりなの、っていう思いしか持てない。

 それに、母親の服の話をしているのに、なんで急に論点が姉の服の話になるのか、と思う。会話の論点を、一方がどんどん勝手に変えていったら、もうそれは「会話」とすら言えないじゃん? なんで、私との会話を全部無視して、自分の言いたいことしか言わないの? と思う。しかも、私が人の分の生地ばかり買って、少しは自分が作りたいもののために、と思ってロックミシンのカバー用の生地をおまけに買ったら、それをめざとく見て、「これ以上余計な生地を買うな。誰かが歯止めをかけなきゃ。」と言われたわけで-;。そうなんだ、私は人のための生地はまだ買ってよくても、自分が作りたいもののための生地は1mたりとも買っちゃいけないんだ? よくよくまるっきり奴隷みたい、と感じる-;。そもそも最初は余っているハギレを消費するためにお裁縫を練習がてら始めたのに、手持ちの生地ではできそうもないものをあれこれ作れ、と言われるから生地を買う羽目になる。で、自分のための生地をちょっと買うと文句を言われる。人のためのものでも文句を言われる。今回の件では、母親から「お前もイライラしてた」と言われたけれども、よくよく奴隷扱いされてイライラしないわけないでしょ、と正直思う。しかも、「生地は買うな。あれこれは作れ。」と無理難題を言われてイライラしないわけもない。母親の服を作る必要がなければ、姉の服も作る必要はない。あの服やこの服がないから作る必要があるとか、ないとかではなくて、ご当人が「こういう服がほしい」という意思を示さないから必要がないのです。冬用のコーとはあるんだし、だいたい話をしてみれば、むしろ本人がほしいと思ってるのは、合着っぽい麻のジャケットなんじゃん? なんで、それを無視して、本人がほしいとも思ってなさそうなものを、私に作らせようとするのか? と思う。私が自分から作りたいと思っているのならまだしも。

 でも、苦情を言うと、きっと母親は「もう服のことはお前に言わない」とか言いそうなので、あんまり強くは言わない。だけど、結局そういって、「もう言わない」とかって言うのも、結局、「会話をすることを拒否してる」わけで。普通に会話できる人が家にはいない気がするわけです。普段は諦めてそれほどは気にしないけれど、やらなきゃいけなことがたくさんあって、毎日夜中の2時まであれこれやってる状況なのに、更に奴隷扱いされるとさすがにとても疲れる-;。服は、本人が「欲しい」と言ったものか、本人は言わなくても私が「持たせるべき」と思ったものしか作りたくないわけですー;。母親が「姉に作れ」って私に言って、わざわざ作りたくもないのに作って、それで「欲しくなかった」なんて文句なんか言われた日には、私には「イライラする」どころか、「怒る」権利があると思う。

 というわけで、最初に戻れば、普通に人と会話したい、と思うわけです。特にこちらが質問したりしたときには、こちらの質問に普通に答えて欲しいわけです。余計なことは言わなくていいから。相手がこちらの質問に答えず、余計なことばっかり言って、結局会話が全然成立しなくて、それでこちらがイライラしなかったら、その方がよっぽど不思議だと思うわけです。非難されるなんて、よくよくお門違いな気がします。よくよく疲れはててるのは私の方です;。