本日は外作業のみ。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。
どうも昨日は朝の3時半に目が覚めて。しばらく寝床の中でゴロゴロしていたら、聞いていたウォークマンで嵐の「Love So Sweet」が2回続けてかかって「おー」と思う。この曲は最近は大ちゃんのテーマ曲であるので。一日、色々とあるんだろうな、と思う。
で、信州新町に行って支所の水道局出張所に行ってあれこれ聞くと、古い家の敷地に埋まっている古い水道管は引き継ぎを受けていないし、水道関連の地図にも載ってないし、うちでは管理していない、みたいなことを言われる。だけど、市は関わっていない、みたいにも言われて、「あれ?」みたいな。で、水道管の経過を聞かれても、親の記憶も曖昧なことが多いし、私にも生まれる前のこと、子供の頃のこと、家を離れていた時期のことは良く分からないし、だいたい問題となるイベントは私が家にいなかった時に起きているし。
で、帰る道中で「要は物権の問題でしょ」と言われる気がするわけで。どのみち、古い水道管は旧信州新町の所有だったわけだから、水道関連の設備として長野市の水道局が引き継いでいなければ、一般の動産として長野市が引き継いでいる、と解釈するしかない。特に田舎のいらない土地なんかが典型だけれども、所有者が「いらない」と言ったからといって所有物が所有者のものでなくなるわけではない。捨てられるものは捨てられるけど、土地は誰かに売るか、譲るかしないと始末もできず、税金を払ったり、管理し続けたりしなければならない。要は「いらないもの」であっても、自分のものであるしかないものは、管理するしかないのである。放置すれば問題があったときにその責任がふりかかってくるかもしれない。伊豆山の不法な盛り土みたいに。で、古い水道管は水道局や長野市が「いらない」と言ったところで、私のものになるわけではない。「譲りたい」と言われたわけではないし、譲って欲しくもないし。だけど、他人のものが自分の土地にあるわけだから、法的には「地役権」がある状態だし、地役権の目的物の管理に「協力しなければならない」立場である。登記していない地役権だから、「継承しない」と言えることは言えるけれども、目的物そのものがあるわけだから、それを何とかしてもらわなきゃうかつに「継承しない」とはいえない。ものすごく極端にいえば「地役権は継承しないから、不法占有だ。所有者が撤去しろ」と言えなくはないけれども、撤去しなければいけないものの上にうちの親が家を建てちゃってるから、「撤去のために家を何とかしろ」と言い返されたそれも困るし、穏便に解決したいし、喧嘩したいわけではないし、ということである。法的には、親のやったことだから私は関係のない「第三者」だー、と言えるけれども、倫理的というか心情的に、自分が50年も暮らした家に対してそういうことも言いたくないじゃん? ということもある。
というわけで、家に帰ってきて、信州新町史を紐解いて、水道事業の歴史を読んでみたら、古い水道管は水内村が一番最初に水道事業を始めた時のもので、長野市に事業が移管された時には、もう機能が廃止されて本管から切り離されていたことが分かったし、その経緯も分かった。だから、問題はむしろ「水道法」の解釈の問題であって、古い水道管が水道法における「給水設備」に該当するのであれば、当然所有者は引き継ぎミスがあったとしても、水道局になる。でも、該当しなければ、水道局の所有でなくても良いのである。厚労省や法律の趣旨としては、「古い水道管も事故とか起きないように水道局がちゃんと台帳を備えて管理しなさい」ということなのだけれども、この定めができた時点で、把握されていなくて台帳に載りようもない、よくよく古い水道管が「今」出現したらどうするのか、ということまでは細かく決められていない。しかも、いくら「水道管」とはいえ、あんまり大昔のものまで水道局が管理するの? というのはやはり疑問として残る。というわけで、わけのわからない古い水道管なんて、撤去しようがほっとこうが、問題が起きない限りどうでも良いことなのだけれども、法的にそういう結論を出すために、「まずは所有権者を明確にせよ。地役権に関する交渉は当事者同士でないとやっても意味ないでしょ。」と水道局(と長野市)に迫っております。市長も新しく荻原君になったことだし。話が進めばいいなあ、と思います。
で、テレビを見たら「帰れマンデー」に野田クリスタルが出ていて。栃木の山の中あたりをうろうろしていて、しかも途中に「小山」というバス亭があったりして-;。野田と小山の関係? 野田とかエレカシの宮本とか、どうも昔知っていた元彼に似ている気がする。その元彼の名前が、もし仮に「小山」というものだったとしても、あり得ない話ではないよねえ? どこにでもあるようなありふれた名前だしねえ、と思う。(まあ、そうなのかどうかは言いませんけれども。)ともかく、その辺りの人々は、私にとって一人の人しか思い出させない。そういう人々が目に付くところをうろうろする、ということは、テレビでてっぺいちゃんを見かけた時と同じほど、用心して、かつ本腰を入れなければならないことがある、と思うわけである。なので、昨夜は3時まで起きて、水道局に送るメールを纏める。で、「一筆欲しい」と言うのであれば、どういうものが欲しいのか具体例を出すように、と言われる気がするので、今日は朝起きてから、10時くらいまで「協議書」のひな形を書く。で、「こういうのがあれば良いと想います」と書いてメールで水道局に送っておく。おかげでお裁縫は一時停止です。そんなこんなで昨日はとても疲れたのでした。テレビは、昼は昨夜の「News Zero」の録画を見ました。
1杯目。1/2程度が石分。