昨日、今日は色々なことが起こった・・・というか、「発覚した」日であって。個人的に気になることといえば、かなり前から「ブンブブーン」で剛君が紫っぽい服、光ちゃんが黒っぽい服を着ることが多くて「何か問題があるのだろうか。」と漠然と思ってはいたわけです。でもって、あちこち出歩かなければいけない、とかそういうことが続いていたわけですが、どうも某病院へ行くと「人身御供を求める神に注意」とか言われる気がするし。どうも家人の一人を指して「よく面倒みる気になるね」みたいなことを言われる気がするわけで@@。家族だから、できることをするのは当たり前ーー、と思うわけで。でも、夢見もなんだか良くなかったり、寝苦しかったりもするわけで-;。「どうしたものか」とは思っていたわけですが-;。
どうも、昨日、私と母親が出かけている隙に、朝父親に飲ませている薬が「お膳に出ていなかった」と父親が姉に言って、姉が母親の薬を父親に渡して飲ませた、という話を聞いたわけです。だいたい今まで、父親の薬は前の日の夕飯後に、母親が用意して、お膳の上に出して、私が寝る前にそれを確認して、母親が忘れていたら私が薬を用意する、ということをやってたわけです。別に「薬が出てる」とか「出てない」とかいちいち声かけしたことはないですよ? でも、そうやってダブルチェックして飲み忘れがないようにしてたわけ。で、ここのところずっと母親も私も気をつけていて、薬の出し忘れなんてなかったし? それは人間だから、母親も私も忘れることはあるかもしれないし、絶対にないかもしれないし?? と思うのがまず第一である。
で、飲ませる薬が分からなくて間違えたと思ったので、「飲ませる薬が分からなかったのなら、なんで私や母に電話で確認して薬を飲ませないのか?」と姉に聞くと「薬が出ていないって言われたから飲ませた」と言うわけです。で、「何を飲ませていいのか分からなかったら、私か母親に確認して。」と言ったら、「お前になんか誰が聞くか! 誰がお前のことなんか信用するか!」と言って激高するので「あれ?」と思う。だって、私たちが出かけている時だって、けっこうささいなことで電話してくるよねえ? なんで、父親に「どの薬を飲ませたらいいのか?」って聞くのがそんなに嫌なのか? 私が信用できないのなら母親には何故聞けないのか? と思うわけです。しかも、なんというか、「悪いことをした」という態度が感じられないわけです。
で、母親が「もう父親の薬は自分は管理しない。当人にやらせる。」と言い出すので、元々飲み忘れる薬の多かった父親のことだから「それは絶対だめ」と私が言ったら、矛先が私に向かうわけで-;。「お前は命令するばっかりで何もやらない。」とか言われるわけです。「ダブルチェックしてますけど。」と言うと、「そんなこと言われたことはないし、チェックしてるとは思わなかった。」と怒られるわけで。「チェックした時に声をかけて欲しかったのであれば、そう言って。」と言うしかない。・・・そっちが思ってなくたって、こっちはこっちでできることはやってるんだから「何もやってない」なんて言われる筋合いはない、と思うけれども、そういうやりとりを聞いている姉が「全部お前が悪いだわ」とかって私に向かって叫び始めるから、もう収集のつけようがなくなるわけで-;。
で、姉が理不尽な物言い出私に突き当たってくるので、こちらもきつい言い方になって言い返すと、母親に「お前が相手にしないで我慢しろ」と私が言われるわけで、正直「言論の自由の弾圧反対-」と思うわけですが-;。そうすると「お前が家長なんだから、度量ってものがあるだろう」とか言われるわけで-;。度量も何も、私を「家長」と言うのであれば、家長が決めた家の中の秩序を守るように協力してくださいな、と思うわけですが、どうもそういう意味の「家長」ではないようで。それは曰く「モラハラを許さない」「弱者の虐待を許さない」とそういうことなのである。だけど、うちはデフォルトがモラハラな家庭で、ともかく子供を平等に育てる、とかそういった理想はなかったわけではないのだけれども、姉が言いたいことを言う、私が言いたいことを言う、親が両方の言い分を聞いて客観的かつ冷静に「こうしましょう」って説得しながら話合うということをともかく「あんまりやったことがない」のである-;。親は親で「私の言うことを聞けないのなら、私に意見なんか聞くな」とか子供の頃はそういうことしか言われた気がしないわけで、自分の意見を言って、それに対する相手の意見を批判も含めて聞いて、一緒に考えてみようとか、そういうことってあんまりなかった気がするわけで、話がうまくはまらないと、誰も彼もがヒステリーしか起こさない、とかそういう結果にしかならないわけで-;。まあ、私が「家長」とやらになれば、あまり批判されずに、言ったことに協力して貰える、という点はものすごく助かっているわけですが、ときどきこういう「しっぺ返し」を食らうわけです-;。でも、どんなに私が横暴な暴君だったとしても、「家族の希望を察しないお前が悪い」って言われるのはひどいぞ、希望があったた通っても通らなくてもまずそれを口に出して言ってくださいな、と思う。コミュニケーションってそういうものじゃん?? とも思う-;。
だいたいグチグチグチグチと相手の嫌がることや相手の悪口を延々と言う行為というのは、「家庭内暴力」を振るう「夫」が普通やることなんだよね。そうしてまず妻を支配しようとする。で、次にその標的を子供に向けて、同じ事をする。子供が嫌がったり、反抗したりすると、母親は「お前が反抗しなければ家の中が揉めないから、お前が黙ってろ」と言う。子供が黙っても、父親は家族に嫌がらせを繰り返して、家族を支配することが目的だから、嫌がらせをやめるわけはない。子供を虐めることは、母親に対しては「次はおまえだ」というようなプレッシャーにもなり得る。だから「黙ってろ」と言われた子供は、黙ってることで、父親からも母親からも虐待されてるのである。で、だいたい殺されて両親が逮捕されて、「どういう母親なのか」って世間から言われる、とそういことになるわけですが。だいたい、母親の私に対する言動は、虐待されている幼児に、自分が虐待されたくない母親が取る言動と「同じ」なのである。そのくせ、姉の機嫌をとって姉を動かそうと思うわけで、そんなことでDV夫は操縦できないって教科書にあるんじゃ? と思うくらいである-;。ということで、我が家の家長が私であったとして、私に対する虐待を許さない家庭を作ること、私以外の弱者的家族に対する虐待を許さない家庭を作ること、弱者に対して誰かが「お前が黙ってればもめ事は起きない」と言って虐待へ協力することを許さない家庭を作ること、というのは、実のところ、「家長」としてものすごく重要で困ってる問題なんだけど、と思うわけですが(苦笑)。ともかく、まあ、私は「幼児」とは言えないので、親が何言おうが、言い返そうと思えば言い返すかどうかは自分で決めますが、ともかく体の弱ってきている両親に対する「虐待」はなんとかせねばならぬ問題である。そして、家の中の家族間の力関係というか、人間関係がどうなってるのかということも分かって貰いたいわけですが。でも、私が「何でも勝手に決めちゃう」とか言われるわけで-;。
で、自分の部屋に戻ると、「何でも、自分の言ったことは自分の責任って責任を背負い込み過ぎないで、「誰それがやれって言ったことをやってるだけ」って正直に言えば。」と兄さん達に言われる気がするわけで。それはそれで、なんだかむかつく、と思うわけですが-;。しかし、私が「自分でこうしたい」とか「ああしたい」なんて思ってやってることなんて「ない」も同然だし。あるとすれば、家族間のモラハラを許さない、ってそのくらいのことである。というか、「真の家長」であるひいじいさんが「やれ」って言ってやってることをなんで「中間管理職」に過ぎない私のせいにして責められねばならないのさ、ってそれが私の本音であるので-;。・・・裁判に負けてショックだった時にも「大勧進に行ってこい」って言われて「かしこまりました」ってさっさと出向くようなことが板につきすぎちゃってるのよ、どうしてくれるの、誰のせい? ってそんな感じである。
・・・で、なんというのですかねえ? 今までは姉がモラハラ行為を私や母に執拗にする場合には、自分の部屋で食事を摂って貰うことにしたわけです。当人が理解できなくても、モラハラ行為は反社会的行為であり、繰り返すのであればペナルティーも止むなし、ということは、理屈で理解できなくても、経験で理解して貰わねばならないからです。でもって、私と母親はそれなりに平穏無事に過ごしてたように見えていたわけですけれども、モラハラ様は密かに、父親に母親の薬を盛る、という行為をして気晴らししてたわけだ-;。でも、特に最近顕著であったし、今後も続くと思うけれども、姉は母親にすりよって、機嫌を取ろうとすると思う。母親自身にも、「自分といれば姉はおとなしいけれども、妹がそこに加わると互いに険悪になる。妹がそれに配慮しないのが悪い。」と思ってると思います。私の方は、まあ、母親の機嫌をとって、自分に有利な方に話を姉はもって行きたいんだろうなあ、とは漠然と思う。というか、姉が母親の機嫌を取れば、その分私の方に突き当たってくるのは経験から分かってるので、配慮も何も、「まだまだ油断してはいけない」と、自分の身を守るために配慮するしかないわけですが。どうして、こういう現象が起きるのか、姉の思考回路が理解できない。それが今日の私の長風呂の理由だったわけで。
そうしたら、「DV・モラハラをする夫は、いつも妻を追い詰めているわけではない。ときには優しくしたり、親切にしたりして相手の気を引くわけで、それは親切にしたいからそうしているのではなくて、相手を支配しているからそうしているに過ぎない。でも、妻は親切な夫が本当の夫の姿であって欲しいと思うし、そう思いたいから、「子供がいなければ夫は自分に親切にしてくれる」とそういう思考回路にすらなる。夫の側は、妻にそう思わせて妻も子供の虐待に協力するように仕向けるために妻に親切にする。」と言われる気がするわけで。
でもって、風呂から上がったら、「洗濯の時は、姉にリビングにいてもらいたいから、姉にはここで食事して貰いたいと思う。」と母親に言われて、「あれ?」と思う。食事の時は私も姉も自分の部屋で、「それが公平・平等」だってあなたが言うから、その代わりに薬の管理は全て私がして、姉は一切さわらない、ということで了解しましたよねえ? 姉に薬のことをさわらせない、ということは、薬を利用して虐待を繰り返したい姉の行動を阻止する目的でもあるし、それが今回の騒ぎの彼女に対するペナルティーでもある。それで、今日は姉も少しは私に対してグチグチと嫌みを繰り返さず少しは遠慮している風であったので、まあ、家庭の平穏を守るためには、少なくともしばらくはなんとかなるかな。後は、姉の行動を監視して、家族の誰をも虐待しないようにどのようにして気を配っていくのか、できる範囲で母親とゆっくりと相談していこう、と思っていたら、なんか、私が一日も二日もかかって、誰のメンツも立つように気を配って取り決めた約束、できるだけ姉が気が狂ったようになって、手がつけられなくなって暴れたりするようなことを未然に防げるかということを、考えに考えた末に決めた約束を24時間も経たないうちに変えるの? あれ? と「目が点」になる。だから、姉を有利にするのではなく、私が留守番をする、ということなら良いですよ、と言ったら、要は「それは公平でも平等でもない」と言われる。いや、私が姉よりも若干優位で「上の立場」になりたいのは、いざというときに自分が踏んだり蹴ったりされて、あげくにあなたから「配慮が足りない」って言われるのが嫌だから、その予防手段としてやってるんで、相手が「自分よりも下」の立場だと見たら踏んだり蹴ったりして当たり前だと思ってる姉だって知ってるよねえ? 公平って平等って何? 姉が家族を毒殺しようとしたら、私が姉の口をこじあけて硫酸でも飲ませるのが公平で平等だって思ってます? お母様? と思うわけで、あきれかえって口もきけない。
それで気がつくけれども、幼児虐待に協力する母親というのは、結局は子供よりも夫を取るのは、「夫の方が子供よりも自分の役に立つ」からなんだなあ、と今夜の母親を見て思う。姉が私よりも「役に立つ」と思う点では、いくら私が姉に虐待されかねないことになっても、お母様は「それが当然」と思うらしい。・・・というか、あなたが「リビングでいつもご飯を食べていい」って言ったから、露骨に数少ない自分の薬を旦那に飲まれるはめになったのに、なんで自分が姉に殺されるのが公平とか平等と思うのかが私には理解できない。こと私に関しては、母親が姉が私を攻撃する口実をあえて作るのなら、まずは「自分の身を守ることを最優先にさせて頂きます」と述べるしかない。公平とか平等とかは、あなたか私のどちらかが姉に毒殺されるか、暴力を振るわれて殺されるかして、あの世へ言ってから閻魔様にでも言えば、とそんな感じである。私が私の身を守ることは、家長も何も「私の権利」ですぞ? と思う。母親はリビングに留守番がいる状況も、私が有利である状況も、どちらも含めた状況を選べたし、敢えて「それは公平でも平等でもない」と言って自分から放棄しておいて、しかも、姉のいないところでいくらでも事前に私に相談できたのに、わざわざ姉のいる時に私の不利な状況にまた変えるように、と私に求めるわけで、あれえ? と言うしかない。私と母が、今日一日、よくよく頑張って相談して殺人未遂鬼から勝ち取った不完全な勝利を、その日が終わらない内に私が放棄しないからって、それは私のわがままではございません、と述べるしかない。
「殺意」というものは常にあって、それは自分以外の自分に関わっている人全てに及ぶ。1mmでも気に入らないことがあればそれが「殺意」の正統な理由なのである。でも、人の機嫌を取ることもある。機嫌を取る相手を支配して協力させるためには、そうする。だからといって、機嫌を取っている相手に対する「殺意」がなくなってるわけではないの。私を殺すために母親を利用する、父親を殺すために母親を利用する、母親は年取って役に立たなくなったらどうする? とそう思う。そういうものは「殺意」を向けられた相手が協力しあって助け合って「予防」していく以外に対応のしようがない。露骨な殺意や暴力を暴走させる前段階で、まず家族に対して欲望をむき出しにするのではなく、遠慮をすることを少しは覚えて欲しい、と求めることは不公平で不平等なのですかね? とこうなる。
というわけで、あまりにびっくりすることばかり起こりすぎた一日でびっくりする。・・・今日書いたことは全てフィクションである。