21年8月19日

 今日は家にいて、外作業をしました。ときどき小雨が降ったりして、まだ天気が安定しません。母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け、私は土の清掃、土掘りでした。トイレの下は大きめの石が多いように感じます。また、昼に家に入っている間に、どうもゴミ入れが誰かにいじられた形跡があるような気がします。ゴミが元入れておいたカゴから別のカゴに移されたりしていて。それから、夕方、近所の人が真っ黒な服を着て、ほんのしばらく(1分くらい?)我が家の方をぼーっと見ていたので気味悪かったです。親は「ついに近所の人間まで真っ黒な服を着るようになった」と言ってましたが、そんな感じです。今日はちょっと涼しめですが、真夏の炎天下の黒は着ている人がきつい気がします。でも、今日はかなり静かな方でした。昨日あたりは、昼間かなり犬を鳴かせていたので。新たな方針なのかと思ったくらい。最近では、この家が特に敵意がお強いように思います。

 後は、朝から何か気分的にちょっとイライラすることがあって。「何かあるかなー?」と思う。で、土を掘っている時に、なんだか「親の掘りが甘い」という気がして、親が掘った後をガリガリ掘ってみたら、小さめ(5cmくらい)の石とかビニールゴミが出てきて。「こういうのも教えて貰えるんだろうか?」と思ったのでした。でも、雨が降ったばかりだから、ちょっと深めに掘ると地下水がしみ出してくる気がします-;。腐った木くずとかも埋まっているかも? と思う。

 そして現代の「祟り」はWindows10の更新だー、と思ったりするわけで-;。雨が降っている間、ずっと更新作業続きでパソコンが重くて使い勝手が悪く。更新作業が終わったら、文字がうまくプリントできなくなりました-;。

 で、昨日は中居君のお誕生日でした。おめでとうございます<(_ _)>。
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今日はバケツに2杯作業ができましたが、写真を撮ったのはこちらだけでした。1/3程度が石分でした。

21年8月19日

 本日はお出かけする日だったので、出かけてゴミを捨てに行って、買い物して帰ってきました。帰ってきてから外作業をやろうと思って支度しましたが、雨が降ったので断念して日記を書いています。そして、夕方は少しだけ外作業ができました。母親は土の埋め戻しをしました。

 昨日は雨が降ったので信州新町の古い家に荷物を取りに行って。ミシン等を持ってきました。帰りに川中嶋刀売神社に参拝してきました。川中島刀賣神社は氷鉋斗賣神社と関連していて、氷飽が3つの村に別れた際に、上氷鉋に分祀されて「諏訪社」と称した2つの氷鉋斗賣神社関連神社(諏訪大社に倣って2つの社に分けられたらしい)の内の一つが川中島刀賣神社ということらしいです。だから、氷飽には氷鉋斗賣神社に関すると思われる神社がいくつもあります。全部で6個あるのかも? と思う。

 一昨日は再び佐久方面へ出かけて、滋野氏・海野氏関連の神社を中心に巡りました。住吉神社、鼻顔稲荷、出雲大社講外宮、正法寺、駒形神社、滋野神社、滋野神社(八幡宮)、白鳥神社、海野宿資料館、菊屋稲荷。滋野氏は『「滋野氏は、紀(直)氏と同系氏族」とされており、紀伊国造と同系の楢原氏が最初と思われる。続日本紀によれば天平勝宝元年(749年)に東人が伊蘇志臣を賜り、延暦17年(798年)に東人の孫家訳が滋野宿禰を賜り、弘仁年間に朝臣に改めた(Wikipediaより)』とあり、紀氏の一派と思われます。紀氏は武内宿禰の子孫と言われていますが、武内宿禰が伝説上の人物で実在性が怪しいのではないかと思います-;。日本書紀に「仁徳天皇41年3月条では、天皇の命で百済に遣わされ、初めて国郡の境を分けて郷土の産物を記録した。その際、百済王同族の酒君に無礼があったので紀角宿禰が叱責すると、百済王はかしこまり、鉄鎖で酒君を縛り葛城襲津彦に従わせて日本に送ったという(Wikipediaより)」とあり葛城氏と関連があるのかも? と思います。滋野氏は東信では神職としても重要な位置にいると思われます。信濃国の神権に対して強い影響力を持っているのは、信濃国造家とその前身と思われる賀茂氏だと思いますので、むしろ滋野氏は葛城・賀茂氏の一派で、信濃国造家の一派でもあるのではないか、と思われます。だからこそ、信濃国造家が碓氷峠を越えて信濃国に入ってきた際に、入り口である佐久から東信の経営を任されたのではないのか、と想像します。

 で、印象深かったのは海野宿であって。一応、行く前に下調べはしてあったわけです。で、「行くなら資料館に行った方がいいよ。」と、なんとなく言われていて。行ったら、なんだか受付の人に「庭が順路だからー。」と庭を強調された気がして。行ったら「姫宮神社」という戦で亡くなった海野氏を祀る神社(祠)があって。「姫宮神社」は千曲側の流域のところどころにあって、名前からだけでは祭神がはっきりしないことから、御霊系の神社なのかなあ、となんとなく思っていて。はからずも、資料館でそれが確認できたのでした。駒ヶ根の大御食神社には五郎姫神を祀っていて、柳田国男が「女性の御霊は珍しい」みたいに書いていたわけですが、長野県の場合は生きている時は男性でも、「御霊」として祀る時は、女性形にする伝統があったのだろうか、と思いました。あとは、宿の中を散策している時に、ニホンミツバチの分蜂にも出会って珍しかったです。

 で、「稲荷信仰」というのは修験道を関係が深くて、どうやら修行を積んで「天狗」になると狐を騎馬として貰えるようで。某所で「だいぶ修行を積んできたようだから、そろそろうちのお狐サマを騎馬に上げるよ。」と言われる気がするわけで@@。血統の良い最上級のお狐サマの御霊を貰えた気がする。・・・これで空が飛べるようになったらいいな、というか、何かいいことがあるの?? と思うわけで。そうしたら「狐は肉食獣なので。祓うほどでなくても、細かな動物霊が身の回りにたまってきてうっとうしくなってきたら、お狐サマが食べて片付けてくれるよ。」と言われる気がするわけで@@。コネで良いものを頂いたのだ、という気がするわけですが。