本日の作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃、土掘りでした。
色々な神社巡りをして、母親が「戸隠の一の鳥居をくぐっていないけど、いいのか。」と気がついたので、さくっと戸隠に行ってきました。一の鳥居は、母親が若い頃にはあったらしいのですが、老朽化して昭和60年頃に取り壊したらしくて。今は跡地に礎石等が残っていただけでした。鳥居の跡をくぐって、その後宝光社、火之御子社、中社をお参りして、奥社は鳥居まで行って帰ってきました。行くときに浅川から車で上って行ったのですが、私はあまりスピードを出さないので、だいたい後ろの車に追いつかれて、煽られっぽくなることが多いので、よけられるところでよけて、後続の車を先に行かせてしまうわけです。平地であおられるのも嫌ですけれども、山道であおられるのはもっと嫌なので。そうしていたら、今日は後ろから追い越したと思ったらUターンして帰って行く車とか、よけたら追い越して行った、と思ったら少し前で止まってしまった車とかがいて。止まってしまった車は何か停める用があるのかと思って、仕方なくこちらが追い越したら、そのまま後ろについてきて、宝光社の駐車場までぴったりついて来たりとか。中社では、参拝して拝殿から階段を降りようとしたら、すれ違って上ってきてた人達がこれみよがしに咳払いしたりとか。久しぶりに変なストーカーっぽいことにけっこう出会って。で、原因は何だろうなー、と思う。
それとは別に、宝光社に参拝したらふと参道の脇に「秋葉三尺坊大権現」がどうの、と書いてあるのが目に入って。今まで何度か戸隠には来ているわけですが、初めて気がついたー、と思う。「秋葉神社というのは本山が静岡の方だかにあったんじゃなかったっけ?」と思いましたが、カグツチが祭神の秋葉系の神社には、基本的に触らないようにしているので、あまり詳しく知らなくて。家に帰ってから調べてみました。そうしたら、戸隠の宝光社の社家の家の人が蔵王権現とか比叡山とか全国各地で修行して、「火防の術」を会得して静岡の秋葉山に秋葉神社を開いたのが秋葉系の神社の始めだ、という伝承があるそうで。秋葉神社というのは神仏習合の寺社で、江戸時代まではこの「三尺棒」を祭神として祀っていたそうです。で、明治になって廃仏毀釈になった時に、伝承に従ってカグツチを祭神にしたそうな。だから、秋葉系の神社の本山は静岡にあるけれども、開祖というか祀られていた人は戸隠の社家の人だった、ということで。「そうだったんだー」と思う。ということは、三尺坊はカグツチと習合して「同じ存在」とみなされている、というか「カグツチのもつ神霊の術」を会得してカグツチの恩寵を得ている人、というかそういう扱いなのだ、と思います。火雷系の神社では火雷神とカグツチを同一視する向きがあり、併せて考えると、三尺坊は火雷神の恩寵を受けた人、ともいえます。ということは三尺坊に対する信仰は、火雷神に対する信仰ともいえますし、これは皆神山の侍従大神にもいえることだと思います。・・・要するに、どちらも修験道的に変化しているけれども、賀茂の雷神信仰といえる気がします。戸隠の社家にも鴨々しい賀茂の影が・・・と思う-;。こういうことを私に知られたくなかったのかなー、と思います。
というか、今まで何で気がつかなかったんだろう? それこそ、何かの術?? と思ったのでした。