21年7月5日

 本日は親の病院日であって、私もついでに健康診断を受けてきました。去年の健康診断以来、健康管理にも一応気を遣って体重もそれなりに落としたのですが、今年の結果はどうでしょうか。

 テレビは今日の昼は「THE MUSIC DAY」の録画その他をちょこちょこと見ました。昨夜はYouTubeを見て見ました。天気図や天気予報を好きな時に見れるのはちょっと便利だと思います。

 さて、「オルペウス教」です。日本の古代の神話からはちょっと離れます。むしろ「現代の神話」かも、と思います。宗教と「死後の世界観」は大きく結びついています。よくよく古い、単純な精霊信仰の時代に人々が死後の世界のことをどう考えていたのかはよく分かりません。その頃は、精霊と交流して、現世での利益を求めることが大切であって、死後の世界のことはあんまりあれこれ想像とか創造する気持ちがなかったのかも、と思います。

 古代中国の殷あたりでは、天に「上帝」という神がいて(後の天帝)神々の頂点に君臨し、王家の祖霊は死後天に昇って、上帝に仕える、とされていたようです。下々の庶民の祖神がどうなることになっていたのかは分からないです。もっと身分の低い戦争捕虜とかは生贄に捧げられたりしていましたから、その霊は祖霊の餌とか、アクセサリーにでもなる、と考えられていたのかもしれませんが、それも分かりません。だから王は死後、天に昇って上帝に仕える者となる予定の人で、生きている時は天界と人界を行ったり来たりできるシャーマンである、と考えられていたのかもしれません。こういう考え方は良渚文化(紀元前3500~2500年頃)に萌芽していた可能性があると思います。この場合、身分の序列は上から

上帝 ー 王家の祖神(霊) ー 王(シャーマン) ー 貴族 ー 庶民  ー 異民族・奴隷

と考えられていたのかもしれません。王は、天上世界と意思疎通できるとされるシャーマンですから、「上帝の命令に従って」部下や人々を統治しましたし、異民族を征服したり、生贄を捧げたりしたのだと思います。

 殷の占いに関する資料を見ると、最初はこのような精神・宗教世界だった殷は、時代が下ると、次第に上帝ではなく、祖神に直接占いの伺いを立てるようになり、上帝に代わって祖神が返答を与えるような形式になっていったそうです。上辺では祖神が上帝に取って代わったように見えます。でも、きっと当時の人々はそう考えていたのではなくて、祖神と上帝が一体化して「同じ物」となったと考えたのではないでしょうか。「父と子は同じものである」という思想の一番最初は「上帝とそれに仕える祖神は同じものである」というところから出発したのではないか、と思います。先祖は一人一人、年齢を重ねて寿命が尽きれば亡くなっていきますから、「上帝と同じものになる」先祖は父から子、子から孫へとどんどん増えていくことになります。死ねば、みんな同じ「上帝」になります。そうやって、王、それから王族は死ねば上帝と一になる。貴族は優れた働きをすれば、死後天に封じられて神と一になる。あるいは貴族以下でも、王の供をして殉死すれば上帝と一になれたかもしれません。そして、生贄は上帝の「餌」ともいえますから、生贄に捧げられた者も、上帝と一になるとされたかもしれません。というか、奴隷なんて生贄にされて、上帝と一になれた方が幸せかも? だって、奴隷のまま働かされて死んでも、神々のいる天上界に昇天できる身分ではないし。と、次第に考えられるようになったかもしれないと思います。そうすると、奴隷を生贄にしてあげることは逆に奴隷が上帝と一になるために必要な儀式、ということになりますから、生贄に対して良心が咎めたりすることはなく、どんどん生贄を捧げるようになるのではないでしょうか。

 ところで、上帝とは「天の神」であり、地上においてはシャーマンであった、とします。でも、上帝が、というかシャーマンが殺されてしまったとします。シャーマンは頭だけの饕餮と、胴体だけの蚩尤に分けられました。人々に「お告げ」を告げる頭の方は、天に昇って上帝の部下となりました。人々の捧げ物を上帝に運ぶのが彼の役割です。でも、時代が下ると饕餮は上帝と同じものになって、捧げ物を自分でガツガツ食べるようになりました。胴体だけの蚩尤は大地に埋められましたので、大地と一になりました。死後、天下に昇るだけの身分とか実力のない人は、普通に地面に埋められて、肉体は蚩尤と一になることになりました。魂はどうなったのか? そもそも魂という概念があったのかも、私には良く分からないわけですが。こうして、まず死後に「天に昇れる人」と、「そうではない人」に別れることになりました。蚩尤の方は、人々の死体を飲み込むだけでなく、植物を「生きたもの」として、そこからは新しい命(植物)が生えてくることになりました。

21年7月4日

 昨日は一日作業していました。外作業は、母親が土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉が土の清掃、私が土の清掃、土掘りでした。夜は「MUSIC DAY」を見たので、色々なことをやるのが遅くなって、疲れたので日記を書く暇がありませんでした。今日は天気予報で雨が降るとのことだったので、信州新町の家に出向いて細かなゴミの整理をしたり、布団や食器類を持って来たりしました。

 各方面からの要請に従ってAmazonのfire TVを購入しました。何とか設定も終わりました。お目当てはYouTubeとネットの天気予報です。好きな時に天気予報が見れるのは良いです。あとは、なんと言っても「ジャにのちゃんねる」です。

 でもって、本来は神話的世界は、「天界」ー「中つ国(地上)」ー「冥界(黄泉の国)」と3つに分かれているはずなのに、どうも熊野が浄土に設定されたり、須佐之男が住んだ「根の国」が出雲国にあったりして、「中つ国」を「冥界」に寄せる動きが古事記成立時から始まり、平安時代にかけて時代が下るほど、盛んになっている、と前回までに書きました。これは浄土信仰が盛んになるのと関連しますし、当然熊野信仰とも関連します。熊野を「浄土」に見立てて、修験道の聖地にした過程には天台宗の僧侶が深く関わっている気がします。

 そして「熊野」のからくりですが、「速玉之男神」がイザナギではなく「子神」であるとすると、薬師如来とはイザナギのことではなく、子神のことになります。そして、薬師如来は東方浄瑠璃浄土の主人ですので、仏教的には浄土に生まれ変わりたければ、薬師如来の浄土に生まれ変わっても良いわけです。浄土の主ということは薬師如来も冥界神になります。大乗仏教の薬師如来が、アスクレピオースやイエス・キリストがモデルだったとしても、少なくとも大乗仏教では「冥界神」扱いになります。

 大乗仏教の「冥界神」がいるとされる場所が「浄土」であって、「黄泉の国」であるとすると、ローカルで「黄泉の国」とされる場所がいくつかあります。まずは、熊野と同様、霊山である戸隠です。戸隠は地主神が九頭竜と言われており、修験道の修行僧が九頭竜を調伏したところ、これが善神の水神へと変じた、との伝承があり、これが戸隠信仰の原点とも言われています。善光寺の地主神も、本来は九頭竜ではなかったか、と思います。で、権堂辺りでは九頭竜は弁財天と習合して女神と考えられますので、本来は九頭竜は水神でもあり、女神でもあったのだと思います。(熊野に対する信仰も、本来は滝や川といった水神に対する信仰だったと考えられています。)でも、その前に戸隠は当然神話的には「天の岩戸」であったわけです。「天の岩戸」も洞窟の世界から外の世界への「境界」といえます。黄泉平坂に置かれた境界の岩の変形版ともいえます。こうして、

戸隠 = 九頭竜 = 岩戸 = 境界

ということで、九頭竜女神も「境界神」へと変えられてしまいました。「学門」という修行僧が九頭竜を岩戸に閉じ込めて調伏した、と伝説にありますので、九頭竜女神も「岩戸の中」=「黄泉の国」へと閉じ込められて、「黄泉の女神」とされてしまったことが示唆されます。ということは、「岩戸の中」というのは「黄泉の国」なのだから、須佐之男の狼藉によって天の岩戸に籠もってしまった、というアマテラスも「黄泉の国」に下った、と考えられます。黄泉の国に下って、観音菩薩と習合したら、アマテラスも「黄泉の女神」ですよねえ? となります。伊勢神宮は遷宮の際、午後8時に「鶏鳴三声」といって、これから夜が更ける、というときに、わざわざ「朝が来る」とアマテラスに思わせて、古い宮の外へ連れ出す、という祭祀をします。これは、太陽女神を騙して「夜」すなわち「冥界」の方へ引き出す、という儀式なのではないか、と思います。冥界に引き出されたアマテラスは今も黄泉の国にいて、熊野にいるのではないの? と思う。とすれば、神々がアマテラスを岩戸の「外」へ引き出した「外」は天界の外なのか、それとも黄泉の国の外なのか、と思うわけです。アマテラスは間違った鶏の鳴き声に騙されて、黄泉の国に引き出されてしまったから、熊野にいるし、アマテラスが黄泉の国にいれば、地上は当然暗闇なので、地上も冥界になってしまうのです。要は、須佐之男(阿弥陀如来)とはアマテラス(十一面観音)を騙して殺して、冥界の自分の隣に置いておく神といえます。まるっきりハーデース・プルートーとペルセポネーみたい、と思います-;。

 で、もっとローカルでミニマムな「黄泉の国」に「聖高原」があるわけです。長野市信州新町の犀川の対岸に、麻績村から旧大岡村にかけて「聖高原」という高原が存在するわけです。昔、役行者が聖高原で修行していた時に、山中から薬師如来が現れたため、この地に霊場を開いたという伝承があるのです。で、その際に発見された薬師如来?かどうかは分かりませんが、聖高原には最澄の直弟子である慈覚大師が建立した福満寺という天台宗の密教寺院があり、かつては修験道の寺院であり、本尊が薬師如来なのです。これは、関東だか長野県だかで、最古の薬師如来像だそうです。で、修験道の修行のための寺院なので、檀家がいないそうです。(でも、本来はこのようなのが真のお寺の姿なのだと思います。経営は大変でしょうけれども。)だから、聖高原全体が霊場だし、例によって「黄泉の国」なわけです。でも、これは元々どんな山だったのでしょう? となります。聖高原には、山の上に樋知大神社(ひじりだいじんじゃ)という神社があり、ここに古くからの水源があり、武水別命が祀られています。武水別命も諏訪神の子神とされています。玄松子さんのサイトには武水別命は出早雄命と同神か? とありますが、後に八幡神へと置き換えられていますので、私はどちらかというと彦神別神に近い性質の神だと思います。正直に述べると、犀川北東が彦神別神、犀川南西~千曲川北東が武水別命、千曲川南西が出早雄命なんじゃないのか、と思うわけで、単に行政区の違いを表すための神か? とも思います。ただ、武水別命が、犀川と千曲川に挟まれた土地を管轄してるとすれば、やはり「境界神」としての性質がちょっと強い神であるのだと思います。で、樋知大神社は明治維新までは、真言宗高峰寺とされていました。「高峰寺は、亀山天皇(鎌倉時代)の文応元年六月十五日学道聖人が修行の末、紀州・熊野権現から水玉をいただき正観音像を刻み十一面観音を安置して真言宗を教えた寺院。(玄松子)」とあります。明治後の神仏分離で樋知大神社になったわけですが、高峰寺はなくなったわけではなくて、現在も神社の隣にあり、現在は無住で信州新町の玉泉寺で管理している、とのことです。というか、「熊野の水玉」って何なんですかね。須佐之男のことなんじゃないの? と思う。で、十一面観音とは冥界神であるアマテラスのことです。犀川関連の水系の地主心は九頭竜ですので、元は九頭竜女神の聖地であったところに、開拓神である諏訪系の神が祀られ、その後に熊野の冥界神カップルと薬師を持ち込んで、冥界に変えてしまった地といえます。

 で、そういう呪法を行った学道聖人とは、どういう人なのかは良く分かりません。でも、玉泉寺の方は分かる。玉泉寺は真言宗豊山派といって、興教大師という人が平安時代末期に創設したと言われています。興教大師は高野山で「空海以来の学僧」と言われ鳥羽上皇にも厚く帰依されていました。だけど、金剛峯寺の衆徒と対立し、金剛峯寺を出て根来寺というお寺を建て、真言の本家本元である金剛峯寺とは別れて新義真言宗という派を興しました。根来寺の本尊は大日如来他です。根が来る、って太陽神(大日如来)を祀る所に黄泉の国を呼び寄せるんですか? と微妙なことを思うわけですが、この一派が京都に薬師如来が本尊の玉泉寺を造りました。1143年頃です。木曽義仲がこのお寺を守護寺にしました。でも、義仲は頼朝に負けて戦死し、部下はちりぢりになりました。義仲の部下仁科氏配下の竹村兵部が、義仲の守り本尊の観音像を戦火から救い出して、荻野の山の中に観音堂を秘かに建てたのが、荻野の玉泉寺の始まりで1184年頃のことといえます。だから、高峰寺も新義真言宗の一派なのだと思います、というか玉泉寺と同じく豊山派のお寺なんだろうな、紀州初の熊野信仰のお寺だー、と思います。聖高原の方は、まず薬師を祀る寺があって、その後に冥界神のカップルが招かれている。荻野の方は、どちらか先かは良く分かりませんが、山の上に近戸皇大神社というアマテラスと冥界神の建御雷神を祀る神社があって、その門番のような位置に玉泉寺(義仲の守護観音菩薩)があります。荻野の方は、修験道の聖地とは言われていません。義仲の守護寺だったんですねー、義仲を殺して救済しちゃったんですか? とふと思うわけですが-;。犀川の南側には、伝統的な天台修験道的ミニチュア熊野、北側には新興真言宗の救世観音菩薩? と思う。阿弥陀の隣にいる観音って、キュベレーとかって誰か言わなかったっけ? とふとそんな気がするわけですがー;。どちらのアマテラスも「浄土」に閉じ込められているように思います。そういう点では熊野と一緒な思想なわけです。

 で、大乗仏教が西欧の多神教を元に造られている、というのはなんとなく分かるし、納得もできるわけですが、でも聖母マリアとイエス・キリストとか、イシスとホルスとか、西方の多神教の「母子神」というのは、母親が冥界神ってあんまりありませんよねえ? と思う。ナルト叙事詩のサタナくらい? と思う。そう思いながら、昨日「MUSIC DAY」を見たら、兄さん達に「オルペウス教」と言われる気がするわけで@@。それは一番やばくて、一番押しつけがましい奴、と思う。というか、それって「極」のつく右とか左とか、生きてても死んでても阿弥陀如来の如くの人々の集団というか、よくよく関わりたくない部類に入る気がするわけで。今でも、警察の捜査から始まって、何もかもが「異様」であった「松本サリン事件」とは何だったのか、と思う。大乗の説く「救済」、キリスト教の説く「救済」、オルペウス教の説く「救済」とは? と思う。だいたい、オルペウスって、子音からいって、オルクス、ウルリクンミ、ベスあたりと同じものですよねえ? どこまでもやばい究極の「宗教」と言われる物の原形は紀元前1200年頃に、明確に造られて、世界にばらまかれた。殷の時代に。そして、冥界神である雷神の信仰も。

 雷神とは鶏のことなのです。だから、冥界の鶏の鳴き声に騙されて外へ出ると、黄泉の国につれて行かれるよ、ということで。牡丹灯籠みたいですが-;。ちゃんとした鶏の鳴き声についていかないといけないわけです。穴掘りと並行して、古い家を早めに始末してしまった方が良い、と言われるのであれば、そうした方が良いのです。冥界神とは早めに縁を切った方が良いからで、義仲みたいに殺されて「救済」されても、あんまり嬉しくないからですー;。

21年7月2日

 本日は姉が病院に行って。その後、姉と母で買物に出かけました。なんというか、近くの家に妙にお金持ちそうな見知らぬ人達、不動産屋風の人が出入りしたり、家の横の道路に変な車が路駐していたりして、せわしない、というか変な日でした。ここ何年か、我が家の近所の家の住民が次々と入れ替わっていたわけですが、最後に残った1件もいなくなるのか? 不動産屋みたいなのが出入りしてるし?? とか、なんとなく想像しています。まあ、思い過ごしかもしれませんが。(我が家には関係ないことといえば無いとも言えますが・・・。)でも、こういう変な人達が出入りするときは、誰かがイライラする、ということで姉が割とイライラ気味でした。

 外作業は、母親が土の埋め戻し、土の清掃、石片付け等、姉が土の清掃、私が土の清掃、土掘りでした。今日は昼間も夕方も雨が降ったりしたので、雨を避けたりしてたので、全体としての作業時間は短めでした。

 Amazonを装った妙なメールは今日も来てた・・・。詐欺目的とも言い難い内容ですし、嫌がらせ以外に何が目的なのかが良く分かりません。でも、一番は作業の邪魔をしたいんだろうなあ、と思います。

 姉については、薬の効果が今一なので、もっと強い薬に変えましょうか? というようなことを小谷の姉さんに言われました。だいたい、前回の血液検査でも結果は今一だったので、今月から薬を変えて貰っても良かったのですが、ちょっと強く言いそびれてしまって、何故か「今日やった検査の結果を見て決めましょう」ということになってしまいました。私が強く言えば変えて貰えたと思いますので、その点は反省しています。前回高めだったカリウムの値が正常だったのを確認したことと、メバロチンの処方箋を朝一回から夜一回に書き換えさせることで、今回は力を使い果たしてしまいましたー;。まあ、姉の検査の値を正常にすることには、親に対してほど私も神経を尖らせて気を遣っていない、という傾向はあると思います。・・・親身になって、健康のために尽くせば尽くすほど、逆恨みして「お前なんか死んじゃえ」って本気で言ってくる相手にそれほど血道を上げてまで親切にする気には、さすがに私もなれないらしいです。で、ご当人は機嫌が悪くなると、先祖のことをあれこれ言い出して、「うちの先祖は立派な人だったんだ。」とか言い出すわけです。で、「そんな立派な先祖なら助けてくれればいいのに。」とかって言うわけで。・・・正直、お犬様のご先祖様に「その人も自分の子孫なんだし、もう敵の中に戻ったとしても居場所はないのだから、ちゃんと面倒見て一緒に自分達の所に連れてくるように。」って直々に言われてなかったら、私もこんなに頑張って面倒みないかも、と思うわけですが-;。真に、誰に心配されて面倒を見て貰ってるかは全然自覚がないらしいです。でも、薬の件については、次回には私が善処したいと思います-;。

 だいたい、まともに「えらい人」になろうと思ったら、阿弥陀だの薬師だのではないですけれども、人々を助けて、健康を守って救わなきゃならないわけじゃん? と思う。まともにやったら体がいくつあっても足りないし、寝てる暇もないでしょ、「偉くなる」というのは、そういうことで、結局他の人よりも苦労するって、そういうことだと思うわけで-;。「偉い人」の定義が分かっていない人は、本当に困る。人を助ける立場なんだから、自分のことは自分で助けられて当たり前、とかその程度のことしか言われなさそうな気がします-;。

 そして、今日は「少クラ」の録画を夕飯の時に見ていたわけですが、なんだか誰も落ち着いて見ていなくて-;。でも、Snow Manの兄さん達の歌の時だけ、親も黙って見ていて。「うちの歌だと思う」と言ってました。さすがにその兄さん達は、自分達の歌をちゃんと聴かせることができるだけの強力な「目の力」を持ってるなー、と思う。あっちもこっちも敵意だらけの中で、ちょっとだけ心が和みました-;。

 そして、「熊野信仰」関連ですが、古代中国には西王母という女神もいて、彼女は不老不死の薬の持主、とされていました。だから、彼女も人の生死を定めることのできる「生と死の境界の女神」といえます。熊野信仰を中心としたイザナミも「境界の女神」ですので、「皇位の女神が境界神でもある」というのは、中国の女かや西王母の例のように、中国から来た思想なのではないか、と思います。そして、「生と死の境界の女神」は西欧にもいました。例えば、ギリシャ神話のデーメーテール女神は、気にいった子供を不老不死にしようとして、火で燃やしていたところを他人に見られてしまった、という神話を持っています。(おそらく、普通の火ではなくて女神の使う魔法の火だったのでしょう。)また、古代エジプトのイシス女神も亡くなった人を生き返らせる魔力を持っていた女神でした。そう考えると日本の神話の特徴は、イザナミが「境界の女神」であると同時に「黄泉の国の女王」でもある点だと思うのです。西王母や女かは「冥界の女神」ではなく、それぞれに独立した住居を持っていると思われます。デーメーテールやイシスも同様です。彼らの場合「境界(場合によっては、中つ国=人間の世界)」と「冥界」は明確に区別されているといえます。

 日本の神話で、二大母子神話といえるのは、熊野のイザナミ・須佐之男神話と、神宮皇后・応神天皇神話だと思います。両者の共通点は、親神は配偶者と「死に別れている」という点だと思います。おそらく古代の人の概念では、夫婦が「死に別れる」ということも一種の「離婚」という概念だったのだと思います。そうすると、夫婦がそれぞれ「別の世界」に住んでいることが「離婚」とみなされていた、ということになります。イザナギは天界に住み、イザナミは冥界に住んでいました。仲哀天皇は冥界に、神宮皇后は地上に住んでいた、ということにもなります。逆に言うと、イザナミと神宮皇后の共通点は、そのくらいしかないように見えます。一見すると、伝承の上からはイザナミは黄泉の国の住民であり、神宮皇后は普通に生きて活躍して、おそらく年老いて寿命が来たら普通に亡くなったのだろう、と想像される存在です。でも、海の神を祀る住吉大社に神宮皇后も祀られており、海の神も境界神ですから、神宮皇后も境界(この場合は海)を越える神通力を持った「境界の女神」としての性質も持っているわけです。

 そして、古事記には須佐之男は、地上に降りて、ヤマタノオロチを退治した後、「出雲の根之堅洲国にある須賀(すが)の地へ行きそこに留まった」とされています。出雲国は地上に実際に存在する国だから、本来は「中つ国」のはずで、「根の国(冥界)」ではないはずなのですが、何故かここでは出雲の「根之堅洲国」とされて、地上に「根の国」があることにされてしまっているのです。じゃあ、「根之堅洲国」は「中つ国」なのか、「冥界」なのか、ということになりますが、古事記の別の項では、大国主が「根の国」の須佐之男の元を尋ねた、とありますので、須佐之男が住んでいるところなら、「中つ国」の内にあるように見えても、それは「根の国」である、とするしかありません。こうして、「中つ国」と「根の国」が、少なくとも一部分では「同一の存在である」という思想がもう既に古事記において明確に示されることになったわけです。これは、「天の神」と「地上に降りた子神(イエス)」が「同一の存在である」というローマ式の思想に非常に近い概念といえます。ただし、西欧の概念で言えば、冥界神はよく言ってもハーデース・プルートー、悪く言えば悪魔、ということになりますから、日本の神話的に「地上に降りた子神」と「冥界神」が「同一の存在である」と言ってしまうと、「子神は冥界神であり、悪魔とも同じものである」ということになってしまいます。そうすると、地上も冥界、ということになりますから、「天の神」は管轄外になってしまって、人々は浮世の苦楽について、天の神に救いを求めても無駄、ということになります。だって、地上は冥界で天の神の管轄外だから。そこで、人々は冥界に君臨する冥界神にすがって救いを求めることになります。だから、結局、イザナギも冥界に君臨するために冥界に下るし、造化三神も次々と「姿を隠して(=死ぬ)」わけです。要は、日本の神話では偉い天上の神々も次々と死んで冥界に下る(=地上に下る)ことをしているわけで、そうやって冥界神になって人々の上に君臨しているわけです。だから、イザナギとイザナミが、「死に別れる」という以上に、明確に「離婚」しているのは、「同じ世界に住んでも、もう夫婦にはならない」という強い意思の表れともいえると思います。ということは「天孫降臨」なんて仰々しいことを言う前から、死んで地上(冥界)に降りてきた天の偉い神々がいくつもある、ということになりますし、「天孫降臨」も、要は天の神が死んで降りてきた、とそういうことになってしまいます。植物中心の神話で、穀物が天からもたらされたもの、であるとするならば、植物はいったん死んで冥界(地上)に下り、冥界神の魔力で再び冥界で息を吹き替えす、とすればなんだかつじつまが合っている気がします。

 ということで、古事記に端を発して、「地上=冥界」、「地上の神=冥界神」、穀物は一旦死んで、黄泉の国で息を吹き返した新たな植物、という概念が生まれ、穀物を得るための開拓神=冥界神とする下地が造られました。そうすると、イザナミは死んでいる女神だから冥界神です。神宮皇后は地上の神(女王)で、地上と冥界が「同じもの」だから、冥界神なのです。このように見ていくと、イザナミと神宮皇后は、共に境界神であり、冥界神でり、夫とは同じ冥界にいても離婚している女神、ということになるのではないのでしょうか。

21年7月1日

 本日は外作業のみの日でした。母親は土の埋め戻し、土の清掃、意思片付け、土掘り、姉は土の清掃、私は土掘り、土の清掃でした。どうも風呂の北東の基礎の下にかなり大きなコンクリ塊と金属板みたいなもの? が埋まっていて。まだ全貌が分からない上に、金属が錆びているので詳しくは良く分かりません。周辺には細かなビニールゴミもかなり埋まっています。

 そして、最近、買ったものが直後に見当たらなくなったりとか、物が気が付いたらなくなっていたりとか、Amazonから個人情報が漏れて妙なメールが来たりとか、怪奇現象が続いています。阿弥陀如来とか八幡とか須佐之男の祟りでしょうか-;。よほど基礎の下の清掃作業を邪魔したい物とみえます。(後は観音について色々書かれるのが嫌なような・・・。まあ、その他についても嫌なのでしょうがー;。)

 テレビは、昼は「仰天ニュース」とかの録画を見ました。夜は「VS嵐」の録画を見ました。私も毒殺されなように気をつけようと思いました-;。

 で、観音の前に熊野信仰の問題点というか変だと思う点、3つめ。熊野ではイザナミは牟須美(ふすび、むすび、または「結」とも表記)(イザナミ)と現されます。でも、「むすび」と言ったら、本来はイザナミではなく、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かみむすひのかみ) 等をイメージすると思います。公式には高御産巣日神は天で男性の象徴、神産巣日神は地で女性の象徴とされているようですが、個人的にはどちらも女性だと思います。何故なら、高御産巣日神は高木神とも言われ、木の象徴の神ともされています。木というのは、天と地の間にあって両者を繋ぐ存在です。一方、熊野信仰は母子神信仰(母と3人の子神)ですが、そもそも地上そのものは冥界ではなく、北欧神話的な言い方をすれば、天と地の間にある「中つ国(中間の国)」です。古事記でも「葦原中国」とされています。熊野は「中つ国」であっても、イザナミの居る場所、とされているわけですから、天と地の「境界」に当たる部分もイザナミの領分であると考えざるを得ません。例えば、黄泉平坂があるとされる出雲の揖夜神社(いやじんじゃ)の主祭神もイザナミです。境界も女神であるのなら、木の神も境界神で女神といえると思うのです。ということで、造化三神は天之御中主神が男性で、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かみむすひのかみ)が女神だと思うのです。別に古代の神々ですし、一夫一妻でいる必要性はないと思います。そして、「ムスヒ」の神が女神で、イザナミであるのなら、天之御中主神はイザナギといえると思います。なんで、イザナギ・イザナミと造化三神が元々同じものであったのに、2つに分けたのかといえば、アマテラスの子孫とされる人々と、須佐之男の子孫とされる人々とは別の形で「イザナギ・イザナミの子孫」を作り出したかったからだと思います。生国魂神の子孫の信濃国造家のように。で、造化三神はイザナギ・イザナミよりも格上の神々ですから、当然、造化三神の子孫の方が、アマテラス・須佐之男の子孫よりも格上であり、アマテラスと須佐之男の子孫を管理する権利がある、造化三神が計画した通りに、とそういうことなのではないでしょうか。イザナギとイザナミの計画って? それは一日に1500人産み出して、1000人殺すっていう計画のことなのではないでしょうか? 誰を殺して、誰を生かすのか、造化三神はそれを計画して、子孫にそれを人々に伝えさせる。それを受けて、生かしたり殺したりするのがアマテラスと須佐之男の仕事である。彼らはそれを境界(病院)で行う。それを指図するイザナギこそが薬師如来である、というのが熊野信仰なのではないでしょうか。部下であるアマテラスや須佐之男が医師や薬師であれば、親玉のイザナギは医師免許がなくても薬師如来たれる、とそういうことなのだと思います。それが熊野信仰なのではないか、と思います。アマテラスは境界神であり冥界神として、観音菩薩と習合させられており、プチイザナミみたいな存在に変えられています。

 だから、アマテラスにも須佐之男にもなれず、協力もする気がない者は医者になって貰っては困るわけだ。特に近親は、アマテラスも須佐之男の名も取らずに、医師免許を持ったらいきなりイザナギと薬師如来の地位を取りに来る可能性がある。要するに、それこそ、明確な「謀反」である。

 ま、それはともかく、善光寺界隈では秋祭りは熊野神社から始まるとのことです。熊野の須佐之男とアマテラスが、その年の収穫を決める。そして、父なる阿弥陀如来(=本田善光=信濃国造)の計画の通りに、誰を生かして、誰を殺すのかを決める。何故なら、時代が古くなればなるほど、秋の収穫の出来不出来で生き残れる人々は決まるからです。というか、そんな感じ? と個人的には思うわけです。だって、松本の四柱神社には「アマテラスは造化三神の決めたことを現世で実行する神」だっていう感じにあったような??

 ということで、祖神で有り開拓神でもあったはずの出早雄命をクルス神とか須佐之男と習合させて、むしろ信濃国造の計画に沿って、人々を管理して生かしたり殺したりする神に変えてしまったことも、父なる阿弥陀如来(=本田善光=信濃国造)の計画? それとも、人々の運命を定める八卦の神である伏羲(ふっき)の計画? と思うわけです。伏羲とは中国の神サマで、八卦という占いを発明した神サマ、と言われています。でも、占いなんて占う側の人が好きなこと言えばいいんじゃん? と思う。要は、好きなことを言って他人の運命を決めてくれる神サマが伏羲です。そして、伏羲は雷神の生殺与奪の権利を持っている神でもあって、雷神の命を助けたことがある、とされています。要は伏羲の方が各種雷神よりも偉いわけです。恩があるわけだから。そして、伏羲は「大洪水が起きたときに伏羲と妹の二人だけが生き延び、それが人類の始祖となったという伝説」の持主でもあります。彼はヒョウタンの舟に乗って助かった、と言われています。洪水始祖神話は、世界各地に拡がって、有名な「ノアの箱船」も類話と言えます。(ちなみにノアの箱船も帆のない空舟でしたー;。)そして、ヒョウタンが伏羲の「象徴」といえます。

 ちなみに、朝鮮の歴史書である「三国史記」という書物は日本でいうと、平安時代末期に書かれた本であって、それによると新羅建国には瓠公(ここう)という倭人が大きく関わっており、瓠公は腰にひょうたんを下げてやっていた、と書かれているそうです。瓠とはヒョウタンのことです。

 また、大分の柴山八幡社という神社では霜月に「ひょうたん祭り」というものを800年前からやっていたそうです。(三国史記が書かれた時から100年後くらい)これはお祭の時に騎馬行列が練り歩くわけですが、その先頭に「ひょうたん様」という、頭に80cmの長さのひょうたんをつけた人が立つのだそうです。八幡のお祭ですから、ひょうたん様が八幡神の化身でもあるのか? と思うと

ひょうたん様 = 八幡 = 八卦の伏羲

を暗喩しているようにも受け取れます。しかも、三国史記の記述を見れば、ひょうたん(伏羲)に関わる氏族は、日本に渡っていって、倭人となった、とも受け取れる気がします。伏羲が占い師ということは、シャーマンでもある、ということだと思います。神の声を聞くというシャーマンは倭国に渡ってきて、何者になったのでしょうか? と思う。

 そして、伏羲の妹は女か(じょか)という下半身が蛇の女神なのですが。この女神には、天と地の間にあって、天地の結合がずれたときにそれを修復した、という神話があります。だから、女かもイザナミ、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)と同じく「天と地の境界の女神」でもあるのです。だから、イザナミのイメージは女かと重なります。そうすると、一日に何人生かすのかを決めるイザナギとは、占いで人の生死を定める伏羲でもある、といえるのではないでしょうか。

 ということで、中国大陸を発した伏羲と女かの子孫は、長い旅の果てに、新羅や倭国を行ったり来たりして、イザナギ(八幡=阿弥陀=善光)・イザナミ(弥生御前)として、どっかに腰を据えたのだと想像します。まあ、それはともかく、我が家はひょうたんなんぞを家に入れて、ひょうたんのささやく言葉を聞いてはいけないわけです。何故なら、それが「伏羲」だから。

21年6月30日

本日はお出かけする日だったので、ゴミ捨て、買物、お手紙出し等をして。ちょっとアクシデントもありました。なんだか、人が多く出ていて、敵意も強いように感じました-;。

テレビは、昼は「ニノさん家」の録画を見ました。

善光寺平以外の信濃国の神々や神社の分布をざっくり書いておきたいと思います。出早雄命は外県(伊那)、内県(諏訪)、大県(佐久)を開拓したらしいです。内県(諏訪)は諏訪信仰の総本山ともいうべきところで、上社、下社併せて四社からなる諏訪大社がありますから、単純に

諏訪神 ー 八坂刀売

の王国ともいえます。出早雄命は諏訪神の後継者扱いなのかもしれませんけれども、少なくとも本殿に両親と共に祀られている、ということはありません。諏訪大社から見れば摂社の神サマです。

「大県」の内に現在の上田まで含めるのかどうか、地理に疎い私には良く分からないのですが、上田・佐久を含めても出早雄命を祀る神社はそうは多くないようです。現在では、諏訪系の神社はやはり有名な

諏訪神 ー 八坂刀売

の組みあわせで祀られることが多い気がします。そして、そこに事代主が加わるようです。上田には、建五百建命の墓と言われている二子神社(前方後円墳)があり、それを奉斎するために大星神社が建てられた、と言われています。二子神社は将軍塚古墳よりも新しいものだそうですので、伝承の全てを鵜呑みにすることはできませんが、上田よりも更に碓氷峠に近い佐久は「咲く」とか「開く」という意味の地名だそうですので、少なくとも古代において、碓氷峠を越えて長野県にやってきた勢力があり、その勢力は千曲川沿いに展開して、上田から長野方面へと拡がったと思われます。二子神社は小規模でも前方後円墳とあるからには、この「千曲勢力」の首長の墓であり、それをわざわざ「建五百建命の墓」と述べるのであれば、この「千曲勢力」とは後に信濃国造となる金刺氏のことと思われます。北信では建五百建命は彦神別神あるいは諏訪神と「同じ神」のように姿を変えていたように思いますが、東信では出早雄命あるいは諏訪神と「同じ神」のように姿を変えていたのではないでしょうか。北信では彦神別神の名はある程度残されましたが、東信では出早雄命は中世以降、次第に熊野信仰にとって代わられていった、という印象を受けます。そして、その仕上げとして、かつては善光寺境内内に熊野神社があったようです。熊野には熊野で独特な「三位一体」があるわけです。それは

イザナギ(父) ー イザナミ(母) ー 須佐之男(子)

と一般に考えられています。

紀州熊野三山に対する「信仰」で、文献的に一番早く、そして一番重要なのは「イザナミが死んだとき熊野の有馬村に葬られた」という記述だと思います。「亡くなったイザナミがいるところ」=「黄泉の国」ということで、後に仏教の浄土信仰と習合すると、「熊野」=「黄泉の国」=「浄土」ということで、熊野は修験道を中心とした霊場としても扱われるようになりました。熊野の「子神」が須佐之男であるのは、須佐之男が根の国(黄泉の国)の母親の元に行った「黄泉の国」の王であるからだと思います。熊野の神々は正式には

熊野速玉男神(くまのはやたまおのかみ)(イザナギ・父・薬師如来) ー 熊野牟須美神(くまのむすみのかみ)(イザナミ・母・千手観音) ー 家都御子神(けつみこのかみ)(須佐之男・子・阿弥陀如来)

とされており、正式に家都御子神=須佐之男とみなされるようになったのは江戸時代以降のようですが、少なくとも熊野の神々とイザナミとの同一視は古くからあったものと思われます。熊野信仰の問題点はいくつかあるわけですが、個人的に気になることは3つくらいあります。

1つは、熊野速玉男神が本当にイザナギで良いのか、ということです。「『古事記』や『日本書紀』本文では、伊邪那岐神は慌てて逃げ帰ったと記されているが、 一書には、穏やかに「もう縁を切りましょう」と言い、「お前には負けないつもりだ」と言って唾を吐いた。 その唾から生まれた神が速玉男命。次に掃きはらって生まれた神が泉津事解之男。(玄松子)」とあるように、速玉男命はイザナギの唾であって、イザナギの子神といえます。また、熊野には泉津事解之男も祀られていますから、熊野の神々は

速玉(子) ー イザナミ(母) ー 事解之男(子)

となって、これはむしろ「離婚の神々」ではないのか、と思うわけです。そこに須佐之男が後から加わると

イザナミ(母)+離婚神 ー 須佐之男(子)

となって、これはいわゆる母子神信仰というか、神宮皇后と八幡神の組みあわせみたいに見えるわけです。神宮皇后も夫と死に別れているわけですから、「夫と別れた女神」ということで、熊野のイザナミを彷彿とさせます。だから、速玉をイザナギと解釈するのは、本当に妥当なの? と思う。だから熊野信仰というのは、本当は

須佐之男=八幡神

を暗喩しているのではないか、と思うわけです。どちらも「夫と別れた母親」から生まれた存在であり、母親べったりの神々だからです。そうすると、熊野信仰も神宮皇后・八幡神もイシス・ホルス型の母神信仰の上に成り立っており、なんだか聖母マリアとイエス・キリストというものを暗示させる気がします。信濃国と善光寺界隈の信仰から見ると、東信の場合、出早雄命信仰が熊野信仰に置き換わる、ということは

出早雄命 = 家都御子神(けつみこのかみ)(須佐之男)

と習合させよう、との意図が感じられる気がします。ということは、八坂刀売・出早雄命の母子神信仰も成立し得るのか? ということも暗示されることとなると思います。熊野信仰が

須佐之男 = 八幡神

を暗喩しているとすると、その一方、信濃国では

彦神別神 = 八幡神(北信)
出早雄命 = 熊野・須佐之男(東信)
久留須命 = 出早雄命 = 須佐之男(東御市)

という構図が作りあげられたように思います。実態の乏しい 彦神別神 = 出早雄命 としてしまうと、本当に

須佐之男 = 八幡神 = クルス神

となってしまうわけです-;。というか、そのように作りあげようという動きが、信濃国造家の影響の強い地域であった、ということが重要だと思うわけです。ちなみに、縣諏訪神社については、「当社は「するすの宮」とも呼ばれており、この「するす」は「くるす」が訛ったものらしい。ということで、久留須命を祭神に加える伝承もあるのだろう。また、鎮座地名の字が伊豆宮というので、「伊豆宮」とも呼ばれていたのだろうか。」と玄松子さんのサイトにあり、すごいな、と思う。「伊豆宮」と言ったら、本来の祭神は出早雄命であったと思うしかないわけで、それが「クルス神」でもあった、ということらしいです。中世以後、神々のこのような作り替えや習合が進められたのでした。主導したのは、信濃国造家関係者だったのでしょうか? そして、須佐之男が黄泉の国の神である以上、出早雄命は本来は開拓神であり、祖神であったはずが、出早雄命まで「黄泉の国の神」になってしまい、出早雄命のいるところが「黄泉の国」と、そうなるように作り替えられてしまったのです。

2つ目は、熊野三山には天照大神が祀られている、ということで、黄泉の国に天照大神がいていいの? と純粋に思います。でも、平安中期から末期にかけて、天皇家の熊野詣でが盛んに行われますので、少なくとも天照大神の子孫と呼ばれる人達は、このことを容認していたのだと思います。しかも、熊野信仰では天照大神が十一面観音とされています。観音もまた冥界神なのに、天照大神が冥界神でいいんですか? と思います。