本日の外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土掘り、土の清掃でした。昨日もだいたい同じでした。
で、また、どっぷり「オカルト」な話-;。
前回(7月15日)松本に行った後、なんだかまだ行かなければいけないところがある気がして。で、色々とぐぐって川添いの神社を調べてみました。そうして、阿禮神社、建部神社、沙田神社とか見つけたわけです。特に沙田神社は祭神が諏訪系でないのに、御柱祭がある、ので不思議だ、ということで有名な神社らしくて。祭神は、「彦火火見尊(山幸彦)、豊玉姫命(山幸彦の妻のワニ女神)、沙土煮命(スイジニノミコト、砂や土の神格化で女神であるらしい)。そして、参道が奈良井川(松本城)の方向を向いていて、信濃国三の宮であるそうです。で、子安社なんかもあって「産の宮」とも言われているそうです。神紋が小笠原の三階菱なので、守護をはじめとして、代々の松本城主の崇敬を受けた神社だそうです。で、奥社が元々松本市波田鷺沢という山の上にあって、それを天智天皇の時代に今の場所に移したらしいです。ということで「波田から流れ出る梓川の水霊を祀ることに始まったと見られる神社(wikipediaより)」だそうです。「現在の本社は梓川の水を引き入れた古代条里的遺構の上にあり」、薙鎌なんかも出土しているそうですから、元々は安曇族と諏訪系の人々が共同で建てた神社で、だからこそ御柱をやっていると思われるのですが、なんでそれが山幸彦と豊玉姫に置き換わったのか? と思うわけです。小笠原氏は源氏ですから、神武天皇の祖父母に当たる山幸彦と豊玉姫は祖神といえば祖神といえますが、でも一般的に源氏が好きなのは八幡神とかじゃん?? と思う。小笠原と組んでいた下社からみても、山幸彦と豊玉姫は一見してそれほど縁が近い神とはいえない気がします。
でもって、「オカルト」な話。どうも、山幸彦というのは、いったん海に入る(=死ぬ)わけだから、死んだ神です。で、豊玉姫は「常世の国(=黄泉の国)」の住人だから死んだ神です。要するに、「死んだ神」の夫婦から死んだ神々が生まれる。で、それを川に流してる。渚大明神に先に行かれてしまったので、今まで流してたモノが渚でせき止められて流れなくなって島立に吹きだまってしまって困ってるので、「早急になんとかしてくれ」と言われる気がするわけで@@。え? じゃあ、神武天皇って「プリンス オブ 死人」とか、そういう意味? というか、そういう位置づけ? そのための神話?? と思ったわけですが。ともかく、しばらく松本方面に行く気はなかったわけです。でも、要請がある気がするので、行く気になって。で、ついでに、義仲関連の怨霊もなんとかしてこよう、というのが今回の目的だったわけです。
で、最初は阿禮神社から。これは奥社が塩嶺峠にあり、更にその奥に古い鎮座があるそうです。社殿では「素盞嗚命が出雲国簸川上の大蛇を平げて後、科野国塩川上の荒彦山に化現し、悪鬼を討ち平げたという。その大稜威を尊び仰ぎ奉ったのが当社の起源。荒彦山は、今の東山にある五百砥山(五百渡山)であるという。(玄松子さん)」だそうで、阿禮というのは「ムラ」のことだそうです。
「阿禮」とは賀茂関連では「神や貴人がこの世に生まれ出ること。ご誕生。ご降臨。」という意味がありますので、むしろ「ムラ」というよりは「ご降臨」を意味して、「スサノオが降臨した地」という意味なのではないか、と思います。「五百砥山」という言葉は建五百建命を連想させ、古くは建五百建命が降臨した山が五百砥山である、という由来があったのではないか、と想像します。かつては中山道に面した大きな神社だったのではないか、と思います。