21年7月26日

 本日の外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土の清掃でした。

 で、今日は今日でお出かけなので、ちょこっとあちこち回る。というか、義仲の息子が開基したと言われる称名寺、と九頭竜大権現をお参りする。でもって、今日はプチオカルトというよりは、(たぶん)飯綱使いとの勝負? という感じであって。まあ、どことは言いませんけれども、「断りもなく勝手にお参りに来るのは失礼だ」みたいに絡まれたわけです。だけど、普通寺社は、誰がお参りに来るものかわからない、氏子とか檀家とか縁の深い人が行くこともあれば、ものすごーーくうっすい縁をたどって1回しか来ない人だっているかもしれない。なのに、お参りしたかったらいちいち管理人連絡して住所氏名連絡先を述べて許可していただかないといけない寺社なんてあるの? そういうところは普通、「一般の拝観は受け付けていません」とか「禁足地につき立ち入り禁止」とかって書かれて入り口が閉じられているし、HPとかでも告知しとくもんじゃないの? と思う。でも、別にお参りしに行っているのであって、喧嘩しに行っているのではないので、「まあ、失礼な人間ですみません~。お参りさせていいですか?」という感じで、とっととお参りしてくる。・・・でも、これって「相手に、「自分が悪い」と思わせて嫌がらせする常套手段ですよねえ?」と思う。要はあとになって、自分の悪口を書かれないためのいやがらせ手法というか。そうしたら、「それも飯綱の呪法の一つでしょ。長野市は飯綱の呪法のメッカでしょうが。」と言われる気がするわけで@@。それで市内が一番こうるさいのかー、と思う。私も、在家の飯綱の行者の一番下っ端の資格を持っているらしいし?? 信濃国の各地の霊山で修行?してきたから、ちょっとやそっとじゃ負けないわー、と思う-;。

 で、あとはオカルト。先に、ちょっと自分では知らなくて、四国の霊場関連と結縁していて。だいたいその時に「四国が食われた!」ってなんか言われる気がするわけですし、「四国から送られてきた霊関連を全部一度に処理するのは荷が重いので、取り憑いてきちゃったものをどっかで処理しないといけないねえ。」とは言われてた気がするわけですが-;。御嶽も巨大な霊場ですが、四国も全体が巨大な霊場といえる。そういうものをいちいち私にどうしろと? と思うわけですが-;。ともかく、どっかを参拝したら「四国の怨霊をうちにおいていくんじゃないー。」となんだか後で言われる気がしてならないわけで(汗)。私、無意識になんかした? というか、私も遠隔操作? されてる身なので-;。怨霊の倍返しの呪い返しとか得意な人もいるし?? ということで。その後、別のところから、「そこからうちに来て、霊道を開いてくれれば、後はこっちで預かるから。というか、結局うちで預かることになるのねー;。」と言っていただいた気がするわけで-;。私も神社をちょこちょこと巡るプチオカルトな旅、が専門なので-;。それ以外のことは苦手です-;。

 そして、後は「麻まみれ」な信濃国を思う。そして、世界的な「大麻」の歴史とか調べてみたわけですが。大麻というのは、「ハシシ」と言って、中近東とかインドとかでむしろ中心的に使われてきたものであるらしいです。古代ギリシャとかローマでもある程度は使用してたらしいですが、少なくともその後ヨーロッパにおおっぴらに広まった形跡はなく、ヨーロッパではむしろローマ式がさかんに力を入れてブドウ畑を作ったので、精神に作用するモノはワインが盛んだった気がするわけで。兄さん達には「古代世界に広く普及していた大麻が、ヨーロッパで一時的に陰を潜めたことは、キリスト教と関係しない、とは思わないように。」と言われる気がするわけで。キリスト教が広まらなかったところではハシシは広く普及してるわけだ。要するに誰も何も言わなくてもイエスは祭祀に使う麻薬が人々の精神を荒廃させることを知っていて、それを止めようとしたのが「キリスト教」ということ? と思う。そうすれば、神官に高い金を払って薬物を手に入れる必要性もなくなるし? って、あれ? これって「宗教」の話? それとも「アンタッチャブル」な話? と思う。

 祭祀に薬物を使いたい人達と、使わせたくない人達がいたら、両者の対立は文字通り「死闘」になるよね? だって「使いたい人達」は、それを使って金儲けしたり、人々を支配したいから使いたいのであって、それを邪魔されることは、権力を失うことにつながる。なんで、信濃国って麻だらけなの? 信濃国造家ってマリファナカルテルの元締めだったの? アル・カポネとエリオット・ネスの対決、ならぬ「アル・カモネギ?」と「イエス・キリスト」との対決ってそういうこと?? と思う@@。なんだ、この古代史は? と思う。そして、信濃国造は義仲をマリファナと酒漬けで育てた? それで思い通りにあやっつてた? と思う。なんだ、この中世史は? と思う。そして、あるところに、自分の総本家と全然付き合ってないし、子供達にもどこが総本家なのか教えなかったじいさんがいたと思いねえ。じいさんがそれを知らなかったはずはない。だって、総本家って隣の家だしさあ? となる。なんで、そんなことした。じいさんは戦前、麻商人をやってた。子供達に親戚関係を隠す代わりに、商売を始める資金と、つてとコネを手に入れた? 誰に口をきいてもらった?? そういうことを家族に一切言うなと口止めされてた? と初めて思った。で、なんだこの現代史は? と思う。なんで家族に隠すの? どっかから「イエス・キリストがわいてくるかもしんないから?」ということで-;。なんだか、トリプル・パンチの妄想で2日くらい日記を書く元気が出なかったわけですが。またちょっと復活しました<(_ _)>。

 で、ワニの女神に関連して。古代豪族に和珥氏(ワニシ)という人達がいるわけです。彼らから「春日」という氏族が出ているらしいです。系図を見る限り、色々と考察するに、葛城・賀茂氏の同族な気がするわけですが。こういう名前の人にも複数いろんな知り合いがいるかもー、と思うわけで。世の中、色々とありそうです。

21年7月25日

 本日の外作業は、母親は土の埋め戻し、土の清掃等、姉は土の清掃、石片付け等、私は土掘り、土の清掃でした。昨日もだいたい同じでした。

 で、また、どっぷり「オカルト」な話-;。

 前回(7月15日)松本に行った後、なんだかまだ行かなければいけないところがある気がして。で、色々とぐぐって川添いの神社を調べてみました。そうして、阿禮神社、建部神社、沙田神社とか見つけたわけです。特に沙田神社は祭神が諏訪系でないのに、御柱祭がある、ので不思議だ、ということで有名な神社らしくて。祭神は、「彦火火見尊(山幸彦)、豊玉姫命(山幸彦の妻のワニ女神)、沙土煮命(スイジニノミコト、砂や土の神格化で女神であるらしい)。そして、参道が奈良井川(松本城)の方向を向いていて、信濃国三の宮であるそうです。で、子安社なんかもあって「産の宮」とも言われているそうです。神紋が小笠原の三階菱なので、守護をはじめとして、代々の松本城主の崇敬を受けた神社だそうです。で、奥社が元々松本市波田鷺沢という山の上にあって、それを天智天皇の時代に今の場所に移したらしいです。ということで「波田から流れ出る梓川の水霊を祀ることに始まったと見られる神社(wikipediaより)」だそうです。「現在の本社は梓川の水を引き入れた古代条里的遺構の上にあり」、薙鎌なんかも出土しているそうですから、元々は安曇族と諏訪系の人々が共同で建てた神社で、だからこそ御柱をやっていると思われるのですが、なんでそれが山幸彦と豊玉姫に置き換わったのか? と思うわけです。小笠原氏は源氏ですから、神武天皇の祖父母に当たる山幸彦と豊玉姫は祖神といえば祖神といえますが、でも一般的に源氏が好きなのは八幡神とかじゃん?? と思う。小笠原と組んでいた下社からみても、山幸彦と豊玉姫は一見してそれほど縁が近い神とはいえない気がします。

 でもって、「オカルト」な話。どうも、山幸彦というのは、いったん海に入る(=死ぬ)わけだから、死んだ神です。で、豊玉姫は「常世の国(=黄泉の国)」の住人だから死んだ神です。要するに、「死んだ神」の夫婦から死んだ神々が生まれる。で、それを川に流してる。渚大明神に先に行かれてしまったので、今まで流してたモノが渚でせき止められて流れなくなって島立に吹きだまってしまって困ってるので、「早急になんとかしてくれ」と言われる気がするわけで@@。え? じゃあ、神武天皇って「プリンス オブ 死人」とか、そういう意味? というか、そういう位置づけ? そのための神話?? と思ったわけですが。ともかく、しばらく松本方面に行く気はなかったわけです。でも、要請がある気がするので、行く気になって。で、ついでに、義仲関連の怨霊もなんとかしてこよう、というのが今回の目的だったわけです。

 で、最初は阿禮神社から。これは奥社が塩嶺峠にあり、更にその奥に古い鎮座があるそうです。社殿では「素盞嗚命が出雲国簸川上の大蛇を平げて後、科野国塩川上の荒彦山に化現し、悪鬼を討ち平げたという。その大稜威を尊び仰ぎ奉ったのが当社の起源。荒彦山は、今の東山にある五百砥山(五百渡山)であるという。(玄松子さん)」だそうで、阿禮というのは「ムラ」のことだそうです。

 「阿禮」とは賀茂関連では「神や貴人がこの世に生まれ出ること。ご誕生。ご降臨。」という意味がありますので、むしろ「ムラ」というよりは「ご降臨」を意味して、「スサノオが降臨した地」という意味なのではないか、と思います。「五百砥山」という言葉は建五百建命を連想させ、古くは建五百建命が降臨した山が五百砥山である、という由来があったのではないか、と想像します。かつては中山道に面した大きな神社だったのではないか、と思います。