21年7月9日

 昨日は突発的に「ドサ回り」の天啓を受けたので、お出かけしました。だいたい、その前の日に消防車が大騒ぎして出たり、ジャにのちゃんねるが更新されたり、アナーヒタ女神とは沼川姫であり、九頭竜のこと、とか言われた時点でちょっと何か変化を感じていたわけで。で、水曜日にたまたま「朝陽」という所にお出かけして買物をしたときに、偶然神社を見付けたわけです。でも、あんまり余計なところには立ち寄りたくないので、家に帰って調べてみよう、と思って。そうしたら、消防車が大騒ぎする、で、神社を調べてみたら、「槻井泉神社(つきいずみじんじゃ)」ということが分かったわけで。槻(けやき)がご神木だけれども、意味としては「泉に依り付く神の神社」というように見えるわけで。で、生井神、大国主、諏訪神と、わりとメジャーな神サマが主祭神であって。境内に葉が3本纏まっている珍しい松が植えてある、とのことで。これは高野山金剛峰寺の「三鈷の松」と同じ種類の松ということで。で、更に調べていくと、松本と塩尻にも同じ名前の神社があるらしくて。塩尻の方は、八幡神が主に祀ってあって。で、「槻井泉神」とは、諏訪の葛井神社(古くは九頭井神社)の主祭神でもあって。そこにも、立派なケヤキの木があったなあ? と思う。というか、槻井泉神って「泉(湧き水)」に特化した「九頭竜」のこと? と思う。そういえば、葛井神社は池に物を投げこむと、それが遠州の池に浮かぶ、という伝承があって。それは、泉が川(この場合は天竜川)と繋がっていて、天竜川の水脈に乗って、遠州まで繋がっている、とそういうこと? 全部「九頭竜」だから? と思う。ということは、「天竜川」の「天竜」も九頭竜のことなんじゃん? と思う。

 それはともかく、裾花川・犀川流域の「竜神」と言ったら、開拓神でもあり、九頭竜女神の一形態ともいえるのは「犀竜」である。長野市の槻井泉神社には今は井戸も泉もないわけです。伝承はいくつかあるようですが、「いい伝えによると、数百日という長期間旱ばつの折り、生井大神の児女が教えるまま社地に生えている槻の大木の根本を掘ると、きれいな冷水が突然わき出し、またその辺り六か所からも清水がわき出したということです。(https://eiennouso.exblog.jp/14120318/)」という伝承が祭神である生井神とも関連付けられていて興味深いと思います。槻井泉神社のすぐ近くに六ヶ郷用水が流れているので、伝承は若干「六ヶ郷用水」の起源に寄せている気がします。でも、用水があれば干ばつのときに泉は必要ありませんから、「霊的な泉が湧いた」という伝承は用水ができる前、平安初期以前まで遡るわけで、一番最初は九頭竜女神の泉であった、としても不思議ではないと思います。そこに諏訪信仰と生井神がやっていたわけで、この場合の生井神は生玉神と同じで、須々岐水神社の構成と同じだと思います。で、神社の名前は元は、「金峰山社」といったらしいです。これは要するに吉野山の蔵王権現のことである。蔵王権現だから、大国主が祀ってあるんだなあ、と思います。でも、蔵王信仰を覗わせる社伝がないわけだ。(蔵王信仰そのものは釈迦、十一面観音、弥勒菩薩をローマ式に三位一体にしたミトラス教あるいはローマ教会崩れだと思うわけですが。)そして、異界との境界であり、主役であるはずの泉もすでになく、代わりに空海上人が「聖と俗の境界の松」とした松が代わりに植えられているわけで。要は、その松が「境界の泉」の形代ですねえ? と思う。そして、地名は朝陽、井戸の神でも特別に井戸を生かす生井神が祀られている、ということで。「陽」というものを感じる神社だし、聖なる松が邪気を祓ってる気がするわけで。九頭竜女神の聖なる泉が変遷した姿としては美しいと思う。

 そして、高野山では「現在では参詣者の方々が、縁起物として松の葉の落ち葉を持ち帰り、お守りとして大切にされています。(https://www.koyasan.or.jp/meguru/sights.html)」とのことであって。要は人々を守って浄土へと誘ってくれる松の落ち葉といえる。要は、この松が空海上人が定めたフレイザーの言うところの「金枝」なのだなあ、と思うわけです。金枝を持つ者は生きたまま黄泉の国へ行って、帰ってこれるという。ということで、高野山の参詣者に倣って、松の落ち葉を数本頂くことにして。そして、ちょこっと旅に出たわけです。いわゆる「黄泉の国」へ。

 で、最新の結果としては、帰って来てから、某町史をひもといて、神社の祭神を再度調べるように、と言われる気がするわけで。要は、信州新町ってカグツチを祀っている神社が多いわけです。そりゃ、山火事とか怖いけどさあ? なんでカグツチばっかり? と思う。そうしたら、イザナミは「黄泉の国のアマテラス(キュベレー)」も同然だけれども、カグツチを生んで亡くなって、黄泉の国で多くの雷神を生んだのだから、黄泉の雷神の父親は、イザナギではなくてカグツチなんじゃないの? と言われる気がするわけで@@。しかも、カグツチは剣の神である建御雷神の父親の火の神なんだから、鍛冶神だよね? と言われる気がするわけで@@。ということは、あの田舎サマでは、

カグツチ、アマテラス(黄泉のアマテラス)、建御雷神

が三位一体で、カグツチを先祖だって言ってる連中が威張ってるってこと? と思う@@。中国では鉄の武器の発明者は伏羲、青銅の武器の発明者は蚩尤と言われている。要するに、「武器を作って売って、人を殺せ」という神サマと、その子孫ってことですかねえ? 要するに、そうやって大騒ぎするのが饕餮の役目ってこと? と思う。この三神は西欧風にいえば

プタハ(プルートー) セクメト ネフェルトゥム

とか

ハーデース ペルセポネー ディオニューソス

に近い三位一体ですよねえ? と思う。他人を殺して略奪し、支配せよ、という神サマの一家ですか? よくよくろくでもない方の落ち着くべき所に落ち着いてないかい? と思う-;。中国式には

伏羲 女か 蚩尤(饕餮)

とでも言うべき三位一体な気がするわけで。カグツチを祖神と言うの? でも、ローマ式にはカグツチはイザナギと同じものですよねえ? と思う。武器を牛耳って、「次にどこそこの誰を殺せ」と占うのがシャーマンの役目で、それが伏羲でありカグツチであり、イザナギでもあるの? と思う。ということで、雷神は武器を与えられて、「殺す」のが仕事なの? となる。西欧の人々が崇めていた「雷神」の「主神」は、その上からは、下っ端の鉄砲玉扱いでしかないの? と思う。

 というわけで、ちょっと調べ物をしていたら、中国にシーマオ遺跡という4000年前の遺跡があることを知る。黄河流域にあって、巨大な城塞都市の遺構であるという。殷に先立つこと500年も古い遺跡であって、古い部分は紀元前2300年くらいであるらしい。で、遺跡からはヒスイが出て来る、ということで太陽信仰があったことがうかがえる。それから、都市の基礎に若い娘の頭骨がたくさん埋まっていたということで、生贄があったことが示唆されている。しかも、日本の「早乙女」ではないけれども、若い娘を狙い撃ちする文化がすでに出現していることも分かる。それに女子を狙い撃ちしているということは、男尊女卑の出現でもある。そして、都市の壁には、おなじみの「首だけの饕餮」がすでに刻まれていて、軽く衝撃を受ける。饕餮は、4300年も前から、太陽神(伏羲)の言いなりになって、「殺せ」と叫ばされ続けてきたの? と思う。

 どうも、私が思うに、その人々は、良渚文化が衰退して王の地位を失った後は、特定の国の王になる、というよりは「神官」的な地位について、「正しい祭祀を教える」という点と「武器の供給」と「おクスリの供給」という三位一体の総合商社を展開して、「征服と支配」に励んできたのではあるまいか。祭祀の内には当然「穀物の豊穣」とかも入るわけで。独裁制を煽るのは、操る人間が少なくて済むからだと思う。

 ということで、おとといは杉の木の兄さんのお誕生日だったのでした。おめでとうございます<(_ _)>。

 それから、ペットのPちゃんに、「金枝の松」のことをさして「真言の真の呪法はすっきりしていて美しくてわかりやすいでしょう?」と言われる気がするわけで。なんだか、あの松のことはPちゃんがよく知っている気がします。