本日は午前中出かける用事があって。午後は外作業をしました。母親は土の埋め戻し、姉は土の清掃、石片付け、私は土の清掃、石片付けでした。昨日もほぼ同じ作業でしたが、昨日は忙しくて日記を書いている暇がありませんでした。その代わり、今日は夏至の定例のお手紙を出すことができました。
ところで、神話の話です。日本の神話は多神が登場して、親子兄弟がいることが多いので、一神教の神話と異なり、神話を形成する際に親子兄弟を再現なく増やせる、といえます。
諏訪神(父) ー 彦神別神(子)
の関係にありますが、
大国主(父) ー 諏訪神(子)
という関係もあります。諏訪神は建御雷神に負けてしまいましたから、建御雷神をユーピテルとすると、それよりも格下の支配されている神、となってしまいます。父とされる大国主も建御雷神に国譲りしましたから、やはり建御雷神よりも格下の「支配されている神」となっています。ということは、いわゆる「出雲系」と呼ばれる神々の多くは「支配されている神」であり、その信者というか、日本的にはその子孫とされている人々も、自動的に建御雷神にあれこれ譲らなければならない「支配されている人々」となってしまっているといえます。むしろ、神話とはそのようにする目的のために作られた、とすらいえるのではないでしょうか?
また、その一方で建御雷神=ユーピテルとしても、その地位はローマでのように「主神」というわけではありません。建御雷神は建御雷神で
イザナギ(父) ー カグツチ(子) ー 建御雷神(孫)
という関係にあり、直の親であるカグツチはイザナギに殺されていますから、イザナギの支配下にある子神といえます。また、イザナギの上にも、直接の血縁とは言えませんが、造化三神とかがいて、それぞれがギリシャやローマの神話のように、父と息子が対立する構図はありませんから、つきつめていくと、「誰が真の主神なのかがはっきりしない」のが日本の神話といえます。ギリシャのゼウス、ローマのユーピテルには、それぞれ「父」はいますが、父と戦って父親を追放してしまっているので、ゼウスやユーピテルが名実ともに主神といえます。表面上は。
ということで、「天は人の上に人を作らず」という言葉がありますが、「人は神の上に神を作る」ということで、既存の各地の神話を寄せ集めながら、各地の主神の上に、更にその上に位置する神々を追加していったのが、日本の神話、という気がしてなりません。そして、6世紀にはそこに仏教が入ってきました。仏教の薬師如来=キリスト教のイエス、弥勒菩薩=ミトラス教のミトラス、だとすると、そもそも仏教に入り込んだ時点で、これらの神々は「主神」ではなくなっています。で、最初に入ってきた仏像は釈迦如来、それから阿弥陀如来、みたいに言われていて、善光寺如来も阿弥陀如来として信仰されてきました。神仏習合が盛んな時代には、阿弥陀如来は八幡神と同一視されていましたから、阿弥陀信仰が一番の時代には
阿弥陀 > 薬師&弥勒
となって、
八幡神 > イエス&ミトラス
ということになります。仏教の神々に親子関係はありませんので、これは国家の上層部がどのような神仏を主に信仰していたのか、で決まるといえます。7世紀前半に建立された法隆寺は病気平癒のために造られた釈迦三尊像が本尊で、この頃は薬師信仰はまだ盛んではありませんでした。隣接された中宮寺の本尊である木造菩薩半跏像は、当初は弥勒菩薩像として造立されたものと思われる、とのことです。法隆寺を創建した厩戸皇子は、出生にまつわる伝承等がイエス・キリストと類似した部分があります。聖徳太子の側近には広隆寺を建立した秦河勝がいますし、中宮寺の木造菩薩半跏像、広隆寺の弥勒菩薩半跏像と、弥勒菩薩信仰が盛んでした。イエス・キリストを聖徳太子になぞらえて神格化し、更に弥勒信仰を付加しています。この時代、東洋でイエス・キリストに救世主的な性質が付加されていたのか、ミトラスはミトラスで別のものとして考えられていたのかは良く分かりません。流布する側からすればどちらでも構わなかったのかもしれません。
薬師信仰は「天武朝(在位・673年 – 686年)に入ってから日本にもたらされたと考えられる」という説があるそうです。これはもう少し早かった可能性もあると思いますが、百済滅亡が大きく関わっており、百済からの亡命者達が薬師信仰を持ち込んだのではないのか、と想像します。天武朝での薬師信仰は、薬師寺のように、病気平癒等を求めるものだったと思われます。薬師如来の職能からいっても、妥当な考え方だと思います。