本日は雨だったので信州新町の方へ出かけて家の片付けをしまいた。汚い絨毯とかを始末しました。
大乗仏教ですが、百済を経由して550年頃、正式に渡来したと言われています。百済の聖明王の使者が欽明天皇に金銅の釈迦如来像や経典、仏具などを献上したとのことですので、国家的な仕事でした。で、最初仏教は物部氏に弾圧された、と言われてます。物部氏は送られた仏像を「難波の堀江」に投げこんでしまいました。でも、仏教を指示した蘇我氏や聖徳太子の働きにより物部氏は敗れて、再び仏教が保護されるようになりました。で、この時「難波の堀江」に投げこまれた仏像が、座光寺出身の本田善光の背に飛び乗って信濃国にやって来たのが、善光寺の由来、とされています。善光寺如来は薬師如来でも弥勒菩薩でもなく、阿弥陀如来と言われています。
仏教がいったん弾圧された後、国中に広まる、という筋書きはローマにおけるキリスト教の拡がりと似ている気がします。善光寺如来は難波の堀江に投げこまれましたが、イエス・キリストははりつけにされて殺されました。でも、結局仏教は日本中に広まりました。キリスト教も結局ローマの国教になりました。日本では、その過程で、阿弥陀如来は本田善光に飛び乗って、善光と一体化しました。ローマでは「父なる神」と「イエス・キリスト」は同じものである、と言われるようになりました。でも、その一方で「イエスは全ての人々を救うために犠牲になった」とも言われるようになりました。・・・その理屈では、「父なる神=神に捧げる生贄」となる気もするわけですが、どうも外国の人の理屈は良く分かりません。キリスト教の「父なる神」であるヤハウェは、ユーピテルに捧げられた生贄である、という深遠な意味が隠されているのかもしれませんが、私は外国人の異教徒なもので-;。和製仏教では、これはさすがに無理のある理屈だと思ったのかもしれませんが、本田善光を生贄にしてしまうわけにいきませんので、そこは
阿弥陀如来と一体化する本田善光
と
犠牲となる神である淡島神
とに分けられました。本田善光と阿弥陀如来は和製イエス・キリストといえますし、淡島神もイエス・キリストであるといえます。で、阿弥陀如来は、古い時代には「彦神別神」と同一視された形跡があります。イエス・キリストに「父なる神」がいたように彦神別神にも諏訪神という父なる神がいました。そして、和製の神々は一神教ではありませんので、母なる八坂刀売もいました。善光寺は古いお寺ですので、最初は神仏習合が当たり前のお寺だったのだと思います。だから、神としては
諏訪神・八坂刀売・彦神別神の「三つ組み」と淡島神
があったのかもしれない、と思います。仏としては、
彦神別神=本田善光=阿弥陀如来=(イエス・キリスト)
とうことになるのではないでしょうか。そして、「父なる神」である諏訪神もユーピテルに捧げられた生贄、ということでしょうか。少なくとも鹿島の神に負けて諏訪に封じられた、ということになっているわけですから。
雷神建御雷神=ユーピテル
とすれば、諏訪神はローマにおけるキリスト教の「ヤハウェ」と同じ立場になります。ローマではヤハウェはユーピテルに負けたなんて言ってませんが、現実とすればそんなものではないのでしょうか。そうだとすると、さしずめ八坂刀売は「アシェラ」と同じものとも言えなくもありません。
彦神別神の父(諏訪神)=(イエス・キリストの父・ヤハウェ)
となります。そして、その一方で、
彦神別神=淡島神
ともいえます。この2つは「同じ物」とするには無理がありすぎるので、分けたのだといえます。