21年6月16日

 昨日は上伊那へ行って

 大宮五十鈴神社 → 大御食神社 → 熱田神社 → 鉾持神社 → 矢彦・小野神社

へ行って。今日は軽井沢へ行って

 長倉神社 → 諏訪神社 → 神宮寺 → 軽井沢ユニオンチャーチ → 熊野皇大神社 → 碓氷峠熊野神社

と行って。例によって、こういうコースを回るとオカルト体験しかしません-;。まあ、どことは言いませんが、どこかに寄ったら

「きゃー、押し込み強盗が来たー」

と言われる気がする@@。・・・ご先祖様参りをそう言われるのは大心外ー、と思う。でもって、どっかに寄ったら、水子に関連する施設があったので

「水子を貰って行って、別の場所においてこい。その霊が峠を塞いでいるから。」

と言われる気がするわけで@@。一応、言われた気がすることはやる主義なわけですが。やれと言われたことをやったら

「きゃー、うちはそういうモノを置く仕様にはなってない。何とかして-」

と言われる気がするわけで@@。そのとき

「淡島神とは親に我が子と認められず流された子のことだ。それが何のことか今なら分かるだろう?」

と誰かに言われた気がするわけで。

「・・・それは水子のこと?」

と思う。そうすると

「淡島神とは、親や社会の事情で、生まれることを認められずに殺されてしまった赤ん坊のことだ。そういったものが存在せざるを得ない事情を責めることはできないが、当人になんの罪もないのに命を失わなければならなかった者は誰よりも丁重に鎮魂されて然るべきなのに、そういう死霊をろくでもない呪いに利用するなんてろくでなしにもほどがあるだろう。」

と怒鳴る声が聞こえる気がするわけで。大びっくりである。んでもって、

「この国で水子と呼ばれるものが、西欧で何と呼ばれるか知ってるだろう?」

と言われる気がするわけで。

「!! ・・・それはヴァティカヌス?」

と思う。それは、幼児供犠で生きながら焼かれて神に捧げられた初子のことである。バアル・ハモンとかモロクとか。

「犠牲となった子供の霊は、それを祀って当然のところ(ヴァティカヌスのところ)で預かるのが当然だろう。」

って怒るのがいる気がするわけで。そっかー、私のペットのPちゃんは、そういうことが大嫌いなので、そういうことを止めさせたくて権力が欲しいんだなー、と思う。というか「漢(おとこ)だ!」と思う。

 で、あとは熊野。熊野熊野しい神々のなかに、なんでヤマトタケルがいるのか? とそういうことである。大御食神社の方から結論のみで単純に片付けると

ヤマトタケルと諏訪神は同じもの

である。それを公にされると都合の悪い連中が大勢いたので、社伝は簡単に解読できないあひる文字で書かれ、政治的に冷遇された。でも、阿智族は、諏訪神が東山道から信濃国入りした時に付き従ってきた人達で、熱田にゆかりのある人達であるので、熱田関連の神様も祀ってるのだと思うわけで。それで外県の開拓と守りを任された人達なんだと思います。本来はね。

 でも、境界神を祖神とする阿智族、出雲族は人柱の氏族、諏訪族は隠れ蓑、と決めたのがいたのだと思われます。建五百建命(イザナギ)とかが-;。

 だから、短く纏めると、善光寺平では

イザナギ = 建五百建命 = 諏訪神 = 薬師如来

イザナミ = 会津媛 = 八坂刀売 = 千手観音

スサノオ(牛頭天皇) = 建五百建命の子神 = 彦別神 = 八幡神 = 阿弥陀如来

という神々の構成になっていて、諏訪神・八坂刀売と八幡神(善光寺如来)の関係はイザナギ・イザナミ・スサノオの関係を置き換えたもの、すなわち「熊野信仰」の置き換え版なのだと思う。「長野」という地名は、軽井沢では「嘆きの野」という意味で、妻を失ったヤマトタケルの嘆きに由来する地名と言われている。でも、ヤマトタケルが諏訪神と同じもので、弟橘媛が八坂刀売と同じものだとすると、それは八坂刀売を失った諏訪神の嘆き、ということになる。・・・・そういや、どっか近所に八坂刀売を祀った神社の向かいに古墳があったな、と思う-;。墓がある、ということは「八坂刀売はイザナミと同じもので死んでいる」と、そういうことなんだー、と思う。だいたい、諏訪大社そのものが、生きた神である建御名方富命と、死んだ神である八坂刀売を祀っていて、下社に死んだ祟り神である鹿島神が祀られているのは、そこが「黄泉の国」だから? と思う。だから、諏訪に行くと「下社に行かないように」と言われるんだ?? と思う@@。

 で、「天なる父神」と「大地の母神」と「彼らの子神である牡牛神」って、それって

クンバン(スーサ) = クマルビ(ヒッタイト) = フンババ(メソポタミア) = クヌム(エジプト) = バアル・ハモン(カルタゴ) = モロク = ミーノータウロス = ユーピテル

って、そういうことですよねえ? と思う。

 要は、碓氷峠のヤマトタケルはイザナギの隠れ蓑に過ぎないのだけれども、熊野の信仰はイザナギとイザナミを「天と地」に分けるものであり、「離婚」の神でもあるので、本殿でイザナギとイザナミを並べて仲良く祀るのに向かないので、ヤマトタケルに置き換えているけれども、本当はイザナギのことなんだと思う。でも、イザナギって妻を失ったら、表面上は嘆き悲しむけれども、・・・? 本当は「あんたが毒殺したんじゃないの?」という性格の神様なのでは・・・・と思うわけで-;。

 ・・・だいたい、イザナギというのは妻を黄泉の国まで追いかけていって、それなのに妻が「自分の思うようでなかった」ということでとっとと帰ってしまうわけで、怒った妻が抗議のために追い掛けると、逆ギレして「離婚だ!」って言って、逆に妻の方をストーカー扱いするなんて、よくよくのストーカーだよね、と言われる気がするわけで@@。イザナギとはストーカーの神とみつけたり。・・・どっかにそういう知り合いがいたような? と思う。

 明日に向けて精進潔斎して寝ます。今週はお手紙もお休みです。